2012年3月1日木曜日

私は、感想文を書くのが好きだ。

私は、感想文を書くのが好きだ。

ある事象に対して、ちゃんと向き合い、深く考えてみる。

それを文章に書く。

書き終わった後に、自らそれを読んで

本当に自分の書きたかったことが全て書かれているかを確認し

ある程度の満足感が得られた時、

私の内面が、今ここに誰にも見える形となって存在しているのだ、と。

そして、それをなんらかの手段で残すことが出来るのだ。

たとえ、忘れてしまってもいい、その時はそのように考えていたことが、記録として残せるのだ。

生きる証として、生きていた証として。

そう思うと、妙に安心出来るのだ。

だから、私は、勧めたい、感想文を書くことを。

何も美しく、カッコいい文を書く必要はない。

いいモノを書こうとしなきゃいけないと思うから

感想文を書くコトが辛く嫌いになる。

映画を観る。レストランで食事をする。

「面白かった。」「美味しかった。」最初はそれだけでいい。

次に、

「○○さんが面白かった。好きになった。」
「○○が美味しくなかった。嫌いになった。」

次に、

「○○さんが、□□だから面白かった。」
「○○が、□□だから嫌いになった。」

そんなこんなの感想を書いていれば、自然に感想は細かくなる。

それを思いつくままに書き切った時、

あなたの想いが、目に見える形となって、そこに存在するのだ。

何も他人とその出来を比較する必要はない。

他人の感想を見た時に、自分が思いつかなかったコトが書いてあれば、

なるほど。とか、私は、そうは思わない。とか、、、

それもあなたの大切な感想である。あなたの気持ちである。

是非、あなたも感想文を書きませんか?

「△△をした。」「▽▽へ行ってきた。」だけじゃなく、

そこから派生するあなたの想いを書き出してみませんか?

生きている証として。生きていた証として。



P.S

学生たちへ

私も学生の頃、感想文を書くのが苦痛でした。

そもそもノルマのように課題を押し付けられてもね。

しかも、賞を取る目的があったりするから、

そりゃ、楽しくないし、苦痛ですよ。

でも、今は違う。

映画でも食事でも、今目に入ったシーンでも

自分の心が反応したコトを書いてごらん。

そうしていると、モノの見え方が違ってくる。

見えないモノが見えてくる。

# 見たくないモノも見えちゃうかもしれないけれどね。

一度、始めてみてごらん。きっと、楽しいから。