# 修学旅行であれば、きっとここにも来たのだろうけれど、、、記憶なし。
平和公園には門限はなかろうとまず資料館。
小学校の団体がいくつか訪れていたようだけれど、
館内は比較的に空いていたのはやはり平日だからか?
# 休日なら混むところなの?という疑問も。
原爆の被害の様子、その拡がり方が分かり易く展示されてはいたが、
それよりも意外だったのは、爆弾の仕組みや現在の世界の核の在りようなどに割かれているスペースがとても多かったことだ。
「人間ってどうしようもないなぁ」
という感想が湧くのだけれど、それは展示側の狙い通りなのかなぁ。
これらの展示物を見て、何を感じ何を思いつくかは人それぞれだろうけれど、
パラパラ居た海外の人たちは、展示側の思いを感じ取って帰ってくれるのだろうか?
私は、広島の街を歩いていても思うのだけれど、
原爆で被爆を受けながら多くの人が死に、今もなお苦しんでいるのは日本人としてよく知っているつもりだけれど、
戦後50年も経って、これだけ街の復興を目の当たりにすると
フラッと来た海外の人たちは、原爆を落としても50年も経てば元に戻ってるじゃん、などと思われないかと不安を感じたりもする。
平和記念像の前では、とてもたくさんの小学校の子供たちが次々と団体写真を撮っている。
こんな小さな子供たちの写真であれば、たぶんに“来ました記念”の写真になりがちだろうけれど、
私の場合は、その記憶がなくなってしまっていたために再びここに訪れたとすれば、小さい頃の写真の効用って如何ばかりか大きな疑問になったりもする。
# にしても、ここに訪れたのに私は歳取り過ぎてるでしょうが。
平和記念像の脇から天主堂が見えたので、そこに向かいます。
到着した時には、閉館10分前だったので、入館は諦めて、
P.S
しかし、長崎って、、、
鎖国の時代から開国していて、そこに多くのキリシタンを得ながら
彼らは、幾多の迫害を受けながらも頑張ってきたのに、
そこに原爆を落とすキリスト教国ってどうなの?
浦上天主堂の建物を見ながら、そんなことをしみじみ思う。