とあるショッピングセンターの電気器具売場
ゲーム機売り場のコーナーでのこと。
小学生低学年と思われる男の子二人が、
展示されているデモ機でゲームをしている。
そして、後ろには、それを待つ母親がいる。
母親は、せかすわけでもなくゲームに興じる子供をただ見守っている。
貴重な時間を邪魔しないようにと、ただただ見守っている。
申し訳ない。いろいろ想像してしまう。
家ではゲームが禁止なのであろうか。ゲーム機自体がないのだろう。
それは父親が許さないのか?ゲーム機が買えないのか?
何気ないシーンのその裏には、きっと何かの事情がある。
せめてここでは楽しませてあげようという母の思いが感じられる。
彼は、キリよくゲームをし終われるのだろうか?
家に帰っても、ゲームがやりたくてモンモンとしないのだろうか?
私は終わってしまった人生での子供に関する葛藤が、
懐かしくもあり、哀しくもある。
ただただその家族の関係と生活がうまくいっていることを何故か祈ってしまう。
P.S
我が家は、遥か昔、ショッピングセンターのクジで
任天堂のファミコンが当たってしまったことがある。
子供が欲しがる前からファミコンが家に存在していたことが
我が子にとってよかったことかいけなかったことかは、
今となっては、わからずじまいである。
2018年7月12日木曜日
2018年7月10日火曜日
百万円と苦虫女
こういう物語は、好きじゃないな。
普通に生活している女性が、
何気に不幸に落ちてゆく物語。
普通に普通に生きたいだけなのに、
周囲は、彼女のそれを許さない。
誰も彼女に深い怨恨があるわけじゃない。
けれど、彼女は、普通に生活が送り続けられない。
まぁ、小説だもの。
そう信じたい。
しかし、蒼井優は、優柔不断な薄幸役が似合うなぁ。
だから、余計に観ているこちらの気持ちも重くなる。
そして、薄幸の女性は、本当の幸せが近くに来ても
それを捕まえられない。
そんな物語は、、、もういいっす。
まぁ、最後のシーンの次の瞬間は、
とりあえずハッピーエンドに繋がると信じて。
P.S
人生って、、、困ったものである。
ほんの僅かな出来事で、幸せになることが出来る人もいれば、
ほんの些細な出来事で、不幸になってしまう人もいる。
いやいや、今が幸せか不幸せかなんてわかんないよ。
そう思える今の自分は、間違いなく幸せであろう。
てか、どんな状況にもそう思えるように心がけているだけかもしれないんだけどさ。
普通に生活している女性が、
何気に不幸に落ちてゆく物語。
普通に普通に生きたいだけなのに、
周囲は、彼女のそれを許さない。
誰も彼女に深い怨恨があるわけじゃない。
けれど、彼女は、普通に生活が送り続けられない。
まぁ、小説だもの。
そう信じたい。
しかし、蒼井優は、優柔不断な薄幸役が似合うなぁ。
だから、余計に観ているこちらの気持ちも重くなる。
そして、薄幸の女性は、本当の幸せが近くに来ても
それを捕まえられない。
そんな物語は、、、もういいっす。
まぁ、最後のシーンの次の瞬間は、
とりあえずハッピーエンドに繋がると信じて。
P.S
人生って、、、困ったものである。
ほんの僅かな出来事で、幸せになることが出来る人もいれば、
ほんの些細な出来事で、不幸になってしまう人もいる。
いやいや、今が幸せか不幸せかなんてわかんないよ。
そう思える今の自分は、間違いなく幸せであろう。
てか、どんな状況にもそう思えるように心がけているだけかもしれないんだけどさ。
2018年7月8日日曜日
フェア・トレード
貴方は、フェア・トレードという言葉をご存じであろうか?
直訳すれば、「公正取引」である。
ちなみこの写真は、
チョコレートのパッケージである。
フェアトレードというのは、
“発展途上国で作られた作物や製品を
適正な価格で継続的に取引することによって、
生産者の持続的な生活向上を支える仕組みです。 ”
# というのは、Wikiからの無断引用。
よく例に出されるのは、チョコレートのカカオ豆。
貧困な生産者から、極めて低価格で入手し、
世界中にチョコレートとして流通している現状が問題視されている。
# 実は、この課題は、高校生の英語の教科書で知ったりした。
今、手に取ったチョコの袋にその旨の印刷を偶然目にして、
「ふ~ん、そんな表記があったのかぁ。」と新たな発見。
さてこうなると、新たな思いが。
この表記がないのは、フェアトレードパス商品か?
