2021年5月15日土曜日

ウィルス騒ぎを耳にするとついつい思ってしまう。

ウィルス騒ぎを耳にするとついつい思ってしまう。

かつての日本は、北里柴三郎や志賀潔、野口英世だって
世界の中でも有数な細菌学者が日本居たのに、
 
1960年代から始まったワクチンの訴訟問題で
長い時間かかって、、、結果は、国が敗訴。
国も薬剤メーカーもワクチンの研究から撤退してしまった。
 
良かれと思って子供に摂取して被害を受けた子供の親にとっては、
その気持ちもわからなくもない。
 
けれど、マスコミの報道の仕方も問題だったであろう。
ワクチンを打たないで病に侵されれば、自己責任扱いで
ワクチンを打って、問題が起これば、ニュースになる。
その不均衡さ。
 
その結果として、
ワクチンを打たないで病に侵される数を正しく吟味されず、
ワクチンなんかわざわざ打つ必要なくね?
なんて発想が広がる。
 
けれど、あへて言えば、この思考の流れは、むしろ自然かも。
だから、どこの国もそういった経緯がある。
 
そして結果、ワクチンは打つべきものであるという啓蒙が
国を挙げてなされる結果になっている。
そこが遅れている日本。

しかし、昨今だって、IPS細胞でノーベル賞を取る国だもの、
本来だったら、ワクチンメーカー王国で、
コロナワクチンを大量に輸出できる技術も能力もあるはずなのに、
あえて、自ら縛り付けている日本が悔しい。
 
そして、今この時も、
「ひょっとして自分はワクチン打たなくて済むんじゃね?」
「ワクチンの副作用怖いし、もうちょっと待つか。」
と思っている人が国民の半数だったりする現実。
 
もちろん判断するのは、個人でいい。
 
# 政治力で強制された方が思考的には楽なんだけどね。
 
けれど、そのための情報開示能力・方法が
マスコミを先頭にあまりにも稚拙な気がするのは
私の気のせいだろうか。
 
 
 
P.S
 
本当は、そういう時の物事の思考過程の訓練に
数学を勉強するんだと思うんですけどね。
 
# と、今日はこれが一番書きたかったことなんだけどな。