2008年4月22日火曜日

パッション

まぁかなり前の映画だから、ネタバレは許してたもう。

さてこの映画、イエスキリストが捕らえられ、十字架で処刑されるまでのお話である。
したがって、全編血みどろである。
鞭打ちのシーンは、かなり悲惨だ。

十字架を背負って歩いている時でさえも鞭打たれ、
十字架に磔る時のシーンは、とても観ていられない。

けれど思うんだ。
今まで聖書なるものは、やはり字で読み取るものだ。

あえて言えば、宗教画が、彫刻が、その想像を助けてくれるものであろう。
ある意味、それらはとてもきれいでロマンチックだ。

けれど、もし聖書のままを現実に映像に置き換えてみると、、、
確かにこの映画のようになるはずであろう。

そもそも過酷な残酷な仕打ちに耐えて息絶えたのがイエスキリストならば
それを現実的っぽい映像に置き換えれば、そのシーンは相当悲惨なはずだ。
言い換えると、聖書的には、悲惨でなければならないはずだ。

そういう意味では、監督メルギブソンのしたことは、単純で実験的で真面目だ。
が、キリスト教の人々は、これを観てどう思うのだろうか?

メルギブソンは、この映画でキリストの教えを少しでも伝えることに成功しただろうか?
いや、この映画の製作の目的は、きっと他にあるのであろう。

しかし、敢えて言わせてもらうと、、、
キリスト教国は、この教えをちゃんと身に染み込ませているのだろうか?

戦争・経済・政治、、、どれを見ても
いまいちキリスト教の人に及ぼす影響は、極めて少なそうな気がするのは、
私の偏見だろうか?

まさか、キリストの受難と復活で、
それまでのことがチャラになった、なんて思ってないよなぁ、、、。

# 重い話題になっちゃったな。


P.S

私は、宗教ものは結構好きなので、その類の映画は好んで見る。
天地創造から始まって、十戒、偉大な生涯の物語、最近は、マリアなど
結構小さな頃から見ていた。

けれど、この映画は封切られた時、その評判で映画館に行く勇気がなかった。
私は、キモイのがダメなのである。
けれど、やっぱ現実的なことも想像しないと、、、と鑑賞に及んだ。

案の定、目を覆うシーンも多かった。
しかし、思うのだ。
例えば、彫刻ミケランジェロのピエタは、本当に美しい。
けれど、現実は、上の写真のようだったはずだ。

絵画や彫刻は、文章よりも、より想像的なイメージをもたらせてくれる。
けれど、それと同時に、現実的なイメージからは遠ざけられてしまっている事実を
この映画は思い出させてくれたような気がする。