2020年5月8日金曜日
自粛警察
「自粛警察」
また面白い言葉が生まれたもんだ。
「自粛」なるもの、自分の思いで実行するもののはずなのに
他人にまで共有を強いる輩は、
よくドラマに出てくる割烹着にタスキ姿のおばちゃん達が
あ~だ、こ~だと口をはさんでくるシーンを思い出さずにはいられない。
が、少しだけ自分の知識に補正をかけると、
割烹着にタスキ姿がユニフォームになったのは、「国防婦人会」
着物で競い合ったりするのを防止するためだったというけれど、
戦争もひどくなってくると、割烹着じゃダメでしょ、とモンペになったり。
だから、第二次世界大戦末期に、他人の家に押しかけてくるシーンに
割烹着とタスキのシーンは、その正確性にいささか疑問である。
# むしろ「隣組」だよね。
が、割烹着とタスキのおばちゃん達の時代は、
他人へのツッコミよりも、むしろちゃんとした仕事があった。
出征する兵士をみんなで見送ったり、慰問袋の用意や千人針集め、
そもそもお互いの援助や世話の役割もあったはずで。
それが激化していって他人への干渉に至ったとなれば、
なんとなく想像もつかないでもない。
けれど、今回のこの21世紀の「自粛警察」なるもの
70年以上昔とちっとも変わらない。
そりゃいろいろなパターンもありそうだけれど、
ネットのおかげで、匿名性の嫌がらせやいわゆるチクリは
むしろ陰湿性も帯びてきている気がするのは気のせいだろうか。
# 戦中のことを知っているわけではありませんが。
ま、もっとも「自粛警察」の人は、
自分がそうだとは思っていないだろうことを想像すれば、
自分も知らないうちに同じことを思っているかもしれないことは否定できない。
もはや、言うか言わないか、するかしないか、
私と自粛警察の間は、そんな僅かな差でしかないのかもしれない。
P.S
先日も地下鉄の中でマスクをしていない数人が大声でしゃべっていた。
“ちゃんとマスク着けろよぉ~”と私も思ったことは事実である。
けど、その一言を言わなかったのは、“勇気”がなかったから?
もしそれを言ったら、私も「自粛警察」?
よく考えると、、、なんとも難しく思えてしまう。