2021年3月8日月曜日

和歌の可逆性について

いやなに源氏物語でも伊勢物語でも
男女のやり取りに和歌を送り合う。

以前、聞いたことがある。
その状況、その想いを和歌に託すその行為は
今でいう、デジカメで撮る感覚なんだそうだ。

# まじか。

いかにその短い歌の中に巧みに盛り込ませられるかが
粋を競うことになる。

しかし、素朴に思うのは、
いろいろな状況、様々な想いを和歌に圧縮したとして

それを聞いた読んだ方が解凍した時に
ちゃんと元に戻ってるの?

# ひどい表現だな。

いやなに、作る方も読む方も、相当世界観が近くないと
うまくいかないシステムじゃね?和歌って。

と、素朴に凡人は思うのでありました。



P.S

だって、高校生が質問する。

「和歌って、解説・ガイドがなかったら、
 まったく意味わからなくないですか?」

このご時世に生きていれば、
ほとんどが同感せざるを得ないなんだな、実に。

古文は、数学よりもムズい気がする今日この頃。




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