で、オマエ、カンボジアに何しに行ったんだよ。
という素朴な疑問を持たれる方へ一応。
名古屋大学には、法政国際教育協力研究センター(CALE)なるものがあります。
そこには、アジアの国の法整備支援を目的として、各国に日本法教育研究センターなる部署を設置しているのであります。
ウズベキスタン、モンゴル、ベトナム、そして、今回のカンボジアとなりました。
各部署は、事務所をはじめとし、日本の書籍を集めた小さな図書室や教室を作ったりしています。
今回の私は、モンゴルと同様にテレビ会議システムとそれに伴うオーディオ・ビデオシステムの設置を目的にカンボジア入りしたのでありました。
モンゴルの際には、殆どの機器を日本から送りつけてしまったけれど、今回は、機器・配線材料を持てるだけ手持ちで搬入。
そして、アレやコレやを現地で調達して、”とにかく組み立てる”と”開所式にデモをする”のが使命でありました。
9月5日がカンボジア・日本の各重要人物を集めての開所式。
9月2日に私が初めて現場に着いた時の写真が1番上。
5日までに間に合うのかよー、というのが、素直な感想でした。
2番目の写真は、到着日の事務所の写真。
部屋は、単なる白い小さな箱でしかあらず。
テレビ会議システムの設置に行ったのに、
壁から出ていたのは、光のケーブル一本と、まだ端末処理もされていないLANケーブルが
壁からニョキニョキ出ているだけでありました。
# HUBをはじめとするネットワーク機器は、いつ届くの?不安の塊でありました。
初日の私の仕事としては、部屋の状態の下調べをして、とにかく買い物リストを作って買出しに行くこと。
けど、、、日本的に欲しいものなんて、なんも売ってないーよ。
で、とりあえず、手に入るもの、代替品の部品になるものを買ってきて、
次の日は、改造・製造・造り替えにひたすら没頭。
無線LANのユニットのインストールCDが割れてて、
メーカーサイトからマニュアルダウンロードしてマニュアルセットアップしたり、
中国製のテーブルタップは、蓋開けて全部バネを強くしたり、
まぁ、アドベンチャーゲームのような作業の数々。
で、最終日は、事務所は、3番目の写真のようにそれなりに。
テレビ会議システムは、最下部の写真のように、ウズベキスタン・ベトナム・日本・カンボジアの4地点同時会議が出来るようにはなりまして、
まぁ、とりあえずは、無事タスクを終了させることが出来ました。
とりあえずは、大きなトラブルもなく、まずまずの結果でよかったです。
P.S
私が、電気の技術者になろうと思ったのは、中学生頃。
当時は、まだ米ソの冷戦時代で、
人類は、最終的には、核戦争で、地球上は悲惨な状態になると真剣に思われていました。
もっとも核戦争になれば、生き残ることも難しいのだけれど、
万が一、生き残った時には、そこらに転がっている部品で物を作れるような技術者になりたいと思ったものです。
けれど、大学を卒業して、最初に就職して携わった仕事は、ロケットでした。
二段三段目の電気装備設計担当。
いくら最新技術といわれるロケットに詳しくなっても、その辺の部品でラジオさえも作れないような技術者にはなりたくない、と思って転職。
まぁ、その後は、いろいろやりました。
けれど、この歳になると、だんだんやることがやっぱり高尚になってきて、
気が付くと結局は、またICの内部を設計していたりする。
そんな時、こういう国に来て、モノに恵まれない状態で、とにかくなんとかする、という作業が、
なにかこう、昔の初心の原点に戻ったようでうれしかったりもする。
残念ながら、この歳になって、目も見えにくいし、ハンダゴテを持っても手が震えるようなおじさんになっても
とりあえずは、作業を完遂できる自分にうれしかったりもするのでありました。
