2004年11月30日火曜日

恥ずかしいけどミラノ

何も書くまい。

いまどきこんな写真を撮る人も少なかろう。

いやなに、恥ずかしいシリーズで成田を撮ったので、一応ミラノを撮ったまでのことである。

まぁ、成田と比べれば、静かなこしゃれた空港であります。

P.S

恥ずかしいので大きい写真が載せられないのが残念である。

一般的に恥ずかしい写真は、情報量が少なくなるのは、やむおえない事実であろう。


PM 11:33:24

2004年11月29日月曜日

ミラノのとあるリストランテにて

ミラノの街を歩いていて、小奇麗なレストランが目に入った。表に小さく「日本語スタッフがいます。」と書かれてあった。

別にそんな必要もないと思ったけれど、ちょっと珍しい雰囲気だったので、入ってみた。

何を食べようかと迷っていると、「それもおいしいですよぉ。お奨めです。」と背中から声が掛かった。

振り返って見るととても綺麗でかわいいお嬢さんである。

「んじゃ、これを、、」とオーダーするとメモを取りながら、カウンターの中にイタリア語でオーダーを通すのである。

「飲み物は何にしますか?」 決して営業も忘れていない。

ここで本業で働いているとは思えない感じであった。何かを目指しながらアルバイトをしているのであろう。

けど、それが何とも活き活きしていたのである。でも、あえて何を目指しているかは聞かなかった。

イタリアと言わず、どこの国にも日本人はたくさん居る。そして、アルバイトで観光ガイドやレストランでアルバイトをしている人たちをよく見かける。

きっとハイリスクを覚悟しながらも夢を追いかけているんだろうなぁ、、、何か忘れたものを思い出させてくれる人達である。

遥か前、私もそんな夢を持っていたことがある。それが私も英語を習い始めたきっかけであったはずだ。

けど、私は、そのハイリスクな世界に身を投じるには、いささか小心者であったのであろう。

食べ終わって店を出る時、「じゃぁ、何か知らないけど、がんばってくださいね。」と声をかけると

「はいっ、がんばりますっ!」と気持ちのいい返事が返ってきた。

幸せな人生をゲットしてもらいたい、と心から思った。

P.S

写真は、そのリストランテの支払いカウンタである。

何だか欲張りそうなおばぁさんが、今にもコインがあふれそうなレジスターの番をしている。

コインを整理した結果、同じ種類があふれてしまっているのかと思っていたけど、いざ自分が支払ってお釣りをもらう時、結局このコインの山からお目当てのコインを探し出そうとするんだから、結局ただコインが山済みになっていただけのようである。

しかし、、、こんな状態だと通りがかりの人がフッと掴んでいってしまいそうだもんなぁ。このおばぁちゃん、このレジ離れられないようなぁ。

めんどくさがり屋の欲張りばぁちゃんだろうか?

きっと大きな誤解を私は、ミラノに残してきたような気がするのであった。


PM 11:32:23

2004年11月28日日曜日

今回の旅、最後に訪れたスフォルツア城

写真は、スフォルツア城の正面である。

今回の旅の最後の観光場所となった。

もちろん目的は、お城もさることながら、ミケランジェロの未完のピエタである。

未完でも重要文化財となってしまうのは、なにもミケランジェロだけじゃないけれど、ミケランジェロとしては、後世に未完のものが展示され拝観されることが本意なんだろうか、、、と、作品を見て思ったりもした。

