2006年5月10日水曜日

ダ・ヴィンチ・コード展 六本木ヒルズ

東京に出張の折に、地下鉄の吊広告でダ・ヴィンチ・コード展なるものを知り、
んー、と思いながらも行ってきました。
 
場所は、六本木ヒルズ52F森美術館。
何がすごいって、額をかたちどったソニーのブラビアに絵画がはめ込まれている。
もちろん解説を表示することも可能である。
未来の大都会の美術館はこんな形になってしまうのか?
と、未来の哀しさも実感。
ただ、現物の鑑賞体験はともかく、さまざまな絵画ととりあえず遭遇できるのは、いいことかもしれない。
とにかく、美術が身近である。
一応、音声ガイドも借りた。
一番の見所は、ミラノの最後の晩餐の実寸プロジェクタ表示である。
まぁ、私なぞの視力の低い者には、充分な気がした。

# というか、ちょっと懐かしかったな。
 
まぁ、この展、お勧めか?ときかれると、応えに困る。
ちなみに入場券は1500円です。おみやげに最後の晩餐クリアファイルを買いました。
 
P.S
同時に篠山紀信の写真展をやっていた。
セットで入場券を買うと安いというので、プラス1000円出して入場。
なんだよ、展望台の入場券だったんだ。
 
その一角に張られた篠山紀信の20枚ほどの写真。
ただ、六本木ヒルズからの眺めの横では、紀信といえども引き立たないよ。
それよか、回りは真っ暗で、ひときわ眺めが美しい。
アベックには、最高のシチュエーションである。
 
# が、ひとりスーツ姿で歩いている私は、
# 通常の3倍ほどの孤独感を感じたのであった。
# ガラスが、柵がなかったら、ひょっとして、、、自分がとても可哀想だった。

 

PM 04:50:38

2006年5月9日火曜日

人生というステージで将棋を教える。

将棋を教えている。教える方もそんな達人ではない。
最初は、相手の打ちたい様に打たせている。

が、ある時、
「そこは、そう打たないほうがいい。」
アドバイスをするものの、相手は、言う。
「でも、これでもまだいけると思う。」
確かにまだまだ先は長い。この一手が終わりを決するものではない。
「それなら、私は、ここへ。」と私が駒を進める。
 
そんなことを繰り返しているうちに、
やはり私の方が少しだけ上手である。
王手寸前にまで辿り着いてしまった。
 
さて、その後である。
教える立場としては、
「やっぱり将棋なんて面白くない!もうやめっ!」
て思われるのが一番辛い。
「じゃもう一回、最初っからやり直そう。」
人生将棋ならば、そんなことはなかなか出来ない。
ならば、ある段階のところまで戻って、また違う手で始める。
そんな繰り返しになろうか?
人生は、カット・アンド・トライの連続でありたい。
 
P.S
ダメだぁ、途中で何が書きたいのかわからなくなっちゃった。
それでも、載せてしまおう。

 

PM 07:34:02

2006年5月8日月曜日

記念すべき日、それは記念日。

人生は、本来ドラマに満ちている。
特に人間だもの、実にいろいろなことがある。
もちろん、いいことだけではない。
苦しいこと、痛いこと、つらいことも山ほど訪れるであろう。
だから、妙な因果関係の結果であっても
妙な事が起こり、それが初めてのことであれば、
それは、記念すべき日かもしれない。
いや、私は、それを記念日と呼んでいいと思う。

つまらぬたとえで言えば、
一昨日、私はいつも一人で行く行きつけのお店でバーボンの
42本目のボトルを入れた。
私の人生で、ひとりで、(といっても同行者に飲まれることもあったが、、、)
しかも同じ銘柄のウィスキーだけを
42本もキープしたのは初めてのことである。
私は、そんなのも記念日としてしまう。
 
そう考えると、
明らかに人生の折り返し地点を曲がったであろう私にも
まだまだ記念日が訪れる。
そう考えるとちょっと楽しくなりませんか?
 
