2005年7月19日火曜日

12人の怒れる男

某大学での打ち合わせ中に、ふと会話に出てきたので、ちょっと解説。

私は、法曹関係者ではないので、あくまでも映画ファンとしての感想になってしまう、たぶん。


日本でも2009年から裁判員制度が始まると言うことで、近頃、何かと話題に上ることがあるけれど、その時に

「裁判員制度って、なに? どんなことすんの?」

という疑問に応えるシーンサンプルとして、よくこの映画の名前が浮上する。

実際には、米国の陪審員制度と日本の裁判員制度は微妙に異なるので、この映画全てが日本の裁判員制度についての疑問に対して、充分に応えてくれているものではないので注意してください。


さて、ちょっとだけ解説する。

まぁ、有名な映画なので、あえてネタバレも書いてしまう。いやいや30分も見れば、ストーリーの結果は自ずと想像がつく。

ただ、この映画は、ストーリーの問題ではないのだ。

人間の本質、裁判制度、ロジカルな思考過程、、、或る意味そのシーンでいろいろ感じることが多く、人を裁くことの姿勢を感じるべき映画なのである。

この約1時間半の映画は、ほとんど全部と言っていいであろう、その評議室内のやりとりである。

裁判員制度がもっともっと身近に議論される時の為に、一度見ておいて欲しい映画として紹介させていただきます。

でもって、あえてストーリーを書く。(すみません、記憶に頼って書くので、正確じゃないかも。)


12人の陪審員たちは、法廷での論議を終え、評議室に入ってくる。

全員一致での結果のみが採用される制度の中で、

対象の被告は、殺人犯と見られており、「死刑」がおおかたの見方である。

さっさと結論を出して早く終わらせて帰ろう、、、そんな雰囲気の中で投票をしてみると、

12人の中で1人だけが無罪に投票するのである。

なんで無罪と言うんだ?という11人の問いかけに彼は言う。

「私がここで有罪に投票すると、被告人は、すぐに死刑になってしまう。

 せめて、1時間だけでも彼の為に話し合おう。」

そう言って、法廷で自分が気になっていた引っ掛かりを話し始めるのである。

が、話を進めているうちに、話は意外な方向に進む。

あくまでも真実はどうかはわからない。

けれど、フに落ちない証拠があれば、それを証拠には出来ないのだ。

そしてまた、確定的な証拠がなければ、それは無罪なのである。

12人は、話し合っているうちに納得できない部分が次々と露呈してきて、無罪主張者がだんだん増えてきて、、、


まぁ、結果は、たぶんあなたの想像通りである。

けれど、私がこの映画を薦めるのは、そのストーリーではない。

人間の本質、行動、考え、、、更に言えば、正直さへの回帰を感じ取っていただきたいのである。


日本で裁判員制度が始まる。いろいろ是非の論議もあろう。しかし、これはもう現実になってしまった。

ならば、裁判員に選ばれた時には、その裁判員としての自分を見返す良い機会となる映画には間違いない。

私はそう思うのである。是非一度ご覧あれ。

たぶん、レンタルショップでは、今ならまだ空いてます。

P.S

やっぱ、映画ファンとしての感想以上のことは書けなかった感があるな。無念。


PM 07:40:47