2006年11月23日木曜日

私のお習字はギャンブルかも

私は、お習字を習っている。

息子が小学校に入った時に一緒に通い始めて
息子が来年、大学を卒業するので、
もうそこそこ15年のキャリアである。
 
一時は、娘とも席を並べた。
が、二人とも受験を機に、お習字はフェードアウトしていった。
 
週に1回。
特に私は、辞める理由もなく、今も続けている。
 
されど、思うのである。
果たしてこの15年間で私の筆跡は向上したのであろうか?
正直言って、とてもそうは思えない。
ならば、習い続ける必要があるのか?
などと、私に問う人もいる。

が、あえてマジメにこう応えたい。
何もお習字で得られるものは、字の綺麗さだけではない。
書く楽しさ。真っ白な紙に向かう決意。筆のこなし。
つらいはずである最初に墨をする行為さえ
慣れは、苦痛を遠ざけてしまっている。
 
先生と同じ5本の指を持ちながら
先生と同じ字が書けない自分を知り、
人間の能力の限界を感じることは、
実生活においても会社においてもとても大切な感触だ。
 
もう、いいんじゃないの?
そんなことを言われたりすると、
ちょっと迷ってしまったりする自分がいるのだけれど、
まだまだきっといつか、書道を通じて、
今まで感じなかった何かに巡り会えるかもしれないし。
続けられるうちは、続けてみようと思う。
 
宝くじが、買い続けないと当たらないように。
ギャンブルの時に、賭け続ける勇気のように。
 
 
P.S
最後まで何もなかったらどうするの?
時間のムダじゃなかったりしないの?
 
でも、続けてみなければわからないし。
最後に何もなくても、
ただただ続けていられたことに自分を褒めて上げられるし。
 
無理には誘いませんが、
あなたも残りの一生かけて何かをしてみませんか?
 
行動と継続の向こうにきっと何かがあると信じて。
 
 
PM 09:16:51