ただ観ているとどうってことないのであるが、偶然居合わせた観光ツアーのガイドさんの話は、実におもしろかった。

本当かどうかの真偽は、最後までわからないけれど、いろいろなことを考えさせてくれるという意味では、未完作品もまた楽しめるものである。

P.S

私のような凡人としては、妙に出来上がってしまって、凡人の才の限界を知られるよりも、

未完を唱い、その可能性を残しておいた方が、何かといいかもね、、、

と不謹慎なことを思ったことは内緒である。


PM 11:15:22

2004年11月27日土曜日

歴史と近代とかわいらしさと。

ミラノの街中の写真である。

思わず本能的に写真を撮った。

日本ではもう見かけない三輪自動車に、ガラスボトルのジュースであろう飲み物をいっぱい載せて。

急ブレーキをかけようものなら、悲劇的なシーンが起こりそうである。

が、実にきれいで、かわいらしかったのである。

歴史の街に、古い三輪自動車。

近代的なファッションとカラフルな飲み物を載せて、歴史と近代のコラボレーションを見たような気がするのであった。

P.S

私の小さい頃には、三輪自動車はまだ普通に街中を走っていた。

よく私も助手席に乗せてもらったものである。

ドアも囲いもなく、端っこに乗ると倒れてしまうんじゃないかと感じたものである。

小さい時のことである。


PM 11:00:39

2004年11月26日金曜日

「最後の晩餐」サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

ミラノへ行ったら、やっぱりダビンチの「最後の晩餐」を観ないわけにはいかない。

写真上は、そのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会内部である。

残念ながら、「最後の晩餐」は、ものすごいハイテクセキュリティに守られ、当然撮影禁止なので、写真でのご紹介はできないけれど、まぁ、今更私が解説するものではなかろう。

ちなみに写真中、下段は、教会の中庭である。

ご存知であろうか、「冷静と、、、」の映画で、柱にもたれて、あおいが順正からの手紙をしっとりと読むあのシーンである。

日本から予約を取ってまでして「最後の晩餐」が観れたのはとてもうれしかったが、同時にこのシーンにとけ込めたのもうれしかった。

という感想は、あまりに低次元? んなこたぁないよ!

P.S

ちなみに私も柱にもたれて写真を撮ったりもしたのであるが、当然それを公表する勇気はない。


PM 10:52:47

2004年11月25日木曜日

日本人にとってここはいったい?ガッレリア。

写真は、
下が、ドゥオーモ前の広場。
上左が、ガッレリア入り口の凱旋門。
上右が、ガッレリアのアーケードである。

ガッレリアは、本来、天井付近の絵画や舗道のモザイクや芸術としての価値が高いところである。

が、そのアーケードには、プラダをはじめ、様々なブランドショップが並んでいるので、日本人は、そちらに気を取られてしまいがちであろう。

ちなみにこのアーケードの天井のこの写真。
娘の高校数学の教科書の表紙にも載っていたりした。

されど高校生には、大して感動はなかろうなぁ。

P.S

アーケード中央にプラダがあった。

ちょっと入ってみた。

日本人だらけであった。

例に漏れず、娘にお土産のバッグなどを買ったりした私は、生粋の日本人である。


PM 06:12:04

2004年11月24日水曜日

正直言うと気持ち悪かったミラノのドゥオーモ

ミラノのドゥオーモの建物はスゴイの一言に尽きる。

何がスゴイかって、その建築の作りである。

ゴシック建築の大傑作というこのデザイン、何百もの尖塔のその細かさ。

決して手が抜かれていないように思われるその緻密さと大きさ・量には、目を見張るばかりである。

しかし、ここも修復中で、イマイチいい写真が取れなかったのが悔しい。

行かれる方は、屋上も必見である。

こわいけど、、、必見である。

P.S

ただ、私は、ちょっと気持ち悪い感想も持った。

尖塔のその細かさがまるで骨のようなのである。まるで巨大なエイリアンを思い出さされてしまったのである。

不謹慎かな。

自分には、いくらか尖端恐怖症の傾向が身についていると実感した。


PM 05:57:11

2004年11月23日火曜日

「冷静と情熱のあいだ」最後のシーン、ミラノ中央駅

写真は、たいしたシーンではないのであろうが、思わずパッシャ。

あの「冷静と、、、」のラストシーン、順正があおいを追い越して待ち受けるあのミラノ駅である。

あおいもこのシーンを列車から見ていたはずだ。

そして、その時、ミラノの駅に順正が先回りして着いているなどとは、夢にも思っていなかったはずだ。

感動まで、いや、本当の恋人に再会するまで、あと5分の場所である。

P.S

別に、私にとっては、旅行中の駅のひとつに過ぎませんが。さびし。


PM 05:42:37

2004年11月22日月曜日

ベネチアと言えば、、、そりゃぁゴンドラでしょう。

私は、映画ファンである。

小さい頃から父がよく映画に連れて行ってくれたため、比較的古い映画もオンタイムで観ていたりする。
ちなみに「2001年宇宙の旅」なども小学校でもらった割引券で父に連れて行ってもらったものである。しかし、今から思うにあの映画、文部省推薦だったのだろうか?

