2006年5月19日金曜日

ダ・ヴィンチ・コード(原作)

あえて映画のカテゴリーに書いてしまうが、
今回のこのコラムは、原作本についてである。
 
今回私は映画化が決まってから、この小説を読んだ。
最近の広告を見れば、この映画の評判はご存知であろう。
けれど、私はまだ映画は観ていない。
通常、私は、映画化されたミステリー映画を観る前に原作は読まない。
たぶん、その殆どが、原作には勝てないからである。
 
映画を観てから、原作を読むことは多々ある。
ミステリーで言えば、古くは「犬神家の一族」や「人間の証明」なども
映画の方が先である。
いやいや、これは、私はあまりミステリーを読まないからであろう。
映画を観て、面白そうで原作を読む、というパターンに違いない。
けれど、その順番は正解だと思う。
結構、2度楽しめるのである。
 
今回、原作を先に読むに至ったのは、ある人の一言であった。
世界中のベストセラーの映画化なんだから、
 映画は原作を読んでいる人向けにも作られてあるはずだ。
 
確かにそんな気になった。
そう思い込むと、映画を観る予習として原作は読んでおかなければいけないのではないか?
などとも思ったりもして。
 
# 単に人の言葉を信じやすいだけの私である。きっと。
 
内容には、当然触れない。
ちょこっとだけ感想を書く。
正直言って、小説内の実時間よりも読む方に時間がかかるのではないか、、、と感じた。
 
# まぁ、読んだ方にしかわからない、なかなかのコメントである。
 
話はスピーディーで映像的でもあり、謎解きも秘密も満載の
確かにベストセラーになる要素がいっぱいの小説である。
 
けれど、日本人にとってはどうかな?、、、とも。
まず、宗教観の違い、言葉の違い、芸術センスの違い、、、
それらについてどこまで読み手が洞察できるかで、その面白さはかなり違うだろう。
そういう意味では、出てくる面白いテーマはいっぱいあるけれど、
それらに細かい解説はない。
 
例えば、前半に出てくる「フィボナッチ数列」「黄金比」なども単語としては出てくるけれど、
それがいかなるものか?までの詳細な解説までには至っていない。
出てくる絵画の観方についても同様である。
そういう意味では、非常に学術的には、浅い小説感は否めなかった。
ひねくれた書き方をすれば、「ダ・ヴィンチ・コード」というこのタイトルさえも
あまりぴったりしていないような気もした。
 
ただ、いろいろなシーンで逆転的な発想満載なのがとてもうれしい。
まさにミステリーのベストセラーになる要素はこの点に尽きよう。
最後のシーンでは、涙が流れて、思わずティッシュを取った。
 
# そんな人、居ないかもしれないな。
 
まぁ、終わり方にも言及したいが、それは辞めよう。
ま、じょうずな終わり方である。
 
まぁ、お奨めか、、、と言われると、よくわかんないですが、
まぁ、評判に乗らされて読むのもまた一興ですよ、、、ということで。
 
P.S
しかし、、、正直言っての感想は、、、、哀しかった。淋しかった。
 
「真実」とはいったい如何なるべきものだろうか?
知るべきこともあれば、知ってはいけない「真実」もある。
真実を適当に把握し、適当に見逃し、、、そんな生き方が人間には必要である、、、
そして、「信じる」ということの儚さ、、、
 
みんな自分が信じていることに忠実に生きているに過ぎなくとも、
人間のさまざまな価値観は、微妙に歯車を噛み合わすことが出来ず苦悩となる。
 
人生は、長い。
なんだかチャランポランに人生をただ楽しく生きていた方が、
結果としていいんじゃないか?
そう感じた私は、今、スランプかも。
 
ついでに長い2冊の中でどうにも気に留まったセリフを2点書いてしまう。
ひとつは、
 
「赦しの心は、神がお恵みくださった最高のものだ。」
 
まぁ、そこまでになれない凡人にとってはまぶしい一言である。
# 今の自分に染入る言葉である。
 
もうひとつは、
 
「この床の模様と同じで、単純なものにもいろいろ見方があるのよ」
 
これは、私にとっては人生のテーマに等しい一言である。
野に美しく咲く花は、決してあなたの為に美しく咲いているのではない。
美しく感じるかどうかは、貴方の方の問題なのである。
 
いかんいかん、話が難しくなってきたので、この辺りはまたいつか。
 
では。

 

PM 01:45:17