2006年8月9日水曜日

街の景観と原爆

不謹慎な発言かもしれないけれど、ちょっと書く。
 
8月6日、9日前後になると、テレビでは原爆の話題が増える。
 
戦後60年も経ち、その悲惨さを伝える語り部が減ることが問題視され、
日本人も、また、海外から来た人も、一度は、広島の原爆慰霊碑や原爆資料館へ訪れるべきであろう。と締めくくられる。
 
私もかつて修学旅行で行ったことがある。
けれど、小さな時の見学は、もはや夢の中である。
 
今年、出張の折に再度、広島の原爆資料館に訪れた。
写真、映像、文章、、、
さまざまな資料が、原爆の被害の悲惨さを伝え、ノーモア核爆弾を確かに思い知ることが出来る。
 
が、、、である。
 
資料館を出て、広島の街を歩く時、ふと複雑な思いにとらわれた。

資料館内に居た時には、その原爆の惨さはよくわかる。
されど、街を歩いていると、そこ広島はもはや近代都市の様相である。
原爆ドームを離れてしまえば、そこに原爆の被害の跡形もない。
 
それ自体をどうのこうの言うつもりはもうとうない。
けれど、外国から来た人の中には、こう思う人も居るのではないだろうか?
 
「原爆を一個落としたからといって、50年も経てば、こんなすばらしい街に生き返るではないか、、、と。
 
ならば、この際、あの国、あの街なんか、、、」
そう思う人間もいるのではないか?という私の心配。
 
私の思い過ごしであることを切に願う。
 
 
P.S
写真は、上から
・原爆ドーム
・爆発1秒後の火の玉
・原爆資料館を出て、慰霊碑、原爆ドームを望む
 

 

PM 10:26:01