2007年1月20日土曜日

決して許さない二者択一における第三の選択

もちろん、ものによるものなのでしょうが、、、

あなたが二者択一に悩むとする。
メニューでもいい、バッグでもいい、ネクタイでもいい。
あるいは、試験問題の解答でも有り得よう。
どうにも選べない。そんな状況にきっとあなたも陥ったことがあるでしょう。
どちらも捨てがたいのだ。
 
もちろん、両方とも選んでしまうことが許されれば、何も迷うことはない。
# それはそれで、また別種の問題が起きるものでもあるけれど。
 
でも、今、あなたはどちらかを選ばなければならない。
迷って、迷って、どうにも結果が導き出せない。
感情に流されることもあるでしょう。
ロジカルな思考の結果、選べないこともある。
さまざまな葛藤のなかで、選択が出来なくなってしまう。
 
やがて、苦しくなってきて、どうしてよいのかわからなくなる。
そんな時に思いつくことがある。
どちらも辞める。という選択。
二者択一における第三の選択である。
 
もちろんこの第三の選択も、選択のひとつではある。
けれど、私は、この第三の選択は認めない。
人生の中でやっと巡り合った選択の機会なのである。
しかもどちらとも好ましくて諦められない選択なのである。
そんな選択の機会を、たとえ苦しくなってきたからといって、
両方とも捨て去ることは、もっとも贅沢な、幸運と努力を放棄する愚行為だと思う。
人生の中でそんな愚かな行為があるだろうか?
私は、そう信じている。
 
だから、迷えばいいと思う。
苦しんで苦しんで、どこまでも迷えばいいと思う。
そして、その迷いつくした結果、別にどちらを選んでもいいのである。
迷いに迷って、考えて考えた結果だもの、
どちらを取ったところで、諦めがつこう。
 
仮に間違った結果であったと後で気が付いても
その選択の時点では、それがいいと信じた、それがいいと賭けたのであるから
その選択を後悔することではない。
そもそもそれを選ぶ運命だったのだ。
私は、そう思うことにしている。

もし、その選択が失敗だったと後で気づいたら、
なにもそれからそのリカバリに努力すればいい。
だから、私は、その二者択一の第三の選択を許さない。
 
 
P.S
けれど、フト思うことがある。
もし私が選ばれるモノであったとしたら、、、
私こそが選ばれるべきものだと必死で主張するであろう。
やっぱり負けたくないし、やっぱり選ばれたいから。
 
けれど、どうにもその主張が通らなくて、やっぱり選択者を悩ませる結果が続くとしたら、、、
そして、その選択者を苦しませることになってしまって、見ていられなくなってきたら、、、
 
きっと私は、自ら諦めるであろう。
やはり、私の世界観と選択者の世界観はきっと微妙に違うのだ。
きっとどちらを選んでも同じならば、私は諦めるから、もう苦しむのは、お辞めなさい。
そんな気持ちが湧いてくるような気がする。
 
今も私を二者の選択の余地に入れてくれていることを感謝しながら、、、
それは、私のやさしさだろうか?それとも単なる気弱さ?自信のなさ?
きっと私の愛が試されている瞬間に違いない。
 
 
PM 11:43:57