話がそれた。

で、映画に出てくるベネチアシーンには、当然ゴンドラのシーンが付き物である。それも必ずカップルと言っていい。どんな関係はともかく、オトコとオンナのカップルのシーンである。
(そうでもないか。最近観た「幸せになるためのイタリア講座」なる映画では、みんなでワイワイガヤガヤ乗っていたな。)

したがって、私の頭の中には、ゴンドラに乗るということは、かなりロマンチックで極上の出来事のように思えていたのである。

さて、そのゴンドラである。目の前にして乗ってみないわけにはいかなかろう。で、搭乗である。

写真は、ゴンドラから撮影

一番上は、牢獄へつながる「溜息の橋」である。

しかし、狭い運河をゴンドラが行き交う。

出会い頭でのゴンドラの操縦の巧みさは、ただただ脱帽である。

きっと重労働なんだろうになぁ、、、と思うのであるが、いとも自然に漕ぎ続け、静かに流れるように進むゴンドラに身を任せるのは、やはりロマンチックであり、贅沢なひとときである。

P.S

ゴンドラに乗ってみて、映画のシーンと違うどうしようもない現実に気が付いた。

自分が乗っているシーンの岸からの写真が撮れないのである。

今自分がゴンドラに乗っているシーンは、きっとあのシーンのように違いない、、と、心の中で納得せざるを得なかったのである。


PM 05:32:14

2004年11月21日日曜日

街並みは?、、、とサンマルコ広場の鐘楼に。

高所恐怖症の私もこの旅行で相当克服された感がある。

が、やっぱりベネチアの全体をザックリ確認するなら見晴らしの良いところへ、、、ということでサンマルコ広場の鐘楼に登った。

ここの鐘楼の良さは、エレベーターでてっぺんまで登れちゃうところである。

さて、写真解説。上から

・サンタルチア駅方面
・サンマルコ寺院方面
・サンジョルジョマッジョーレ島方面
・サンマルコ小広場

である。

高所から街を見下ろしてまず思うのは、家々々、、、である。

そして道がまったく見えない。

家がぎっしりで、道は路地のような小道しかないのである。

ベネチア観光初心者の私などすぐ迷ってしまいそうである。

しかし、火事が起きたらどうなるんだぁ?

要らぬ心配が頭をよぎった。

P.S

しかし、、、私の今までのベネチアの街のイメージは映画のシーンからのみと言っても過言ではない。

小さい時から「慕情」や「雨のエトランゼ」でベネチアをイメージしていたが、それはかなり断片的なシーンであり、現実は自分の想像とはかけ離れている事実に驚かされた。

まさに今まで、鼻だけを触って、象は蛇のような生き物だと思い込んでいた自分を再確認した。


PM 05:28:47

2004年11月20日土曜日

「おーーー!」が第一印象のベネチア

ベネチアに到着である。

サンタ・ルチア駅で電車を降りる。

初めての地ゆえに、右も左もわからず、とりあえず駅を出ようとして、正面出口へ向かう。

駅から出た瞬間、思わず声が出た。

「おーーー!」

どこの駅にもあるバス停や駐車場などまったくなく、目の前は、船の行き交う運河である。

この光景を見た感動は、何に近いのだろう?などと考えた時、映画「レニングラード」が思いついてしまった事実が、自分のテリトリの狭さを感じてちょっと哀しかった。

早速、水上バスのヴァポレットに乗り、ホテルの方向へ移動である。

運河の水は、やはりきれいとは言えない。されど、太陽の光で微妙に色が変わる。天気のいい時のグリーンは、まさにエメラルドグリーンに見えた。

さて写真は、上から

・サンタルチア駅前
・サンマルコ寺院
・サンマルコ広場
・サンマルコ寺院からサンマルコ運河のホテル方向

である。

P.S

ローマには、ただただイタリアの感動があった。

フィレンツェは、その街並みに目を奪われた。

そしてここベネチアは、何とも異国以上の驚きを与えてくれた。

さて、ここでこれからどのように過ごすのか?

