開所式を間近に控えしも
建築現場は、あいかわらず建築中であったりもする。
まぁ、建物が新規にもかかわらず、
とりあえずこの日本の研究センターの部屋を最優先で作り上げる、
という課題を現場は与えられていたようなので、
部屋こそ出来ているものの、上の階や外周は、殆ど未だ製作中だったりする。
ただ、到着日には、「まだ、こんな状態なの?」と思ったりもしたのだけれど、
いざとなると大量のマンパワーで作業してくれるので、
あれよあれよと出来上がっていくのに、意外性を感じたり。
# 最初っからそのペースでやってくれれば、、、と思うのは、
# 日本人の勝手な言い分であったりするんだろうな。
さて、建築現場の脇には、飯場がある。
トタン板で作られたような、ほんとにみすぼらしい建物であるが、
その狭い中で、たくさんの家族が生活している。
現場で作業しているのは、男性だけではない。女性もかなり多い。
工事材料を運び、掃除をし、床を磨いているのは、殆どが女性である。
きっとお母さんがここで働いているんだろうな、
夕方、人が少なくなってくると、子供達が、現場にやってくる。
お母さんが帰ってくるのが待ちきれないのかもしれない。
子供達が回りにやってきても、お母さんは決して手を止めることなく床を磨いている。
それを見ながら、子供が、ふとモップを取って、手伝い始めたり。
その自然の成り行きが、孟母三遷を現実に見たようで、
とてもうれしくなって、思わず写真を撮った。
ところが、そこに居合わせた男性の作業員は、それを見るなり、
子供を家に帰るように叱って追い払った。
まぁ、現場に子供がいたり、子供が中途半端な作業をしていたり、
そもそも危ないし、、、いろいろな意味で追い払ったのは、理解できる。
でも、なんだかとても淋しい思いにとらわれた。
結果的に私が追い払ったようにも思われた。
でも、彼らは、次の日も来た!
言葉は、まったく通じない彼らではあるけれど、
前日の申し訳なさを、何とか拭い去りたかった。
だから今日はちょっとだけ、彼らと遊ぼうと思った。
彼らと目が合った時、私が手品を見せる。そういつもの親指切りの。
その瞬間の彼らのビックリした顔。
そして、お母さんにも見せようとする彼ら。
子供がはしゃぐ姿に、ニッコリしているお母さん。
でも、お母さんの作業の手は、一瞬たりとも止まることはなかったのが、ちょっと沁みる。
やがて、そのやり方を教えてやると、一生懸命練習して、
お母さんのところに駆けて行っては、その手品を見せるしぐさ。
私にとって、彼らが天使ではなく、なんであろう?
そんな瞬間を、私は、とにかく記憶に残したかった。
彼らの写真をいっぱい撮った。
回りの人に、私と彼らの写真をいっぱい撮ってもらった。
次の瞬間、思った。
彼らの中にも何かを残せないだろうか?
こんなひとときがあったことを彼らに残せないだろうか?
押付けでも自己満足でもいい、何かを彼らに残したかった。
そんな時、ふと思い出した。
いつも私に連れ添っているプーのこと。
迷いもなく、彼らにプーを進呈した。
実にその時の彼らの喜びようったら、、、きっと私は忘れない。
どちらもイタリアからやってきたプーである。私と日本で過ごし、
長い旅の後に、カンボジアに落ち着くとは、思いもよらなかったんだろうな。
でも、頼むよ、プー。ボクらのために。
ガチャポンプーでも別れが辛いことがあるけれど、
私は、2匹のプーに、ここでの思い出の全てを託した。
P.S
この国が、貧富の差が激しい国であるということは、
それとなく私は知っている。
けれど、このプーを見て、日本人と接した想い出から、日本という国に興味を覚えて、
何かを目指し、何かを勉強し、それが、彼らの未来を明るくしてくれたら、とてもうれしい。
きっとその可能性は、ゼロではありませんよね?
フト手放してしまった私だけれども、
この小さなマスコットにかけた、私の想いのその大きさを、
この2匹のプーには、知っていてもらいたかった。
