いやなにコピーにコメントを付ける気はない。
ただ、「メガ」という言葉はいつ頃から使われるようになったんだっけな、と思っただけで。
メガ(mega)は、100万倍を表わす言葉であれば、「メガ感謝祭」なる言葉の感謝度はそれはそれは大したものだと思う。
# しかもそれに「超」が付いているし。
私の小さい頃、そう戦後10年もした頃には、“鉄腕アトム”は10万馬力だった。
10万と言えば100キロである。0.1メガである。
それでもなんとなくこの上ない単位を感じたものである。
そして、天満博士は、鉄腕アトムを更に100万馬力に改造する。
この時、“メガ”のイメージが誕生した。
もう絶対にありえなくね?というイメージだった。
でも、それから半世紀も経っても、未だに“スゴイ”イメージが“メガ”なんだな、と思うワケで。
この半世紀で、世の単位は恐ろしいほど進んだ。
メモリのサイズも、CPUのスピードも、とんでもなく上がった。
けれど、一般人間のイメージとして、未だに“メガ”という単位にスゴさを感じていたりするのは
なんだか世のスピードに感覚がついて行っていないんじゃないか?とフト思ったりもするわけで。
いやいや、それだけ手塚治虫がスゴかったのかもしれない。
半世紀前に既に“メガ”のイメージを持ち出していたことが、、、さ。
なんて、広告ネタに思考の散歩を楽しんだ地下鉄の中。
P.S
「超ギガ感謝祭」なる言葉が現れるのは、あとどのくらい?
いや、たまに広告に“ギガ”なる単語と接することがあるけれど、
でもまだまだギガはありえなくね?と思ったりしてしまう。
しかし、つくづく思うのは、ハードディスクの構造、精度は、ホントにすごいんだな、
それに、CPUのクロックも、、、さ。
「超ギガ感謝祭」なる言葉が現れるのは、あとどのくらい?
いや、たまに広告に“ギガ”なる単語と接することがあるけれど、
でもまだまだギガはありえなくね?と思ったりしてしまう。
しかし、つくづく思うのは、ハードディスクの構造、精度は、ホントにすごいんだな、
それに、CPUのクロックも、、、さ。