2006年9月7日木曜日

神へのクレーム

この2週間に二つのお葬式があった。
 
一つ目は、おばさん。私の母の姉。
 
私には、夜逃げの経験がある。
父の会社が倒産し、想像も出来ない恐怖にこのおばさんの家の屋根裏にかくまってもらったことがある。
毎日食事をさせてもらい、お風呂をもらい、家族同然の生活を何のグチひとつ言わずに過ごさせてくれた。
そんな感謝は、私は一生忘れない。
 
昔で言うならば、「肝っ玉母さん」である。
よく太っていて、よくしゃべって。明るい。
詩吟の先生でもある。
 
そのおばさんが亡くなった。
享年82歳。肝臓ガン。
3人の子供に恵まれ、9人の孫に恵まれ、ひ孫も数人。
最後は、ホスピスで痛みに苦しむことなく逝ったという。
 
大家族の中で葬儀が営まれ、葬儀場には、教え子達の詩吟が唄われた。
苦労もあったのは良く知っているけれど、
ある意味、幸せな人生だったとも、私には思えた。
 
二つ目は、私のお向かえさん。
私の家の道の反対側には、私の小学校の時の担任の先生の家がある。
私は、この家を買う時に、この地がどんなところかがよくわからず不安だった。
 
そんな時、今買う家のお向かいの家が、私の恩師であることをまさに偶然に見つけた。
悩みは、全てなくなった。
あの先生が住んでいるのなら、何も心配はない。
私は、何の不安もなく、その家を選んだ。
 
今日の葬儀は、その先生の息子さんである。
 
享年39歳。白血病。
一度は、骨髄移植で命を取り留めたものの再発。
2回目の移植の1週間前に命が尽きて逝ってしまった。
来年小学校入学の子供を残して、奥さんもご両親も涙涙の葬儀であった。
私は、こんな悲しい葬儀は、初めてのような気がする。
 
健康だった頃、私と彼は出勤時間が殆ど同じであったため
毎朝、お互いにネクタイを片手に車に急いで乗り込む。
「おはようございます。」と声を掛け合って、
行き先は同じ方なのに、家の前の道をいつも反対に走り出した。
仲が悪かったわけでなく、駐車場からの車の出し方で、自然にそちらに走り出してしまうのである。
 
彼と会わなくなって少し経った時、ある日フト思った。
ここに住んでいるのは、彼の方が長いはずだ。
きっと彼の選んでいた道の方が早いのかもしれない。
それ以来、私は、駐車場からの車の出し方を変え、
彼が走っていただろう道を今日も走ってきた。
 
いろいろなことが思い出されて、今日は私も涙が止まらなかった。
それにしても余りにも若い死である。
 
私は、神にクレームを言いたい。
この二人の違いは何なのだ。
なぜ、人間の死に倍も違う寿命を設定するのだ。
いや、もっと短く命を失う人だっていっぱい居るはずだ。
交通事故ならば、人間が勝手に作った原因かもしれない。あなたに文句は言わない。
しかし、白血病のような病気でその短い命を奪うのは、余りにもあなたは残酷過ぎやしないか?
 
人間は、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。」などと
あなたを一生懸命美化しているぐらいなのに、
あなたは、意味もなく、余りにも人間に差をつける。
そんな神が私は憎い。
 
なんとかしろよ!なんとかしてくれよ!
私は、神にクレームを言いたい。
 
 
P.S
今日の葬儀の間中、なんだか悔しかった。辛かった。神の仕業に頭にきた。
こうなれば、人間として、たとえ大海に石を投げる程度であっても
神の仕業に少しでも抵抗しなければならぬと思った。
 
勢い葬儀場からの帰り、喪服着たまま、骨髄バンクへ登録してきた。
 
オトコのくせに気が弱くて、献血もしたことなく、
いつも貧血になって検査採血にビビる自分だけれど、
今日は、逃げてはいけないと思った。
 
後のことは、まだちょっと怖いけど、とりあえず今日は、採血頑張ろうと思った。
 

 

 

PM 07:48:44