2008年8月1日金曜日

美術のおける字と絵

先日、習ったことのひとつ
 
西洋と東洋の美術の性質の違いのひとつに絵と字の違いがある。

西洋(と言っても中世のイタリアのような、であって、フランスやドイツはちょっと違いますが)の美術の基本は、絵画だ。
 
宗教画をはじめとして、自分の思いを表現するのに、思いを伝えるのに、絵を描く。
 
それに比べて、東洋は、字だ。いわゆる文章である。
 
自分の思いを文章に表現する。
目に見えているもの、見えていないもの、状況や精神性までもを字、文章で表現する。
# なんとなくわかってもらえるでしょ?
 
もちろん、東洋にも、墨絵のようなものもあれば、宗教画の類もある。
それは、人類にとっては、自然発生的なものなんだとも思う。
 
けれど、フト思うのは、他人に何かを伝えるには、
文章の方が、早いんじゃないの?
 
けれど、そう思う感覚が、もはやこのオヤジは、東洋人なんだろうな。
見えているものから何を読み取るか?
読んだ文章から何を感じ取るか?
 
鑑賞側にその能力がなければ、まったく美術鑑賞は意味ないな、そう思ったりも。
 
けれど、いい絵、いい文章は、それを超えて、鑑賞者に染入ってきたりするから不思議である。
 
 
P.S
私は、東洋人なので、(とゆーわけではないのだけだけれど)
未だにお習字に通っている。
 
そして、その作品を見て、とある人が言った。

「何で書道の文章って、なんていうか暗いというか重い内容が多いのよ?」
「あのね、書道を勉強しながら、同時に人間の精神性を学んでいるわけよ。」
 
などとテキトーなことを応えながら、
自分は、先生の文字フォントをまねているだけだったりするのが情けなかったりも。
 
けど、書道も創作の世界に到達すると、字と絵の境界が薄くなってきているのを実感する。
 
でも、私の字は、とても芸術性の世界には、程遠い、その事実の哀しさ。
 
# 好きこそ、ものの上手、、、にならんのが悔しい。
 
 
 
PM 08:43:33