いささかベネチアの予習を怠っていた私は、途方にくれてしまったのであった。


PM 05:22:17

2004年11月19日金曜日

最後にやっぱりドゥオーモとジョットの鐘楼

フィレンツェを離れる日、やはり最後にもう一度ドゥオーモとジョットの鐘楼を見に行った。

天気がとてもよく、この空の色は、間違いなく日本では見られない青である。(と思う。)

ドゥオーモも美しい。

この空の青と、ドゥオーモの白・ピンクなどの大理石の色のバランスが、ドゥオーモをなんとも荘厳で美しく仕上げている。

是非是非是非、あなたも一度その美しさに浸ってみてください。

P.S

フィレンツェに4泊。

ピサに行き、ボーボリを歩き、インターネットカフェにも行ったし、コインランドリーで洗濯もした。

短い間だったけれど、観光客だらけの小さな街で、いくらゆったり住人のように過ごしたと言っても、所詮住人になりきれるものじゃない。

いつかはこの街を離れることを忘れて過ごしたものの、やはりその時がくると、過ぎ去った時間はとても短く感じるものである。

世界中に行きたいところはいっぱいある。

けど、この街には、また来ることがありそうな予感がした。

10年20年経た後、またこの街に来た時、今のこの風景を懐かしむことの出来る幸せがその時にあるといいな、、、と思った。

PM 11:52:16

2004年11月18日木曜日

わかってうれしいドゥオーモ付属美術館

写真は、ドゥオーモ付属美術館である。

ここには、ドゥオーモの美術品のオリジナルが展示されている。

ということは、ドゥオーモを飾っている現在の展示品は、すべてレプリカということである。

それを知らずにドゥオーモを見て帰ってしまうと、すべては偽物を見て満足して帰ってしまうことになりそうである。

かと言って、レプリカも良く出来ているし、偽者に気付く訳でなし。
別に大して重要なことではないかもしれないけど。

まぁ、これが本物かぁ、、、と、ちょっと満足感に浸れます。

ドゥオーモの隣にある建物ですから、ちょっと立ち寄りたいですね。

もちろん拝観料は取られますが。

P.S

写真下は、、、

なんとクーポラの内側のフレスコ画を描いた時であろう足場の模型が陳列されていた。

今まで、どこでも巨大な球体内側のフレスコ画は、どうやって描くのであろうか?と不思議に思い続けていたものであるが、ここで全てが解明されたのである。

それにしても怖い足場である。

仮に私がいくらすごい芸術家であっても、こんな足場の上では、高所恐怖症の私は、とても絵なぞ描けるものではない、、、とつくづく思った。

この時代の芸術家でなくて良かった、、、と思った。

PM 11:30:30

2004年11月17日水曜日

行きました記念写真。(フィレンツェの部)

さて、ちょっとまとめて行きました記念写真である。

上から

・アルノ川(右手にヴェッキオ橋)
・シニョリーア広場
・サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場
・レプッブリカ広場
・ホテルの窓から右手にドゥオーモを見て

であります。

街自体が観光名所な訳ですから、観光者でいっぱいです。

フィレンツェの街は、そんなに大きくはなくて、家並みがぎっしりで、その間を旅行者達がうごめいています。

私もそのうごめいている一人であったわけですが、、、。

P.S

けど、そこに居る自分に幸せを感じたのは、紛れもない事実です。はい。

AM 12:09:47

2004年11月16日火曜日

あの順正とあおいが見たであろうクーポラからの眺めであります。

今回の旅行のメインイベントは、実はこのフィレンツェのドゥオーモのクーポラからの眺めを見ることでありました。

私は、あの小説「冷静と情熱のあいだ」の熱烈なファンである。映画版も大好きである。

なぜ好きなのかは、いつか映画のカテゴリーでじっくり書きたいのでここでは省略であります。

今回のちょっと残念だったのは、クーポラも修復中でまるで工事現場のようであったこと。

まぁ、それで眺めに支障はないけど、クーポラでの雰囲気は、ちょっとズタズタでした。

上の写真は、サンタ・クローチェ教会方面。
下の写真は、ジョットの鐘楼方向であります。

ぎっしりとした町並みは、昔のままなのであろうか?

