平重衡が斬首となった。
大河ドラマ「義経」の中での話である。
最後の瞬間の今際の時に、
その斬首会場にどこからともなく奥方が駆けつける。
当然そこで繰り広げられる哀しいひととき。
そしてその時、重衡は我妻に言うのである。
「私の後を追いかけてはならぬ。寿命まで生きよ。」と。
(その寸前に奥方がどう考えていたかは、
あえて考察することはやめることにする。)
妻は、うなずくでもなく涙を流しながら彼を見続ける、、、。
そんな哀しいシーンであった。
その後、奥方は寿命まで生きたのだろうか?
確かに重衡もそれを願っていたのであれば、それはそれでいい。
さて、ここから割り箸に話を移す。
もし貴方が日本人であるならば、たぶん一度くらい経験があるだろう。
割り箸を二本に割いて、使おうとした瞬間、
一本がポキッて折れてしまった経験が。
いやいや、もっと言えば、使う前段階で割り箸を二本に割く段階で
一本が真ん中辺りでポキッて折れてしまった経験もお持ちのはずだ。
その時、貴方はどうしたか?
折れたまま使うこともあったかもしれないけれど、
新しい割り箸があれば、きっとそれを使うことになったであろう。
ならば、折れなかった方の割り箸の運命は如何に? まさに殉死である。
折れた方の割り箸は、もう一方の折れなかった割り箸に
人間には聞こえぬ言葉・声で叫んでいたのかもしれない。
「お前だけは生きよ!」と。
されどその声空しく、健康な割り箸もまったく使われることなく、
この世のステージを去っていったであろうおしどり割り箸夫婦。
彼らの冥福を祈りたい。
P.S
さて、更に思いをはせる。
ならば、、、 割り箸が折れてしまって、新しい割り箸を用意しながら、
折れなかった割り箸と新しい割り箸の片方を使って食事をし、
その役目を全うしたとする。
まったく最後まで新品のまま残された割り箸は、、、
裏切られ、浮気され、ともに逝ってしまった我が相方。
それを思い怨念に燃えながら、
やはり同じゴミ箱に向かうことになるのであろうか。
そのゴミ箱の奥深くで壮絶なバトルが繰り返されるであろう事は
容易に想像できる。
だから、せめて残された一本は、
今度いつか食べる「ところてん」の為にとっておきましょうね。
# ところで、「ところてん」はお箸一本で食べるもの、
# っていうのはご存知ですよね?
PM 07:35:16