マスクに思う。
私のマスクの記憶といえば、、、
小学校の給食当番の時に持っていくマスク。
当時は、布・ガーゼ製で何度も洗って干して使うものだった。
そして、いつの頃からか使い捨てマスクというモノが現れて
企業努力の結果であろう、性能・安価・使い捨てという利便性を備え
花粉症の人々をバックアップすることになった。
ところが今回のコロナウィルスで、全人口がマスクを必要とすれば、
使い捨てマスクは、あっという間に足りなくなる。
モノが手に入りにくくなれば、人は少しでも買い溜めに移行し
マスク不足は、慢性化する。
縫裁技術を手放し、使い捨てに頼らざるを得ない人々は
マスクを求め、手に入らないことを口々に叫ぶ。
そして、国は大金を用いて、世帯に布マスクを配布しようと考えた。
ま、国の行為の是非論はいろいろあろう。けれど、
とりあえず布マスクを配りますから、洗って使って当面をしのいでてください。
という昭和的な発想も私は理解できなくはない。
世には、そんなお金があったらマスク工場へ使えよ、という意見もあれば、
私は税金を使い捨てのモノに使ってほしくないという思いもあったりもする。
けれど当面、今は、マスクの増産が急がれている。
が、一方で、ミシンも売れていると聞く。
明らかに一部の人間は、自作志向に移行しているのだ。
先行きが見えないウィルス。マスクの必要性は、今後も増すばかりであろう。
私は、こんなことを思ったりもする。
マスクが世の中にあふれれば、きっと、自作も含めていろいろなマスクが出現してくるはずだ。
再使用可能な高機能なブランドのマスクも出てくるかもしれない、
極論を言えば、ヴィトンのマスク、バーバリーのマスク、、、ハハハ、、、
でも、私は大歓迎である。そういうオシャレがあってもいい。
やがて、使い捨てマスクは医療機関専用のモノになればいい。
その時には、使い捨てマスクを買い込んだり貯めこんだりする必要も減ろう。
マスクが手に入らない!と叫ぶ必要もなくなるはずだ。。
そんな近い未来の様子を私は想像している。
P.S
写真は、マスク職人と化した私の姉(今年70歳だっけ?)からのいただきモノ。
私は、当面、マスク獲得戦線から離脱出来ます。
姉貴に感謝。