2011年8月28日日曜日

家のテレビの台数

ある集まりで家の中にテレビが何台あるか、の話題になった。
 
私は、基本的には、ほとんどがテレビは一家に一台だろう、と思ってた。
ところが、それ以外が結構多かった。

一家というよりも一人に一台という家庭は、
家の中に4台も5台もある家庭も珍しくない。
 
もっとも、そういった家庭は、子供が大きくて、
大人の集合体であったりするのだろうけれど。
 
けれど、違う部屋で同じ番組を観ていたりすることにもなるんじゃないの?
「有り得るかも。」と応えが返ってきた。
 
遥か昔を思い出す。
40年以上も前、まだテレビが貴重だった頃、
我が家にも当然テレビは一台だった。
 
だいたい家庭では、観る番組は決まっていそうなものであるが
ある日突然、チャンネルの争奪戦が自然発生する。
 
だいたい戦い合うのは、兄妹(姉弟)であろう。
もちろんビデオデッキもまだない頃の話である。
 
戦いに敗れた側は、その番組を失うことになる。
しかし、今から思えば、貴重な体験だったかもしれないな、そんなことを思ったり。
そういった経験が、戦うこと、負けること、譲ること、悔しいこと、、、
そんな体験を培うのだ。
 
古い考え方かもしれない。
けれど、少なくともそういったことがなくなってしまっているとしたら
時代は、それなりに変わって行っていることも
また、間違いのないことだろう。
 
 
P.S
 
かつて昔、教育論者から聞いたことがある。
 
 饅頭を子どもに与える時は、
 子どもが二人居たら、饅頭は、三個お皿に乗せて渡しなさい。
 子ども達が一個づつ取って、残りの一個をどうするかが大切です。
 力づくで奪い合ってもいい。勝った喜びと同時に派生する申し訳なさ。
 負けた悔しさは、次の勝利の際の相手の悔しさを知ることになる。
 半分に分けることに至るコトも大切な判断。
 譲る気持ちが生まれたり、今日はボク、次回はキミ、そんな結論もなかなかいい。
 二人に二個を渡すのは、一見平等そうでも、なんら教育にはならない。
 
確かにそんな気がする。
 
私は、家族に競争があってもいいと思う。
切磋琢磨も大切なことだ。
 
けれど、家族が、同じ番組をそれぞれ別の部屋で観ることは、
なんだかな、、、と思うのは、
 
私の時代についていけてない証とは思いたくない。
 
 
 
PM 08:38:09