P.S
ちなみに昨日も大切な記念日となった。
内容は、恥ずかしくて言えない。
でも、それを聞いたら、あなたもきっと言うはずだ。
「え? まだ初めてだったの?」

 

AM 02:03:10

2006年5月7日日曜日

冷静と情熱のあいだ

私の大好きな恋愛映画である。
映画の後で原作も読んだ。
2冊セットで450ページほどになる。
辻仁成がオトコの方からの想いを書き(blu)
オンナの方からの想いを江国香織が書いている。(rosso)
いろいろなところで、映画が原作と違う。原作の方がいい。
そんな論評が多いが、私は、映画の方が好きである。
監督は、ブルーでもなく、レッドでもなく、バイオレットを目指した。
と書いているけれど、ならばこのバイオレットが私は好きだ。
なぜ好きか?
なかなか言葉では言い表わせない。

ちょっとだけ軽くストーリーを書く。
(表現が下手なので、是非映画を観て下さいね。)
 
彼らは出会い恋をした。
まるで子猫がじゃれあうような恋の中、
彼らは何気なくひとつの約束をする。
10年後の彼女の誕生日にフィレンツェのドゥオモに登ろうというのである。
だが、ある日突然の喧嘩で別れることになる。
もちろん彼らは不本意であったが、誤解も環境のせいもあり、
成り行き上しかたなく別れることになるのだ。
 
さて、その後の10年間。
人生も10年もあれば、さまざまなことが起こる。
お互い他の異性とも出会えば、恋にも落ちる。
けれど彼らは、その約束をどうにも忘れることが出来なかったのだ。
 
10年も会わずに約束なんか覚えていられるだろうか?
きっと覚えている訳がない。きっと来る訳がない。
お互いにそう思いながらも彼ら別々に来て、彼女の誕生日の当日にドゥオモに登るのである。
 
そして、そこでなんと二人は劇的な再会を果たすのである。
パンパカパ~ン!(とりあえずハッピーエンドじゃん!)
だが、ここでこの映画は終わらない。
10年間の間には、あまりにも多くのことが有り過ぎたのだ。

しばらくの間、フィレンツェで時間を費やすものの、
二人のお互いの思いも繋げられぬまま、また二人は別れてゆくのであった。
 
が、、、。
と欲求不満がちになりそうなところで辞める。
安心してください。この映画はハッピーエンドです。
 
なぜ私はこの映画が好きか?あえて書けば、
10年間、お互いが会わずとも想い続けるその気持ち。
相手を気遣う葛藤や他の異性からの気持ちも最終的には棄ててまで
想い続けるその行為が、私には、あまりにも哀しかった。
 
けれど、それ以上に嬉しくもあったのだ。
10年は長い。その時間に負けなかった二人は、本当のカップルであり、
寄り添うべき一生の伴侶にふさわしいカップルに思えて仕方がないのである。
 
人間には、赤い糸は見えない。
いったい人類の何パーセントが赤い糸を手繰り寄せられているのか?
私は、甚だそんな疑問を持っている人間である。
彼らを繋ぐその赤い糸の強さと、
それをやっと手繰り寄せられたカップルをそこに見た気がするのである。
そして、この映画を観て、妙に安心して、ホッとするのである。
なんかうまくかけなかったのが悔しい。
とりあえずHPは、こちら。(←は、もうありませんでした。)


P.S
今日は、大切な記念日として、これを記しておこうと思った。
恥ずかしいので問い合わせ不可。


AM 01:43:19

2006年5月6日土曜日

ある開発者の場合

ある開発者がいる。

開発者なんて、技術や知識を持っているものの、
自分でテーマそのものを見つけられる能力があるかどうかは、
また別問題である。
 
開発者にとって、何が恐いことかって、自分でテーマを決めることである。
決めたテーマは、本当に意味があるのか?
単にそう思い込んでいるだけじゃないのか?
思い込みで長い年月をかけて開発して、出来た時に意味のないものだったりしたら
それこそ無駄な人生を送ったことになってしまうのじゃないか?
開発者は、時には、そんなことにも悩む。
 
ところが人生のあるポイントで開発者は、依頼者に遭遇する。
彼は、うれしい。
開発するテーマは、ともかく、その依頼者の為に、、、と思えば、何も心配することはない。
何しろ、少なくとも、その依頼者が欲しがっているものなのだ。
さらに開発者にとって幸せだったことは、
そのテーマが彼自身にとって、とても好ましく、納得できるものだったからだ。 
出来るかどうかはわからない、けれど、やる意味は充分にある。
 
