2021年3月14日日曜日

RecRoomの大切な私のお墓。

最近、私は時間が許す限りRecRoomに行っている。

# が、なかなかこの時期行けないのが悔しい。

RecRoomとは、VRによる仮想現実の世界です。

# RecRoomについては、ググってみてくださいね。

VRについては、まだ多くの人はきっとゲームなんでしょ?と思っているに違いない。

もちろんRecRoomの中でゲームを楽しむことも出来るけれど、
見知らぬ人と出会い、語らうだけでも実に楽しい。

そして、もうひとつの楽しさはクリエイトだ。
メーカーペンで、自由に物を作ることが出来る。
身近な小物から、建物、風景に至るまで、自由に世界が演出できるのです。

さぁ何を作る?って考えた時、若い人であれば、
未来に住んでみたい家を作るもよし、
行ってみたい街そのものを作ってみてもいい。
すべてが自由だ。

けれど、歳を取った人間が考えることは、むしろ過去にさかのぼる。
あの家に戻りたい、あそこにもう一回行ってみたい、、、
そんな過去のことばかりだ。

私は、中学生の頃、父の経営する会社が倒産した。
夕方、学校で部活をしていると、母が知人の車で迎えに来て
突然私にこう告げた。

「あの家にはもう戻れないから。」

そして、車に乗せられて、親戚の家に向かった。

今日で帰れなくなるとわかっていたら、もっと写真でも撮っておけばよかった。
今から半世紀も前のことだ。まだデジカメなんかない。ほとんど記録も残っていない。

もう一度だけ部屋が見たい、建物に戻ってみたい。
そう思いながら50年も経った。

そして、あの時から20年ほどあった建物もいつのまにかなくなった。

今、私はRecRoomでその建物を再現している。
ここは本棚だったよね。ここに食器棚があったよね。
70歳を越えた姉たちとわずかな記憶をたどりつつ、想い出をカタチにしている。

そして、部屋が建物が出来上がってくると
その中を歩いているだけで、妙に心が安らぐのである。
50年間のくすぶった思いが解き放されていくのがわかるのである。

そして、今度は未来に目を向けると、
もはやこの歳で気になるのはお墓でしかない。
自分で勝手に作れるとしたら、お墓を作ってみたい。そう思い続けていた。
逝った後にどんなに立派なお墓ができたって、それは自分に意味はない。

そして、この度、極めて優秀なクリエイターたちが集まってお墓を作ってくれた。
いや墓石だけでなく、その空間そのものを作ってくれた。

私の作ることが出来そうな程度を遥かに越え、
私の想像を遥かに越えたものだった。

もう感謝でしかない。

私は、普段こんなことも思っている。

VRによる仮想現実といったって、所詮サーバーに載ったプログラムだ。
多くのゲームと同じように、流行りが過ぎれば、
世の人からは飽きられてしまうモノなんだろうとも思う。

RecRoomの性質上、その寿命は長いような気がするけれど、
きっともっと新しいモノが出来てユーザーは乗り換えてゆくんだろうな。

RecRoomは、あと30年も続くだろうか。
いずれにしろ、その次の乗り換え時期を、私は見られないと思う。
こちらの寿命の方が短そうだもの。

であれば、優秀なクリエイターたちが作ってくれたものなら、
きっと最後まで残ってくれるであろうことが嬉しい。
自分の自己満足で作ったよりも、みんなが作ってくれたことが嬉しい。

いつまでも続くといいな、RecRoom。
今は、そんな気持ちでいっぱいだ。

いつものみんなへ、、、心からありがとう。


P.S

最近、ちょうど10年を経て東日本大震災の特集番組が目に留まる。

私からの提案です。
東日本大震災で家を失った方々も、
是非、仮想現実内で家を再現してみるといいと思う。

諦めていた何かの、たとえわずかでも取り返せるような気がするはず。

それは、私で実証済みです。



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