映画「冷静と、、、」で眺めはなんとなく想像出来ていたけれど、実物の眺めはそりゃもぅ、、、
(筆記による表現不可能につき略。)

もうもう、感無量でありました。

(今日の日記、内容が薄いな。)

P.S

何組のカップルに写真の撮影を頼まれたことか、、、。

ボクって頼みやすい風貌なのかしらん?

ま、ひとりだったしねぇ。

PM 11:54:10

2004年11月15日月曜日

バイクショップ前でなかったような気が、、、

フィレンツェを歩いていて、ふと目に入ったのでデジカメをパシャっ。

すごい台数である。しかも頭を合わせて整然と並んでいる。
バイクのお店の前ではなかったような気がするし、ここは単なる路上である。

特に整理している人がいるわけでなく、学校などの前でもなかったような気もする。

とするとフィレンツェ市民は、とても几帳面なのか?
今までとてもそうは思えないシーンばかりだったので、何かとても異様な風景に見えたのであります。
(→すみません。フィレンツェ市民殿)

P.S

見習うべき市民習性(?)かもしれないけど、ちょっとねぇ、、、
と感じる私は、フィレンツェ市民には失格だな。


PM 09:36:41

2004年11月14日日曜日

深く反省のサンタ・クローチェ教会

写真上は、サンタ・クローチェ教会である。
ここも正面右側は修復中であった。ったく。

写真下は、左から
・内部全景
・正面ステンドグラス、フレスコ画、教壇
・レオナルドダビンチのお墓
であります。

ここは、ミケランジェロ、マキャベリ、ガリレオガリレイはじめ276のお墓があるとか。
で写真のダビンチのお墓はそのひとつに過ぎない。
片っ端からデジカメしようとも思ったりしたのでありますが、
全部ほんとかなぁ?と思った瞬間、メゲてしまった。

メゲてしまったから、本物かどうかの疑いが頭に浮かんだったとしたら、まずいぞぉ、自分。

んんん。

P.S

教壇の後ろには、ものすごい量の宝石が埋め込まれた宝飾盤があります。

が、それを見るためだけにも拝観料が必要です。

高価な宝石は見せるとお金が取れるんだなぁ。

お金持ちがよりお金持ちになり易い論理がここにも見えたような気がする。
もちろん、セキュリティーにかかる費用以上の拝観料収入がなけりゃ話にならないけどね。
でも、それはもはや広告手段、営業手段によるのだろうなぁ、、、。

この神聖な教会内で私の思ったことは、縁のないお金持ちのお金の儲け方についてであった。

深く反省。

PM 09:32:24

2004年11月13日土曜日

「ダビデ」は、デカい。

写真は、フィレンツェのアカデミア美術館の入り口の風景である。

私の行った時には、ご覧の通り長蛇の列であったけれど、私は日本で入場券の予約をしていったので、並ぶことなく入場できた。

さて無事入場。

いつものようにまずテレフォンガイドをゲット。これにはちょっと並んだ。

単に借りるだけなのであるが、これが結構時間がかかるのである。

まず、何語が欲しいかが尋ねられ、それに答えると、
その言語のメモリカードを探し、本体に差し込む。
簡単な動作チェックをして
さらにコート掛けのようなスタンドからヘッドホンケーブルを取り出し、それを付けて渡すのである。
私の時には、係員が一人しかいなかったので、結構手間取っていた。

