毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである
枡野浩一全短歌集
を手にする機会があったので読んでみた。
1ページに1行の贅沢な本である。
最近は、和歌・短歌が流行っているそうで買ってみたそうだ。
文字数にとらわれることもなく、ルール無用の短歌群である。
自分の思ったまま感じたままを歌っている。
今どきは、こういうフリーな短歌もアリなんだな、と思った。
なにかで知ったことがある。
いにしえの和歌・短歌は、今でいうデジカメのようなものだと。
その時々の心情・思い・風景などを自由気ままに表現し残すものだと。
だから、何を書いてもいいし、どう表現してもいい。
この短歌集は、まさにその路線を行っている。
けれど、ふと思ったりもする。
であれば、今どきは何のためにそういった短歌を作るのか。
作っている自分の感性を表すものであれば、人に見せるものもあれば、見せられないものもあるだろう。
この本は、“全短歌集”とあるけれど、まだ他に見せられないものもあるのだろうか?
どうもこの本の多くの短歌が、文芸的短歌というよりもコピーライターのキャッチコピー的に私は感じられてしまって残念である。
短歌の暗黙のルールから解き放される可能性を示してくれたのは楽しいし身近にも感じる。
けれど、それを全面的に素直に受け取れないでいたりもする。
P.S
そんな中で私の気を引いた一編を。
「思い出をつくっておこう 寝たきりの老後に夢をみられるように」