2006年9月21日木曜日

出口のない海

なんて哀しいタイトルなんだろう。
 
タイトルは、原作も同じである。
人間魚雷「回天」の物語である。
 
あなたは、回天をご存知だろうか?
私が初めて知ったのは、かなり小さな頃、確かマンガでだった記憶がある。
大きなショックを受けた。ある種のトラウマになった。
 
上映中だから、あまり書くまい。
貴方にお奨めかどうかは、わからない。
けれど、もし貴方が「回天」というものを知らないのであれば、一度観ておいてもいいような気がする。
存在していたのは事実だし、世にはこういったばかげたものが存在していたのだ、、、と思うことも大切な気がする。

私は、この映画で新発見をしたことが何点か、、、
まず、魚雷そのものは、技術的にはかなり優秀なものだったのである。
そして、魚雷を改造しただけのもののために、その操縦の難しさ。
どうしてもトラブルが多くなってしまうその構造・原理。

大戦で負けが見えてきたその時、人は、何でもありになってしまう思考過程を健康な時に省みておかなければならないと思った。
 
公式HPは、こちら。(←は、もうありませんでした。)
 
P.S
ちょっとだけパンフからの知識を書く。

1941年12月 真珠湾攻撃から日米開戦。その後、アジア各地を次々に占領。
1942年 6月 ミッドウェー海戦で日本軍の主力空母全滅。戦局悪化へ。
1943年12月 ふたりの青年士官が「回天」の設計図・意見書を提出。→却下。
1944年 2月 トラック島空襲を受ける。「回天」試作を決定。
          その後、基地開設・訓練開始。
1944年11月 回天初出撃。
1945年 8月 終戦。

この大戦、日本が優位だったのは、最初の約半年だけだったのである。
その後、じりじりと後退をし続け、敗戦に至る。
それだけを見ても、この大戦がとても無理なものであったかは、すぐにわかろうものである。

けれど、負けがこんできても日本人は無理に頑張った。
無理な発想が無理なものを作らせ、無理な行動にかきたてる。
そもそも敗退の状況ならば、時間もなければ、余裕もない。
あらゆるものが無理なものと化すことは、自明の理である。
もっともそれらは、敗戦を遅らす結果にはなったのだろうけれど、余りにも犠牲が大きい。
 
最初、「回天」の設計書・意見書がふたりの青年士官から提出された時、
海軍には、死を必要条件とする兵器は採用しない、という伝統があり、却下されたという。
 
だが、負けがこんでくれば、打つ手がなくなってくれば、そこはもう何でも有りの世界になってしまったのだ。
藁をもつかむ、そんな気になってしまったのだ。
 
私は、いつも思う。
それは、健康人の論理と言われるかもしれないけれど、
健康な時にこそ、あらゆることを想定した危機管理を考えておかなければならないのだ。
 
そして、どんな状況になっても、その危機管理が実行されるシステムに仕上げておかなければならないのである
 
人間は弱き生き物である。
    その前提を忘れてはならぬ、、、
 
この映画を観て、私は、それをまた思い出した。
 
 

 

PM 10:39:08