2004年11月12日金曜日

実写版「聖母像」

ピサの斜塔を観ての帰路のことである。

電車に乗った私は、一日歩きつかれてウトウトしてしまった。
空いていたせいもあって、とても快い眠りにおちいった。

何分たったのか覚えていない。駅の名も覚えていない。
その眠りを妨げたのは、ドヤドヤと乗り込んでくる人々であった。

その中にヤンチャ声を発する子供がいて、

「あ~ボクの前に座るなよぉ。」

という願いは、だいたい私の神は聞き入れてくれない。

ところが目の前にやってくると、実に愛らしいのである。
瞳は薄いブルーグレーで透き通るようである。

お母さんも質素な格好の中に教養が溢れていた。

一生懸命あやすお母さんと、それに反応するほんとうに可愛らしい子供のしぐさ。

ここ何日も美術館や教会で聖母の絵や彫像で食傷気味だった私は、
まるで聖母像の実写を見たような気がした。

イエスキリストだって生まれた瞬間は泣いていたであろう。
聖母がイエスの行いに困った事だってあるはずだ。

何を話しているかさっぱりわからないけど、
その母子に私はひたすら見入ってしまったのである。

写真からその雰囲気がわかっていただけたのなら幸いである。

P.S

と、突然、やんちゃな子供の前にお母さんがその子供のバッグからおもちゃを取り出し始めた。
いわゆるディズニーグッズである。

遊び慣れたおもちゃに子供は喜ばない。グズル子供にお母さんは大変である。

その時、私は、自分のデジカメのバッグにプーのアクセサリを付けていた事を思い出した。

それを子供に見せると、グズリがピタッと止まった。その時のお母さんのフォローも実に良かった。

言葉が通じないが、私のプーを子供に上げようとしても子供は恥ずかしがって受け取らない。
私は、行き場の失ったプーを電車の窓枠に乗せると、お母さんがその他の人形達をその左右に並べ始めたのである。

それが下の写真である。

ちなみに私のプーは、左から3番目。ペンギンの着ぐるみを着ているプーである。

最終的にこのプーは、子供が持って行ったのだが、私も肌身離さず持っていたプーである。

別れの瞬間と言うのは、突然やってくるものだな、とつくづく思った。

あえて、この別れをセンチメンタルチックにするつもりはない。

今後のプーの奇遇な人生をただただ祈るばかりである。

(尚、この数日後、またプーと出会うことになったが、それは後日に、、、。)

PM 01:34:14