「eスポーツ」という単語を耳にして、とうとうそんな時代が来たか、と思ったり。
いやなに、いわゆるテレビゲームがスポーツと呼ばれる時代が来たのだ。
テレビで面白い解説をしていた。、
狩猟時代のスポーツといえば、やはり格闘技だ。
いわゆる、ボクシングをはじめとする、生身対生身の競技だ。
スポーツかケンカか紙一重なわけだけれど、ある意味、スポーツの原点かもしれない。
狩猟時代のスポーツといえば、やはり格闘技だ。
いわゆる、ボクシングをはじめとする、生身対生身の競技だ。
スポーツかケンカか紙一重なわけだけれど、ある意味、スポーツの原点かもしれない。
次に農耕時代のスポーツということで、球技が加わる。
サッカーのように、ボールや道具を使っての競技となる。
ちょっと組織的なテクニックの競い合いになったりする。
サッカーのように、ボールや道具を使っての競技となる。
ちょっと組織的なテクニックの競い合いになったりする。
やがて、産業革命を通り過ぎ工業時代になると、メカニックスポーツが加わる。
カーレース、バイクレースなどの世界になる。射撃なども入るのかな。
カーレース、バイクレースなどの世界になる。射撃なども入るのかな。
# 単純には、デブでも出来そうな気がするが、レーサーにデブはいない。
そして、とうとうIT時代になり、「eスポーツ」が加わる。
あえて言い換えれば、いわゆるテレビゲームをスポーツと呼ぶことになる。
あえて言い換えれば、いわゆるテレビゲームをスポーツと呼ぶことになる。
きっと、日本人のあなたは思うに違いない。
「そんなのスポーツじゃないよ。」
# が、将棋も囲碁もチェスも、基本スポーツと呼ぶ。
けれど最近、海外では、そんなeスポーツ大会が華やかなのである。そして
頂点を極める、いわゆる決勝戦は、何万人もの観衆の中で戦うことになるのだ。
頂点を極める、いわゆる決勝戦は、何万人もの観衆の中で戦うことになるのだ。
私は、思う。とうとう、いやいや、やっと来たか。
けれど、なんで日本人にとっては、それが受け入れられにくいんだろうか、とも思う。
まぁ、ゲームは遊び。っていうイメージが、日本人にとっては、
いわゆる勉学の時間を奪い去る存在だからだろうな。
いわゆる勉学の時間を奪い去る存在だからだろうな。
が、あえて言う。私は、テレビゲームを全面的に全否定はしない。
# 私も、結構(自称)ヤった方かも、だし。
けど、想像するとちょっと怖い気も。
仮に、親が子供に向って、eスポーツを極めるために
幼少の頃から、テレビゲーム中心の生活をしていたら、と思うとである。
幼少の頃から、テレビゲーム中心の生活をしていたら、と思うとである。
けど、世の中には、野球、サッカー、卓球、フィギュアスケートだってそうだ、
親達は、オリンピックを夢見て、ワールドカップを夢見て、
小さい頃から程度こそ違うけれど、スパルタ教育を強いる。
親達は、オリンピックを夢見て、ワールドカップを夢見て、
小さい頃から程度こそ違うけれど、スパルタ教育を強いる。
その対象がテレビゲームだったりしたら、やっぱ抵抗があるのは、私だけだろうか。
そもそも、健康的じゃないよね、そうは思う。
けれど、逆にこうも思うのだ。
eスポーツでも頂点を極める人間にきっと(たぶん)デブはいない。
eスポーツでも頂点を極める人間にきっと(たぶん)デブはいない。
# そういうものである。
結構、頂点を極める人間というのは、やはり凡人ではないのだ。
更に、私は思う。
東大に入るのも難しければ、
プロ野球選手やワールドカップに出場するような選手になるのは、
もっと難しい。
東大に入るのも難しければ、
プロ野球選手やワールドカップに出場するような選手になるのは、
もっと難しい。
小さい時から、これと一本に賭けて、そればかりを親が強いるのは、
単に親のワガママにしか過ぎない、そう思ったりもするのである。
単に親のワガママにしか過ぎない、そう思ったりもするのである。
# もっとも親のその思い込みで没頭結果の人間が、
# オリンピックに出たりするのであろうが。
# オリンピックに出たりするのであろうが。
だから、私なんかの平均的な人間は、
小さい頃は、なんでもかんでもいろいろ体験しておいて欲しいと切に思うのである。
小さい頃は、なんでもかんでもいろいろ体験しておいて欲しいと切に思うのである。
だから、ゲームをやる時間ばかりの比率が上がることに抵抗があったりもする。
結果として思うのは、
親の思い込みを子供に押し付けられるのか?
そこまで思い込められるのか?
親達の永遠のテーマである。
親の思い込みを子供に押し付けられるのか?
そこまで思い込められるのか?
親達の永遠のテーマである。
P.S
懐かしいことを思い出した。
懐かしいことを思い出した。
かつて昔、30年も前のこと。
私の場合、インベーダーゲームは苦手だったけれど、
ブロック崩しを極めたことがあった。
私の場合、インベーダーゲームは苦手だったけれど、
ブロック崩しを極めたことがあった。
酔った時などに、街中にブロック崩しを見つけるとよくやったものだ。
あえて自分で極めたと言ってのけるのは、
ブロック崩しのマシンをループにして、そのままにして去るのが楽しかったのだ。
ブロック崩しのマシンをループにして、そのままにして去るのが楽しかったのだ。
妙に達成感と満足感が得られたのである。
当時のゲーセン(下品な言葉だな)のブロック崩しは、
何面かクリアすると、もうブロックが出てこなくなってしまうのである。
何面かクリアすると、もうブロックが出てこなくなってしまうのである。
そうなると、ブロック崩しは単なるピンポンゲームのようになる。
そして、ボールの軌跡とバーの微妙なバランスの位置関係に持ち込むと、
バーを移動させなくても、ボールが永久に反射し続けるのである。
私は、その状態にして、そこを去る。(超カッコイイっ!)
# 私のことをブロック崩しキラーと呼んでください。
(写真は、本能的にダウンしてしまったモノ)
PM 07:59:34