2025年11月20日木曜日

国立西洋美術館 常設展示ガイド

先日、アプリで「ポケット学芸員 Pocket Curator」なるものを紹介しましたが

国立西洋美術館も常設展示向けのスマホ向け音声ガイドがありますのでその紹介。

こちらは、アプリではありませんが、ブックマークに入れておくと便利です。

サイトにアクセスして、そのまま「ホーム画面に追加」で専用アイコンも設定されますので、アプリライクで使えます。
 
サイトはこちら。
# 私のは、iPhone。Androidも同じかな?)
 
数は、30作品ほどしかありませんが、画と一緒に楽しめますので、自宅でも鑑賞可能です。
 
国立西洋美術館の常設展示を鑑賞する方は、是非事前に建物外で一度アクセスしてダウンロードしておきましょう。
 
 
P.S
 
私は、絵画を前にして、さて聞いてみようと思ったら、電波が入らなくてダウンロードできなくて泣きました。
 
# 私のは、ahamo。他のキャリアは建物内でも電波入るのかなぁ?





2025年11月18日火曜日

SNS禁止マーク

いやなに21世紀を感じるマークについて。

美術館では、最近撮影可の作品が多くなってきた感がある。
古い絵画であれば、基本的に著作権なんて、、、てな大きな心のノリだろうか。

ただ、今までは、撮影禁止マークか撮影可マークのどちらかに対して

なんとSNS禁止マークが現れた。

要は、“この絵画は撮影はしてもいいけどSNSに上げるなよ”マークであります。

なるほどなぁと思ってしまったけれど、気になるのは、それで撮影者は激減したりしたのかな。
いや逆に、それでも撮影する人は、その写真をどうしてるんだろう?

企画展などで撮影可の絵画の写真を撮影する人をよく見かけるけれど、
今どき、ネットでググれば自分で撮影するよりも高品質な画像が手に入ると思うんだけどな。

もっとも“観ました記念”の為であれば、充分理解できますが。
ちなみに、このマークをこのブログに載せようと思ったら、Bloggerくんに拒否られました。
したがって、SNS禁止マークがお見せできなくて残念です。

# けど、アップロード時点で拒否、、、さすがGoogleです。




P.S

しかし、フト思うのは、このブログもSNSになるのだろうか?

広告も載せず、いいねボタンもコメント欄もないこのブログは、単に私のひとり言のメモである。
情報を拡散してるという意味では、たとえ一方通行とはいえ、SNS扱いされるのかなぁ。

であれば、幾らか人を避けてる私としてはちょっと不本意であるな。





2025年11月16日日曜日

アンダー・ニンジャ

冒頭1分、おおおっ面白そうだっ!と思ったものの、、、

全編が、、、くっだらねぇ~っ!(ていうのはちょっとヒドいか?)

エンタテインメントと言えば聞こえがいいけれど、なんとも、、、ねぇ。

山﨑賢人、浜辺美波、間宮祥太朗、白石麻衣(とわかるまでかなりかかったぞ)、、、他は略。

であれば、ちったぁクールなカッコいい忍者(いやまぁカッコいいんですけどね。)を期待していたワケですが、なんともストーリーも脚本も演技も、、、冒頭のシーンからしたら、ちょっと裏切られた感。

いやつくづく思うのは、俳優というのは、(恥も外聞も捨てて)なんでもこなすところがすごいなぁ。

どこまでアドリブを採用したのかもわからないけど、ギャグに自分たちが笑いをこらえながら演じているのを許してしまっている監督の狙う先は、、、いったい?

ちょっと従来の映画性の進む先を混乱させる映画でありました。

役者さんのファン以外は、見てもしゃぁ~ないと思いますよ、はい。


P.S

でも、、、早送りもせずに見ました。

見終わって、レンタルショップでの選択を間違えたと思いました。

でも、、、カッコいい若者達は、見ていても苦にならないから困りますわ。

けどぉごめんなさい、私のおススメ度は、0(ゼロ)。






2025年11月14日金曜日

ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢

また?って気がしないわけではないけれど、やっぱ日本人は好きなのかな?ゴッホ。

今回は、家族絡みでのテーマでの企画展でした。@東京都美術館

まぁ兄のフィンセント・ファン・ゴッホの描く絵をただひたすら信じて援助する弟テオの兄弟愛には、ただただ眩しいものがありますね。

しかし、弟のテオ夫婦がいなかったら、兄はここまで有名になったであろうか?

そのテオ夫婦のマネージング能力と言うべきものは、単なる兄弟愛からくるものだけではないのだろうな。

いろいろ不思議でなりません。

いやもっと言えば、マネージャーが見つからずに埋もれていった天才画家も歴史上にはいっぱいいるんじゃないか?

