私は、感想文を書くのが好きだ。
ある事象に対して、ちゃんと向き合い、深く考えてみる。
それを文章に書く。
書き終わった後に、自らそれを読んで
本当に自分の書きたかったことが全て書かれているかを確認し
ある程度の満足感が得られた時、
私の内面が、今ここに誰にも見える形となって存在しているのだ、と。
そして、それをなんらかの手段で残すことが出来るのだ。
たとえ、忘れてしまってもいい、その時はそのように考えていたことが、記録として残せるのだ。
生きる証として、生きていた証として。
そう思うと、妙に安心出来るのだ。
だから、私は、勧めたい、感想文を書くことを。
何も美しく、カッコいい文を書く必要はない。
いいモノを書こうとしなきゃいけないと思うから
感想文を書くコトが辛く嫌いになる。
映画を観る。レストランで食事をする。
「面白かった。」「美味しかった。」最初はそれだけでいい。
次に、
「○○さんが面白かった。好きになった。」
「○○が美味しくなかった。嫌いになった。」
次に、
「○○さんが、□□だから面白かった。」
「○○が、□□だから嫌いになった。」
そんなこんなの感想を書いていれば、自然に感想は細かくなる。
それを思いつくままに書き切った時、
あなたの想いが、目に見える形となって、そこに存在するのだ。
何も他人とその出来を比較する必要はない。
他人の感想を見た時に、自分が思いつかなかったコトが書いてあれば、
なるほど。とか、私は、そうは思わない。とか、、、
それもあなたの大切な感想である。あなたの気持ちである。
是非、あなたも感想文を書きませんか?
「△△をした。」「▽▽へ行ってきた。」だけじゃなく、
そこから派生するあなたの想いを書き出してみませんか?
生きている証として。生きていた証として。
P.S
学生たちへ
私も学生の頃、感想文を書くのが苦痛でした。
そもそもノルマのように課題を押し付けられてもね。
しかも、賞を取る目的があったりするから、
そりゃ、楽しくないし、苦痛ですよ。
でも、今は違う。
映画でも食事でも、今目に入ったシーンでも
自分の心が反応したコトを書いてごらん。
そうしていると、モノの見え方が違ってくる。
見えないモノが見えてくる。
# 見たくないモノも見えちゃうかもしれないけれどね。
一度、始めてみてごらん。きっと、楽しいから。
ある事象に対して、ちゃんと向き合い、深く考えてみる。
それを文章に書く。
書き終わった後に、自らそれを読んで
本当に自分の書きたかったことが全て書かれているかを確認し
ある程度の満足感が得られた時、
私の内面が、今ここに誰にも見える形となって存在しているのだ、と。
そして、それをなんらかの手段で残すことが出来るのだ。
たとえ、忘れてしまってもいい、その時はそのように考えていたことが、記録として残せるのだ。
生きる証として、生きていた証として。
そう思うと、妙に安心出来るのだ。
だから、私は、勧めたい、感想文を書くことを。
何も美しく、カッコいい文を書く必要はない。
いいモノを書こうとしなきゃいけないと思うから
感想文を書くコトが辛く嫌いになる。
映画を観る。レストランで食事をする。
「面白かった。」「美味しかった。」最初はそれだけでいい。
次に、
「○○さんが面白かった。好きになった。」
「○○が美味しくなかった。嫌いになった。」
次に、
「○○さんが、□□だから面白かった。」
「○○が、□□だから嫌いになった。」
そんなこんなの感想を書いていれば、自然に感想は細かくなる。
それを思いつくままに書き切った時、
あなたの想いが、目に見える形となって、そこに存在するのだ。
何も他人とその出来を比較する必要はない。
他人の感想を見た時に、自分が思いつかなかったコトが書いてあれば、
なるほど。とか、私は、そうは思わない。とか、、、
それもあなたの大切な感想である。あなたの気持ちである。
是非、あなたも感想文を書きませんか?
「△△をした。」「▽▽へ行ってきた。」だけじゃなく、
そこから派生するあなたの想いを書き出してみませんか?
生きている証として。生きていた証として。
P.S
学生たちへ
私も学生の頃、感想文を書くのが苦痛でした。
そもそもノルマのように課題を押し付けられてもね。
しかも、賞を取る目的があったりするから、
そりゃ、楽しくないし、苦痛ですよ。
でも、今は違う。
映画でも食事でも、今目に入ったシーンでも
自分の心が反応したコトを書いてごらん。
そうしていると、モノの見え方が違ってくる。
見えないモノが見えてくる。
# 見たくないモノも見えちゃうかもしれないけれどね。
一度、始めてみてごらん。きっと、楽しいから。