さて私の番である。
何語が欲しいか?と尋ねられ、日本語と答える。
本体にメモリカードを差込み、動作チェックの後、手渡された。

しばらくして、私を見て係員がキョトンとする。
「アンタ、何でまだいるの?」後ろに並んでいる人達もそんな感じだったな。
このアジア人、なんかおかしいんじゃないの?そんな雰囲気に包まれた。

「オレ、まだヘッドホンもらってねーよ。」そう応えると
場の雰囲気は一斉に反転し、
「そりゃ聞きようがないよなぁ。」と後ろの人が大笑い。
係員も「スマンスマン」と慌てて用意してくれるのであった。

まぁ、雰囲気が良かったから良しとしよう。

さて、お待ちかねのミケランジェロの「ダビデ」である。

第一印象は、とにかくデカイ。
実際の人間の3倍以上もあろうサイズである。
しかし彫刻でありながら、よくもまぁこんなに忠実にこのサイズに作ったものかと感心してしまう。
撮影禁止の場内でそのサイズをご覧に入れられないのが残念である。
(何故か、どっかのホームページには掲載されていたなぁ。)

ちなみにその横にPCがあって、実像が取り込まれたCG画像ビューワがあって、横のトラックボールを動かすと様々な方角から拡大して見られたりするのである。
私は、かなりの時間をそれを見て費やした。
だってあの大きさである。頭の上とか見えない部分がいっぱいあって、それを見るには、あのCG画像を見るしかないのである。

もうひとつの目玉は、「ピエタ」である。
ま、細かい話は、詳しくないので避ける。

P.S

しかし、アカデミア美術館は、その有名な割には、狭く、あまり長居する必要がないポイントであったような気がするのは、やはり私は美術オンチであったのかも。

PM 10:16:00

2004年11月12日金曜日

実写版「聖母像」

ピサの斜塔を観ての帰路のことである。

電車に乗った私は、一日歩きつかれてウトウトしてしまった。
空いていたせいもあって、とても快い眠りにおちいった。

何分たったのか覚えていない。駅の名も覚えていない。
その眠りを妨げたのは、ドヤドヤと乗り込んでくる人々であった。

その中にヤンチャ声を発する子供がいて、

「あ~ボクの前に座るなよぉ。」

という願いは、だいたい私の神は聞き入れてくれない。

ところが目の前にやってくると、実に愛らしいのである。
瞳は薄いブルーグレーで透き通るようである。

お母さんも質素な格好の中に教養が溢れていた。

一生懸命あやすお母さんと、それに反応するほんとうに可愛らしい子供のしぐさ。

ここ何日も美術館や教会で聖母の絵や彫像で食傷気味だった私は、
まるで聖母像の実写を見たような気がした。

イエスキリストだって生まれた瞬間は泣いていたであろう。
聖母がイエスの行いに困った事だってあるはずだ。

何を話しているかさっぱりわからないけど、
その母子に私はひたすら見入ってしまったのである。

写真からその雰囲気がわかっていただけたのなら幸いである。

P.S

と、突然、やんちゃな子供の前にお母さんがその子供のバッグからおもちゃを取り出し始めた。
いわゆるディズニーグッズである。

遊び慣れたおもちゃに子供は喜ばない。グズル子供にお母さんは大変である。

その時、私は、自分のデジカメのバッグにプーのアクセサリを付けていた事を思い出した。

それを子供に見せると、グズリがピタッと止まった。その時のお母さんのフォローも実に良かった。

言葉が通じないが、私のプーを子供に上げようとしても子供は恥ずかしがって受け取らない。
私は、行き場の失ったプーを電車の窓枠に乗せると、お母さんがその他の人形達をその左右に並べ始めたのである。

それが下の写真である。

ちなみに私のプーは、左から3番目。ペンギンの着ぐるみを着ているプーである。

最終的にこのプーは、子供が持って行ったのだが、私も肌身離さず持っていたプーである。

別れの瞬間と言うのは、突然やってくるものだな、とつくづく思った。

あえて、この別れをセンチメンタルチックにするつもりはない。

今後のプーの奇遇な人生をただただ祈るばかりである。

(尚、この数日後、またプーと出会うことになったが、それは後日に、、、。)