今後、このマークの商品を買うべきなのか?
マークがないのは、中間搾取マージンの大きい商品なのか?
そんな難しいことを考えながら食べなきゃいけないチョコが
何ともうらめしい。
なんとも募金運動と同類の課題にでもなりうる。
中間マージンが大きいと言えども、
買わなきゃ生産者にお金は回らない。
どんなに途中で搾取されていても、
だからと言って不買運動なんてしたら、
貧困層の生産者はもっと困るであろう。
そう思って、今日もとりあえずチョコを買って食べる。
P.S
アンタ、そもそもカロリー摂取量は大丈夫なの?
という大いなる疑問は、横に置いて。
直訳すれば、「公正取引」である。
ちなみこの写真は、
チョコレートのパッケージである。
フェアトレードというのは、
“発展途上国で作られた作物や製品を
適正な価格で継続的に取引することによって、
生産者の持続的な生活向上を支える仕組みです。 ”
# というのは、Wikiからの無断引用。
よく例に出されるのは、チョコレートのカカオ豆。
貧困な生産者から、極めて低価格で入手し、
世界中にチョコレートとして流通している現状が問題視されている。
# 実は、この課題は、高校生の英語の教科書で知ったりした。
今、手に取ったチョコの袋にその旨の印刷を偶然目にして、
「ふ~ん、そんな表記があったのかぁ。」と新たな発見。
さてこうなると、新たな思いが。
この表記がないのは、フェアトレードパス商品か?
今後、このマークの商品を買うべきなのか?
マークがないのは、中間搾取マージンの大きい商品なのか?
そんな難しいことを考えながら食べなきゃいけないチョコが
何ともうらめしい。
なんとも募金運動と同類の課題にでもなりうる。
中間マージンが大きいと言えども、
買わなきゃ生産者にお金は回らない。
どんなに途中で搾取されていても、
だからと言って不買運動なんてしたら、
貧困層の生産者はもっと困るであろう。
そう思って、今日もとりあえずチョコを買って食べる。
P.S
アンタ、そもそもカロリー摂取量は大丈夫なの?
という大いなる疑問は、横に置いて。
2018年7月6日金曜日
一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと
一生懸命だと知恵が出る、
中途半端だと愚痴が出る、
いい加減だと言い訳が出る
この有名な一文は、武田信玄の言葉である。
# ほんとかな?
ふと思い出して、高校生たちに教えると、妙に納得されたりして。
まぁ、私もこの一文に出会ったのは、もう30年以上も前。
客先のPCのスクリーンセーバーで表示されていたのを
妙に、「なるほどな。」と感心した記憶が鮮明になる。
いわゆる、グチも言い訳も、一生懸命ではないからなのだ。
そんな解釈の仕方がわかり易かった。
しかし、今の自分を見てみると、
言い訳はあまりしていない(と思うんだがな。)と思うのだけれど、
グチは、グチグチ言っているような。
やっぱ中途半端だからか、、、と反省したりもするのだけれど、
そんなすべての面で一生懸命も難しいよなぁ、と自分を弁護したりも。
なんだかなー。
P.S
もう既に、どんな素晴らしい格言も
素直に受け取られなくなってしまった自分の加齢が情けない。
# 加齢のせいなの?それ。
2018年7月4日水曜日
ペーパー・ムーン
1973年作である。
なのに白黒である。
# の理由については、Wikiででも。
母を無くして孤児になってしまった女の子が
詐欺師の(父の可能性が捨てきれない)男に
叔母の所まで送られてゆく道中の物語である。
道中も男は、聖書売りの詐欺を繰り返す。
それを何気に手伝ってしまう女の子。
いやいや、詐欺としての才覚は、実は女の子の方が上だったりして。
父ではないかと疑う女の子。それを否定し続ける男。
物語を書けばそれだけのことである。
けれど、それぞれのシーンが明るく楽しく、そして、切ない。
そして、そして、日々それを重ねているうちに、
お互いに離れられない存在となってしまったのであった。
この二人、実は本物の親子だったりする。
男役のライアン・オニールは、あの“ある愛の詩”の、である。
# って、オヤジ・オバサンしかわかんないっか。
女の子役は、テータム・オニール。
