ネットに流れてきた。
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日々、人々が品位ある記事にPVやお金を与えていれば、
「マスゴミ」もゴシップを追いかけなくていいわけで、
パパラッチと読者は共犯関係なんですよ
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ほんとにそうだよなー、と思う。
けれど、逆に、きっと無理だよなぁ、とも思う。
そもそもコンテンツを提供するマスコミ側が視聴率や読者数のアップや人々の扇動を目的としていれば、
安易な記事や本能や欲望をくすぐる記事を提供してでも目的を達しようとするわけで。
そして、その為に品位のないタイトルをはじめ、さまざまなモノを仕掛けてくる。
それに抗うのは、きっと相当難しい。
でも、なんとか自分を失わないようにしたいものである。
遥か昔、半世紀も前、そう高校生だった頃、私は放送部に所属していた。
そこでテレビやラジオの「習慣的視聴」と「選択的視聴」という言葉を学んだ。
その後時代は流れ、テレビもラジオも録画できるようになり、
選択的視聴がずっとしやすくなった。
私は近年、録画されているものしか見ないようになった。
見たいものがあったら、まず録画をセットする。
そして、それ以外は、決して見ない。
家に帰ったら、とりあえずテレビをつける、なんてのは言語道断。
それが「選択的視聴」の基本である。
ただ、インターネットの時代になってくると、それも難しくなってくる。
情報が垂れ流され、SNSでは、興味のないものまで濁流のように流れてくる。
選択することすら難しいのである。
で、あれば、いっそとりあえず、すべてスルーしよう、と思う。
「それじゃぁ時代に乗り遅れるよ。」なんて言う人もいるけれど、
今や何を知っていれば時代に乗っているのか、
何を知らなければ時代に乗っていないのかもはっきりしない世の中であれば、
何もかもが、極めてどうでもいいことにしか思えなくなってしまった老人である。
P.S
そして、そんな私のSNSの使い方は、、、
自分で保持する必要はないけれど、捨てるには惜しいデータをアップし、
つぶやきたいことがあれば、つぶやく。
そこには、他人の反応なんかまったく気にしないし、
他人のつぶやきもほとんど追わないし、、、。
まさにこのブログも書きっぱなしで、コメント欄もなくして人の反応もお構いなし、、、
広告も載せなきゃ、ビューカウントも気にしない、、、
それは、単なる記録やメモに過ぎず、、、そう、いわゆる単なる日記です。
私もいつも低次元なコンテンツを垂れ流していて、、、すみませんね。