PM 01:34:14

2004年11月11日木曜日

さよなら、ピサ。

写真上は、ピサ駅ホーム。
電車はこれから乗る電車。

写真下は、ピサ駅正面から撮影。

今日は、行きは、ピサ半日観光のツアーに加わり、ドゥオーモ広場を観光の後、その後はツアーの権利放棄をして、自由行動へ移行。

なんで?と問われる添乗員に、「斜塔を登る予約が取ってあるので」と応えると、他のツアー客からは羨望のまなざしが。

が、その後は、全部歩き。今日も結構歩いた。それに電車の切符も購入も自腹であるから、最初っからひとりで来た方が安いんじゃないのか?

とも思われたけど、日本語のガイドさんから得られたものは非常に大きいからして良しとしよう。

で、とうとう最後のピサ駅に到着。切符を買って、ホームで待つ。

P.S

ひしひしと思ったのである。

たぶん、いやどう考えてみても二度とここに立つことはないだろう。

いや決してピサがつまらなかったところではなく、とても田舎だからそんな気がしたのである。

そう思うと、電車を待つ間もなかなか感慨深いところがあった。

PM 01:31:13

2004年11月10日水曜日

行きました記念 San Paolo a Ripa d'Arno教会

上の写真はサン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会であります。

完全にロックアウト状態であったので中のことは全くわかりません。

これもピサ安息日の日だったから?
それともお昼休み?

とても残念だけれど、いろいろ資料を見ても、外観写真はみんなこんな感じだから、観光者に開放をしていないのかもしれない。

下の写真は、その裏手にあるサンタガタ礼拝堂。

サンタクロース方達の礼拝堂ではない。(オヤジギャグである。)

ここもロックアウト状態で、外観写真のみの掲載である。

P.S

どこかに裏の入り口があったのかなぁ?

したがって、この記録は、完全に「行きました記念写真」である。

(にしては、自分が写ってないな。撮ってもらう人も回りに居なかったんですよ。)

PM 12:47:36

2004年11月9日火曜日

ちょっと可哀想な騎士教会

ピサのサント・ステーファノ騎士教会である。

観光ガイドもWebでもその解説は少ない。

内部もシンプルで壁には、騎士の御旗(?)が飾られている。

解説も何もないと、結局何もわからないままとなる。

残念である。

P.S

観光地としても人気が低いスポットのようである。

でも、人気がないのは日本人にとってだけじゃないのかなぁ?

日本で言うと、武士の御旗を飾った神社のようなものか?

やっぱ人気ないかも。

PM 11:04:04

2004年11月8日月曜日

犬夜叉コレクターズボックス・イン・ピサ

ふとショーウィンドウに目をやると犬夜叉コレクターズボックスが目に入った。
(犬夜叉について知らない人は、自分で調べてね。)

おおお、日本の文化は、こんな片田舎までにも到達しているのかー、と妙に感心した。
(売れ残っている証拠かもしれないなぁ。)

ミニチュアマニアにはたまらないものもいっぱいあったのだが、店が閉まっていて見られなかった。

悔しい!

P.S

この日、ピサの街は、かなりの店が閉店であった。

街中が定休日の日にあたってしまったのかなぁ?

いいや、街中がお昼休みなんだよ、って言う人も居て、真実はわからないままである。

しかし、もし店が開いていたら、ここで相当のお金を落としたに違いない。

救われたのかもしれない。真実はわからないままである。

PM 10:44:25

2004年11月7日日曜日

なかなか粋な落書き?斜塔

ピサの街を歩いていると、歩道の地面に粋な落書を見つけた。

と、思った。で、パシャっ。

が、しばらく歩いていると幾つか見つけたので、これは単なる落書きではないことがわかった。

なかなか鮮やかなブルーでうまく書けている。

全体的に斜めでありながら、地上階は場所によっては、柱の長さが違っていたり、最上部は、また戻っていたりしているこの落書きは、なかなか正確な落書きである。
(昨日の文も読んでね。)