彼は、更に思いをめぐらす。
完成した時の自分のきっと満足しているであろうシーンを。
依頼者も開発者自身もきっととても幸せな状態であるシーンを。
 
ところがいざ始めると、開発者は、その内容の難しさを知ることになる。
もちろん彼は自分の思いつくすべての可能性を論理的に実行し、
間違いはないはずだ。そう思っている。
 
年月は流れる。
最終結果は、まだ得られていない。
もはや最終的な夢のイメージは失われ、
ただただ彼は信じてやるべきことを黙々とこなしている。
その作業は、きっと完成へとつながっているはず、と信じて。
 
ところが人の一生の1割程度の年月が過ぎたころ、
依頼者は、彼に言ったのである。
「もう、いいです。」 
そう言いながら別のものを手にしている依頼者の姿を彼は見た。
 
彼には自信があった。
依頼者の希望を充分に聞き、依頼者の本当に欲しいものを知っているつもりだった。
もちろん、今の現在の状態だって、今依頼者が手にしているものよりは、
ずっといいものだ、そんな自信だってある。
けれど、依頼者は、手にしたものを見せて、
これでいいんです。これがいいんです。と言う。
 
彼は、その依頼者の気持ちがわからない。
彼は、彼が想像出来うるさまざまな価値観で想像しても
その気持ちがわからなかった。
 
が、依頼者は、もう既に、これがいい。と言う。
その判断は、きっと彼の想像出来うる価値観の別次元なのであろう。
 
だが、彼が理解出来ようと出来まいと、依頼者がそう結果を出した以上、
彼に選択権はない。必要としていたのは、依頼者なのだ。
こんな結果になる前に、自分としての成果が
依頼者に渡せなかったことを彼は悔やんだ。
 
今、彼は、迷っている。
このまま、開発を進めるべきか?
なんとしても完成させて、依頼者の理想のものを手渡すべきか?
それとも依頼者が満足してしまったのだから、さっさと諦めて
もっとまったく別のテーマを見つけて始めるべきか?
 
今回のことを忘れさせてくれるような次の依頼者が現れるまで、
きっと彼は迷い続けるだろう。
しかし、開発者の彼にとって、こんなことは初めての出来事ではない。
彼のいくつかの開発品の中で、似たようなことは何回かあった。
けれど人生には期限があり、彼も歳を取った。あまり先もないのだ。
この年月の意味を必死に見つけようとしている彼の姿を見ているのは、
やはりとてもつらい。
 
P.S
あなたは、それでも彼の人生はまだまだ有意義だ。と、
きっと言うかもしれない。
きっとあなたの価値観で。
 

AM 01:28:41

2006年5月5日金曜日

信じ続ける、、、今も、これからも。

私には、信じているものがある。
 
けれど、
人間の世界だもの裏切られることもある。
 
もちろん、その裏切りが自分に伝わってこなければ、
ただただ、信じ続ければいい。
 
でも、もし、その裏切りを感じてしまったら、知ってしまったら、
それでも、私は、信じ続けるべき?
 
それとも、もう信じるのをやめてもいい?
 
信じる、信じないなんて、ただただ、こちらの勝手な行為なのだけれど、
今、私は、試されている。
今、私は、その人への想いの深さを試されている。

P.S
そんな苦しい人の世ならば、
次に生まれ変わる時には、もっと他のものに生まれてきたい、、、
なんて決して思わない。
 
信じる行為が出来るのは、人間だけ。
それに、信じ続けることは、幸せなことのはずでしょ?