最初のシーンから、どんどん可愛くなっていくのも見ものだ。
最後のシーンに感動するかどうかは、貴方次第。
長く続く殺風景な一本道を去っていく最後のシーンは、
世の中がどうであれ、この二人は一緒に居さえすれば、
なんとかやっていけるんだろうな、と私には、思えた。
まぁ、古き善きアメリカンムービーでありました。
P.S
しかし、、、“ある愛の詩”とのギャップがデカかったなぁ。
そこを乗り越えるのがちょっと大変でしたわ。
なのに白黒である。
# の理由については、Wikiででも。
母を無くして孤児になってしまった女の子が
詐欺師の(父の可能性が捨てきれない)男に
叔母の所まで送られてゆく道中の物語である。
道中も男は、聖書売りの詐欺を繰り返す。
それを何気に手伝ってしまう女の子。
いやいや、詐欺としての才覚は、実は女の子の方が上だったりして。
父ではないかと疑う女の子。それを否定し続ける男。
物語を書けばそれだけのことである。
けれど、それぞれのシーンが明るく楽しく、そして、切ない。
そして、そして、日々それを重ねているうちに、
お互いに離れられない存在となってしまったのであった。
この二人、実は本物の親子だったりする。
男役のライアン・オニールは、あの“ある愛の詩”の、である。
# って、オヤジ・オバサンしかわかんないっか。
女の子役は、テータム・オニール。
最初のシーンから、どんどん可愛くなっていくのも見ものだ。
最後のシーンに感動するかどうかは、貴方次第。
長く続く殺風景な一本道を去っていく最後のシーンは、
世の中がどうであれ、この二人は一緒に居さえすれば、
なんとかやっていけるんだろうな、と私には、思えた。
まぁ、古き善きアメリカンムービーでありました。
P.S
しかし、、、“ある愛の詩”とのギャップがデカかったなぁ。
そこを乗り越えるのがちょっと大変でしたわ。
2018年7月2日月曜日
未来のあなたを助ける人、それは
未来のあなたを助ける人
それは今のあなたです。
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ネット上で「元気がでる言葉」なるサイトを見つけ
上の言葉が目にとまったので思わずメモ。
いやなに、ちょっと子供達に勉強を教えている身であれば、
この言葉は使えるな、と思った次第。
けれど、、、ふと思った。
「この宿題、明日のわたしにやってもらおう。」
っと、言い返されるのではないか?と。
P.S
などとそもそも思いつくアンタに大きな問題があるんじゃないか?
2017年6月14日水曜日
僕だけがいない街
あ、いえ、
なんか面白かった。
やっぱ時空を超える話が好きである。
どうやって時空を超えるのか、なんてのは問題にせず
そのストーリ展開を楽しめました。
原作が人気漫画ということであれば、
やはりそのストーリーの本質が面白いのでしょう。
そして、最後にやっとわかりました、タイトルの意味が。
「僕だけがいない街」。ちょっと哀しい。
原作は未読ですが、コミック8巻ということであれば、
うまく2時間にまとめられているのでしょうか。
やっぱり、まだ原作の方が面白いんだろうな。
しかし、ネタを知ってしまってから、
コミックを読み直したくなるほどには至っていません。
おススメ度は、特にありませんが、
この監督の情緒表現が私に合っていたのかもしれませんね。
私には、良かったです。
# ネタバレ避けるとなんも書けんな。
P.S
いつか、やがて来るであろう「私だけがいない世界」
まぁ自分がいなければ、関係ないやどうでもいいや、と思う。
けれど、単純に言って、いない方が良い世界っていうのも哀しいが、
いなけりゃ困るって状態で去るのも無責任であろう。
人生をどうやってフェードアウトするか、
ある意味、私自身の人生そのものが問われるのかもしれない。
2016年3月21日月曜日
歳を取ったもんだ