そんなことも思います。

とまぁ不粋な思いは、とりあえず伏せて。

実は、この企画展を観る気になったきっかけは、机の上にある次に読む小説、

「たゆたえども沈まず」原田マハ

の予習になるかなー、と思って。

ちょっと楽しみな一冊です。



P.S

私の寝室には、ゴッホの絵が飾ってあります。

「アルルの寝室」

ゴーギャンを待ってゴッホが幸せに(?)激しく(?)暮らしていた時の絵。

幸せと部屋の広さは関係ないんだよ。

大学生だった頃の四畳半一間で過ごしていた時の自分を想い出しながら、そんなことを思います。

# でも、ゴーギャン出ていっちゃって、、、

やっぱ近すぎるのは良くなかったんだろうなぁ。ってネタはまたいつか。





2025年11月12日水曜日

物語る黒線たち デューラー

“物語る黒線たち”

デューラー「三大書物」の木版画展@国立西洋美術館

# いやいやこの展示はすごかったぞ。

デューラーは、15世紀末から16世紀初頭に活躍したルネサンス芸術家。

これからの版画技術を信じて、絵画を黒線だけで表現した。

今回は、「三大書物」の『黙示録』『大受難伝』『聖母伝』の連作シリーズを一挙公開。

その画の主題の表現をはじめ、その緻密さ、そして、ある種の美しささえも感じることが出来る作品群でありました。

いやもう一枚一枚に見とれてしまって、、、。

常設展示室内ですので、お安く見られます。
 
# オルセーの印象派の企画展だけで帰っちゃダメだよー!
# 企画展チケットで常設展示エリアも見られるんだし。

私としては、絶対におススメです。
 
  

P.S 

ちょっと部屋に飾るには、おどろおどろしいかもしれませんが、

その圧倒的な描画力にはアッパレです。








2025年11月10日月曜日

ラスト・ダイ・ハード

なんかひどいなぁタイトルの付け方が。

DVDのパッケージを見たら、「ラスト・ダイ・ハード」って書いてあるから、
お、ダイ・ハードのシリーズの最終話か?と手に取ってしまったものの

映画が始まってみたら、原題は「ASSASSIN」。

でもって邦題は、「ラスト・ブラッド 不死身の男」ってなんだよ。

もっともブルース・ウィリス最後の作品ということであれば、“ラスト”って単語を使いたいのはわからなくもないけれど、「ラスト・ダイ・ハード」をDVDタイトルにするか?ふつー。

しかも、ブルース・ウィリスはほとんど動かない。

# そりゃ仕方がないか、お歳だもんね。

そして、早々に撃たれて退場。
ん?生き返るゾンビ映画?って最後まで信じてたぞ。

# と、DVDパッケージのタイトルへの不満をこんなにも書いてしまったな。

さて物語は、SFである。

小さなクモ(?)を体内にもぐり込ませて

# うっ、キモッ。

脳にまで到達させて、その人間を外部からコントロールするというとんでもないハイテク物語。

脳からして乗っ取っとちゃうわけなので、誰が誰を乗っ取ってコントロールしているかがわからないと、
誰と誰が闘っているのかさえもわからなくなるというある種低質な複雑物語。

ある意味、オールマイティ的な憑依兵器なので
もっと簡単に敵をやっつけられるんじゃないの?

# と言ったら、ミモフタもないか。

で、最後のオチは、

「このまま乗っ取った体でいた方が、良くね?」
「いや、私は私でいたいっ!」ってズドン。

と、観た人には完全なネタバレで今日は終わります。

ふぅ。


P.S

ブルース・ウィリスは、、、

こんな映画のこんな出演が最後でよかったのだろうか、、、

そんな思いが残ります。






2025年11月8日土曜日

フランドル聖人伝板絵


「100年越しの“再会”」

とは、粋なタイトルを付けたものです。

というのも、

日本の国立西洋美術館所蔵の板絵と
ベルギーのフルーニング美術館で所蔵されている板絵が
同一な祭壇装飾であろうと確認されたとかで。

で、この度、それらを同時に展示しているわけです。
@国立西洋美術館



作者は不詳。
制作時期は、1525年とみなされているようです。

しかし、聖ヤコブの主題の2枚であれば、これらを繋ぐ主題の画が他にも地球上のどこかにありそうだよなぁ、などと。

それにしても、二枚の間で赤外線を使って下書きの様子の類似性を見つけたり、蛍光X線で絵具が同じであることを確認したり、あの手この手で二枚の共通性を見つけるんですね。

たった2枚の板絵の展示でしたが、そんな技術的なことも知ることが出来た貴重な展示でした。

中世美術に興味のある方には、必見かも、、、ですよ。(^o^!)