 

AM 09:33:38

2006年5月4日木曜日

督促状がきたぁ。

写真は、税務署からの督促状である。 
今年、確定申告をした。
計算した結果から税金の追徴金額を算定して、振り替え用紙を提出すると、係りの人に言われた。
「貴方の場合、郵便局の自動引き落としになっていますから、
 この振り替え用紙はいりません。」
あ、そうだったな。
こういう時、確かに自動引き落としは便利だな、、、と思った。
 
が、引き落としはされずに、この督促状が届くにいたった。
 
なにこれ?
私の素直な感想である。
10日以内に支払わないと、差し押さえに行きます。的な
ちょっと怖い内容だったり。
既に支払われている方に入れ違いに届いたら、ご容赦願います。的な
一言もあったり。
ん?オレどっち?
何かの間違いなんだから、放っておきゃぁ、いいかぁ。
と思いながらも、どうもすっきりしないので、数日後、税務署へ。
税務署の担当者は、再度調べてみても、自動引き落としになっているので、何かの手違いで引き落としされなかったんでしょう。
と、お詫びっぽいお言葉をいただいた。
が、帰りがけの階段を下りている時に
担当者が追いかけてきて、私に言った。
あなたが期限内に申告しなかったので、自動引き落としの処理にならなかったんです。
と、お叱りっぽいお言葉をいただいた。
確かに期限から数日遅れて出したな。
 
なるほど、、、。
まぁ、そのお国のシステムの正確さと冗長性のなさを感じ取ることが出来た出来事である。
 
P.S
が、もうひとつ感じたことがある。
そもそも私の言い分としては、
「だって、申告時に、自動引き落としされます。って言ったのは、アンタの方でしょ。」
 
# と、心で思っても言わなかった私は、
 # 優しい人?小心者?面倒くさがり屋?
 
仮に双方に軽い思い違いがあって
遅れりゃ、督促状が届いて、面倒になるこちらと
間違っていても、すみませんでしたね。の一言で終わってしまうお国様と。
なんかアンバランスだなー。
そして、そのアンバランスな世界で生きている人間達は、
きっと価値観の相違を生むに違いない。
んー、あっちの世界で生きたくないな、、、。
そう思ったりも。
 
# 内容が危なくなってきたので、ここでボツ。

 

AM 09:23:04

2006年5月3日水曜日

アイ ロボット

CGがよく出来た映画であります。
私は、それなりに楽しめました。
時代が進んで、ロボットの技術発展に対しても、人間はあまり変わらんな~、と思えてしまいましたが、それは結構事実かもしれないなぁ、、、とも。
 
 

P.S
ロボット三原則というのをご存知だろうか?
 
第1条:
ロボットは人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過する
ことによって人間に危害を及ぼしてはならない。
 
第2条:
ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし与えられた命令が第1条に反する場合は、この限りではない。
 
第3条:
ロボットは前掲第1条および第2条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない。
 
の3項である。
 
私がフト思うのは、、、
未来の社会において、ロボットが何でもしてくれるようになって、人間が堕落し始めたら、ロボットは、ある日、大いに悩むであろう。

第1条にしたがって
ロボットである自分自身の存在が、人間に危害を与えているのではないか?と。
それでも人間は働けという。
じゃ、ロボットは自ら自殺するべきか?

この三原則は、あくまでも人類がちゃんとした人間であることが前提になっているんだな、、、。

そう思った私は、やはりひねくれ者か?


AM 12:51:57

2006年5月2日火曜日

女性用立ち小便器?

とある公園で見つけてパッシャ!
 
いやなに女性用のトイレに立ち小便器があったりして。
すごいなぁ~、と思ったりもして。
もちろん、子供用に用意したのでしょうけれど、
私は、これは不要な存在だと思う。
子供もこういったところから一人で挑戦して
自立してゆくのではなかろうか?
そんな機会を奪うことにならないだろうか?
そんな思いも浮かんだ。
 
P.S
どこかの銭湯みたいに、日替わりで男子用と女性用を入れ替えているかも。
ちゃうか、、、。

 

 

AM 12:13:42

2006年5月1日月曜日

リュークのリンゴ

いやなに、放っておいたリンゴが数ヶ月たったら、こんなんになった。
水気を失って、シワシワカサカサになり、腐り始めたり。
それを見て、
「そうかぁ、リュークは、死神の世界でこんなリンゴばかりを食べているのだろうなぁ、、、」
と思った。
ただ、それだけのことです。
では。
 

 

 

P.S
なんのこっちゃ?
と思われた方は、デスノートのキーワードでもお調べくださいまし。
しかし、終わってしまいそうだなぁ、デスノート。
終わり方に大いなる期待をしているのは、私だけではなかろう。


AM 12:00:47