私と母は、毎週日曜日外でランチを取る。 ほとんど毎週同じ店に行くのだけれど 痴呆気味の母にとっては、毎回が新鮮だ。 「今日は、何が食べたい? お寿司?ステーキ?和食?それともトンカツ?」 そう尋ねると、母は決まってこう言う。 「トンカツが好きだけれど、しばらく食べてないからトンカツがいい」 そして、いつもと同じ経路を通り、いつものお店に。 お店の人は、お水とおしぼりを持ちながら 「お母さんは、いつものトンカツね。息子さんは?」 私は、なんとか前回と違うモノを頼もうとするのだけれど、 所詮、ハンバーグ2種とエビフライ定食の三種択一であれば、 あまり母のことを笑えないかも。 一瞬で終わってしまうオーダーのせいもあって、 母にはオーダーした記憶が残らない。 「まだ頼んでないよね。」「もう頼んだよ。」 目の前にトンカツが運ばれてくるまで、その会話を何度も繰り返す。 けれど、母は、トンカツを食べだすとまたこうも言うのだ。 「ここのトンカツは、ほんとおいしいよね。」 食欲自体は、健在だ。 トンカツ二切れほどを私に渡しながらも 一人前のご飯はきれいに平らげる。 食べている間は、世間話も何もほとんどしないのだけれど、 少なくとも母と私の時間が静かに通り過ぎてゆく。 P.S 食後、コンビニに立ち寄ってアイスクリームを買う。 母が食べるのは、いつもPinoだ。 公園の脇に車を止め、遊ぶ小さな子供たちを眺めながら、アイスをほおばる。 「アンタもあんな時があったんだろうかねぇ。思い出せないねぇ。 アンタは憶えてる?」 「当の本人は、小さくてほとんど憶えていないものでしょ。 そういうのを憶えているのは、大人の役目。」 そんな皮肉で私は応える。 「しかし、人生は短いわねぇ」「ほんとそうだね。」 公園のシーンを見ながら、6粒のPinoを食べ終わるまで、 同じ会話を何度も何度も何度も繰り返す。 そんな会話が苦痛にならなくなった自分もちょっぴり不安だけれど、 人生の終着点の近くにお互い居れば、 そんな会話で充分な気がしたりもして。 私も歳を取ったものである。 |
2014年3月24日月曜日
2013年5月12日日曜日
舟を編む
映画が終わって、やがて明るくなった頃
席を立とうとしたら、少し離れたところから若者の声が耳に入った。
「おれ、この映画観て良かったよ。」
同感である。
実に地味な映画である。
泣ける映画でもない。
いや、けれども飽きる映画ではない。
日本人の忘れていた価値観を思い出させてくれる映画である。
こんな生き方でもいいじゃないか。そんな想い。
そこには、真面目がある、誠実がある、思いやりがある、義理もある。
自分の出来ることを精一杯やれば、それでいいじゃないか。
回りの価値観に踊らされる必要はない。
自分の価値観で、信じたものを突き進めばいい。
実にお勧めである。
いろいろ語りたいけれど、これは言葉にするものじゃない。
是非、映画館で体感してもらいたいと思います。
# 良かった映画って、ほんとコメント書けないな。
P.S
そんなことを感じた私は、時代遅れだろうか?
けれど、映画のランキングを見ると、かなり上位に位置することは、
きっとまだまだ同感な人たちがいっぱい居るのがうれしい。
若者達にもこんな世界観があることだけでも知っててもらいたいな。
席を立とうとしたら、少し離れたところから若者の声が耳に入った。
「おれ、この映画観て良かったよ。」
同感である。
実に地味な映画である。
泣ける映画でもない。
いや、けれども飽きる映画ではない。
日本人の忘れていた価値観を思い出させてくれる映画である。
こんな生き方でもいいじゃないか。そんな想い。
そこには、真面目がある、誠実がある、思いやりがある、義理もある。
自分の出来ることを精一杯やれば、それでいいじゃないか。
回りの価値観に踊らされる必要はない。
自分の価値観で、信じたものを突き進めばいい。
実にお勧めである。
いろいろ語りたいけれど、これは言葉にするものじゃない。
是非、映画館で体感してもらいたいと思います。
# 良かった映画って、ほんとコメント書けないな。
P.S
そんなことを感じた私は、時代遅れだろうか?
けれど、映画のランキングを見ると、かなり上位に位置することは、
きっとまだまだ同感な人たちがいっぱい居るのがうれしい。
若者達にもこんな世界観があることだけでも知っててもらいたいな。
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