P.S

これも松方コレクションだった、、、とのことですが、、、

松方コレクション、、、やっぱスゲーっ。





2025年11月6日木曜日

印象派 室内をめぐる物語

オルセー美術館所蔵

印象派 室内をめぐる物語

@国立西洋美術館

もう20年近く前のことですが、一応、オルセー美術館に行ったことがある身としましては、なんとなく懐かしさを感じられるかな的な気分で。

# ただ、まぁ何を見たかまで覚えているわけでもなく、当然。

マネ、ドガ、モネ、セザンヌ、ルノワール、、、

# 途中から、国内所蔵作品もパラパラ混じり始めましたが

基本的に“印象派”なるものは嫌いではないので、観ていて楽しい。

# 一見は、難解じゃないからね。

本当は、背景まで知って観尽くすと、印象もかなり変わってくるのかもしれないけれど、こちとら音声ガイドで流れてくる程度の情報でしか見られなければ

全体として優しい画ばかりなので、明るい画であれば、
どれも部屋に飾っておきたい作品ばかりでありました。

やっぱ屋外の画も雄大だけれど、室内の画も緻密でいいよね。

基本的にほとんどが油彩なので、自分で描いてみようと思えず、純粋に鑑賞者側に徹しられてよかったです。

# パステル画に挑戦し始めているジジイとしましては。(^_^!)



P.S

上白石萌音さんの音声ガイドが、画に合っていて良かったです。

# と感じたのは、極めて個人的な思いかな。






2025年11月4日火曜日

Winny

観なきゃ観なきゃと思いながら経った年月の長いこと。
やっと鑑賞。

Winnyの製作者は、どんな人だったのか?
Winnyのあの裁判沙汰はどんなだったのか?

やっぱとりあえずは知っておきたいという思いの私。

というのも一時ユーザーでもあったからね。

Winnyを知った時に、なんてインターネットの世界にピッタリなソフトだろうとつくづく思った。

それまでのサーバーによるデータの一か所管理ではなく、
参加者がそれが断片的であろうともデータを共有していれば済むシステム。

サーバーのバックアップなどとる必要もなく
サーバーが壊れてしまったら、すべてオジャンになることもなく、
みんながデータを共有しあって、お互いに交換して、、、。

会社内でうまく使えば、サーバーも不要なこんな効率のいいシステムってないよね。
そう思ったものである。

が、そんなソフトもパブリックにさらせば、
当然、その使い方も人によっては乱れてくる。
そもそも管理者っぽい人もいないわけだし。

更には、公私の区別がつけられない人が利用し、
本来公共性があってはならないデータが、
パブリックに流出してゆくことになる。
著作権を無視したデータもWinny上に溢れかえった。

そして、その流出が警察署内だったりして、、、裁判になった。
確かに警察が原告ってのも珍しい。

被告は、Winnyの製作者。
容疑は、著作権法違反。

著作権法を犯す人間が現れたからと言って、その責任は製作者のプログラマにあるのか?が問われた。

裁判は、7年にも及び、結局、最高裁で無罪を勝ち取ったものの
その1年半後に製作者は、急性心筋梗塞で亡くなった。

# さぞストレスな10年を過ごしたのだろうか、とつくづく。

それにしてもなんだかなー、と思わずにはいられない。




P.S

良いモノも悪用されれば悪いモノになるのは、世の常だとしても

年に多数の死者が出てもなくならない車のようになるには
いったいこのWinnyはどのように育てばよかったのだろう?

インターネットが匿名でマナーも気にしない人間で溢れかえっている世界であれば、
いいモノをマナーを守ってうまく使おう、ということはやっぱり出来ないのだろうか。

なんだかなー。






2025年11月2日日曜日

ホームカミングデー


かつて卒業した大学でホームカミングデーがあるということで行ってきまして。

基本的に同窓会やOB会というのは苦手なので、大学へ行くのは、約40年ぶりです。

大学そのものもそうですが、駅から大学までの経路も含めて思いっきり懐かしがってこようと思っての参加でしたが、見事に思惑が外れました。

何故かって、その変容ぶりに。

大学なんて、ほとんどの建物は建て直され、学内の配置さえ変わっている。

室内の設備も一掃され、昔の面影なんか微塵もない。
そこで懐かしむことが出来るものは何ひとつなかったです。

いやぁ、40年という時の流れをつくづく感じました。

でも、ま、それが当然なのでしょうね。
40年も変わらない部分があったとしたら、それこそお化け屋敷になっているはずで。

しかしなぁ、つくづく思うのは、その財力はどこから?
いや、あへて追及しないことにしましょう。



P.S

私を知る人の中には、同窓会嫌いな私がなぜ?と思われる方もいらっしゃいましょう。

もちろん終活の一環ですよ。

どんなになってるかなぁ?
人生の最後にもう一回懐かしく見ておこうという興味本位からでしたが、、、

いや逆に気持ちいいほど懐かしむものがなくなっていたので
あとくされなくて良かったです。
 
ありがとう、そして、さようなら我が母校。