2006年11月20日月曜日

ディ・アフター・トゥモロー

何気に開いた新聞のテレビ欄にこの映画が放映されているのを知ったので、ちょこっと。
 
私は、こういう自然災害ものの映画が好きである。
# 竜巻・地震などで災害にあわれた方へ、、、ごめんなさい。
 
何でと言われるとつらいのであるが、
有り得そうで有り得なく、
  有り得なさそうで有り得そうだからである。
 
しかも、人間同士の戦いではなく、まるで傲慢な人間にバチをあてるかのようなストーリー。
そこが、妙に未来SFよりも私のDNAをくすぐる。

もっともそこには、こんなことは自分は体験することなく寿命が尽きるであろう、という勝手な思い込みと「願い」が前提にあったりする。

しかし、最近の特撮はすごいなぁ。
ディープインパクトもすごかったけれど、何せこの映画は自然災害のジャンルが広い。
まぁ、アメリカ的な思考や終わり方にちょっと抵抗もあったけれど、私は、楽しめました。

お奨めか、って?
少なくとも、冬よりも夏の暑い日に観た方が、お奨めです。
 
というどうでもよい感想で今日は締めます。
 
 
P.S
さて、、、ヘビーなことをひとつ書く。
 
私は遥か昔、こんな話を耳にしているオジさんです。
 
世の中には、有り余るほどの核ミサイルがあり、
当時のソ連もアメリカも核ミサイルの照準をお互いに当てあっていた頃のお話です。
 
# 今も? まぁ、それはともかく。
 
実にその頃、ソ連もアメリカもその何基かの核ミサイルは、日本に照準を向けられていたという話。
 
何故かって?
核戦争になってしまったら、ソ連もアメリカも自国が生き残れないだろう
ということは、周知の事実だったのですね。
 
そして、もし、自国が何百年も再興できないほどになってしまった時、、、
日本のような、文明・経済大国に生き残られては困るからですね。
 
地球上の主導権を第3者に持っていかれてしまうのが耐えられないからです。
ですから、自分がやられる時には、日本も、、、っていう思考過程です。
 
当時、私は、妙に納得できてしまいましたが、、、
いえ、この映画を観た時に、ふとこのことを思い出しました。
 
例え核戦争でなくても、例え自然災害が理由だとしても、
もし自国が壊滅的な状態になってしまう時には、
どなたかは、日本行き核ミサイルの発射ボタンを押してしまうんじゃないかな、、、と。
 
まぁ、読み流してください。
 
# 最近は、もっと身近なところで、ヤケクソ核ミサイルのボタンを押しそうで
# 結局は、日本の危機は、昔も今も変わらないこの世の中。
 
人間って哀しいやね。
 
 

PM 08:33:59