2005年10月1日土曜日

10月1日都民の日に

 


 

 

 

 

 

 

 

 

私は、都民ではない。

(けれど実際に本籍は、東京都内だったりするのであるが) 

ちょうど旧芝離宮の前を通った時、こんな看板が目に留まった。 

「本日、都民の日。入場無料。」 

で、地方出身者は誰もが思うはずだ。 

「入場無料なのは、都民だけなの?」 

「そんな訳ないだろう。そもそも都民かどうかなんかわからないだろうし。」 

私の横に居た中年夫婦が、見事に私の疑問を蹴散らしてくれた。 

確かに、入場門で都民かどうかを調べて入場させていたら、哀しすぎるよね。 

でもって、私もちょっとお相伴に預かりました。 

写真は、中の光景です。

 

P.S

10月1日。なぜ私はこんなところを通ったか? 

実は、この日は、「法の日」であったりする。 

竹下桟橋のニューピア竹橋サウスタワーで、

とあるシンポジウムが開かれたのである。 

シンポジウムのタイトルは、

「法のコンシェルジェを求めて」 

法律をもっと身近のものに!全てはここに発する。 

そのために弁護士やローライブリアンの役目とは、、、

そんなシンポである。 

午後の半日、まるまるのシンポだったのだけれど、 

いろいろな興味と共にいろいろ考えさせられた内容であった。 

ただ、余りにもいろいろなことを感じられたので、

とてもここには書けない。 

その中のひどい思いをひとつだけ書いておこう。 

私は、法というものは、ある意味、現代の人間にとって鎧であり盾であると思う。 

この世には、価値観の異なる雑多な人間が同居している。 

そんな中での法は、いわゆる保身の為に重要であるけれど、 

同時にそれは、武器にもなりうる気がするのである。 

ひょひょっとすると、、、それは、米国の中でのピストルと

たいして違わないのではないか?と。 

もっとも、それ自体が直接人を傷つけるものではないけれど、 

世の闘争はもっともっと表面化して、

ある種、混沌とした状態になるのだろうなぁ。とも。 

されどそれは、私も必要なことであると思う。 

実は、私も調停に駆け込んだ経験を持つ。 

一度しかない人生であれば、今目の前にある闘争解決の方が、

どんな仕事よりも遥かに大切に思えるのである。 

それは、今闘争中である人間にしかわからないことであろうが、、、。 

お詫び。

I 先生殿 会場で「今度感想をお届けしますね。」と挨拶しながら、 

メールを書いては消し、書いては消し、

結局送れじまいになっている私をお許しください。 

とてもメールなぞには書ききれなく、、、。陳謝。深謝。

けれど、薬屋さんは、買いに来た人の症状を聞いてあげて いざとなれば、

少なくとも他の薬を紹介できる広い知識と対面技術を持つべきだと 私は思っております。 

(あ~、この数行さえもうまく表現できない自分が哀しい。)

 

 PM 10:19:36