ちょっと画角が悪くて、そのサイズがよくわからない撮影をしてしまったのが反省点である。

P.S

完全に落書きと思いこみ、一瞬、足でもみ消してやろうかと思った自分が、今となってはこわい。

PM 10:27:40

2004年11月6日土曜日

人類にとってはツライ話のピサの斜塔

今日は、細かく写真解説。

左の写真の説明であります。

まず右側:ピサの斜塔であります。

実にこれは、話をし出すと長い。のでここでは割愛する。

がやっぱりちょっとだけ。

この斜塔、傾いた原因は、地盤沈下である。

三階まで作った時点で傾き始めた。ところが建築家は、各部の柱とアーチの高さで調節して何とかした。

が、その後も何度も工事を中断しながらも再設計を繰り返し、約200年もかけて完成させたのである。

最後の最後の頂上の部分は、地上に対して鉛直状態に戻っているのがおもしろい。(写真でもわかるかな?)

ちなみに左側の写真、上から

・最上部の通路。
・この斜塔、ほんとうは鐘塔なのである。その釣鐘群。
・そこに寝転ぶ女性達。ったく。
・塔上層階からの眺め。洗礼堂方向。
・釣鐘階を最上部から撮影

P.S

本来、この斜塔は、放っておけば倒れる運命にある塔なのであるとか。

現代になってさえも、それを莫大な予算と技術で斜塔のまま維持し続けているという事実がある。

最初の設計者は、地盤沈下の起こりやすいことも知っていたともいう。

まやかしで作り始めたものの、それを強行し続け、芸術となってからは、歴史的にその維持に人類の負担を強いられることとなった事実の象徴であるとも言う。

はじめついた小さなウソを隠し続ける為には膨大な労力を払うことになるのだぞ。

子供に諭すような内容を人類が地で実行している象徴であったりもしそうである。

PM 10:17:18

2004年11月5日金曜日

わずかに複雑な思いが残ったピサ・洗礼堂

これも美しい。

が、ここの美しさは、見た目だけではない。

内部は洗礼盤があれどもその空中空間は空っぽである。

が、その為にめずらしいすばらしい音響空間がある。

手を叩くだけでも、その響きが美しい。

ちょうどここの係員というか切符切りというかいわゆる関係者がその音響効果の実験をしてくれた。

彼が美しいトーンを発すると、この洗礼堂は、不思議な響きに包まれる。

そして、それが実に美しいのである。

定期的に実験をしてくれるようである。ちょっと待ってでも聞く価値はありますぞ。

ちなみに写真左下のライオンに注目されたし。

柱を支え、子らを養うたくさんの乳房を持った雄ライオンである。

比喩と象徴を重ねすぎた結果、現実のものではなくなってしまっていることがなんとも複雑な思いとなった。


P.S

案内人が言っていた。

このドームは、頭蓋骨のイメージで作られたとか。

中身の脳ミソを取り除けば、私もこんな音がするのかしらん?

試してみたくとも永遠に試せない課題も残った。

PM 09:33:22

2004年11月4日木曜日

美しきものは不実も許される?ピサ・ドゥオーモ

ピサのドゥオーモである。

実に美しい。

私の素人写真でさえも、白と空の青とがまるで絵に描いたようである。

内部も美しく荘厳である。

柱も装飾品もたとえ戦利品と言われても、その趣味は、私は好きである。

尚、下部の写真にかろうじて、ガリレオが振り子の法則を発見したというランプがぶら下がっているのが見えようか。

が、時代考証の末、どうもガリレオよりも後でぶら下げられたランプであるとか、、、。

美しきものには、不実の話も生まれて、それが許されてしまうことの証明かもしれない。

P.S

けど、私は、美人には騙されないぞ。

と思うのであるが、、、。

PM 09:09:01

2004年11月3日水曜日

真意が知りたいピサ・ドゥオーモの壁

ピサは、当時、軍港であった。

華やかな頃、イスラム軍に勝利し、各地との交易で栄え、建物の壁、内部の円柱なども略奪したものであると言う。

ちなみに写真は、大聖堂の大理石の外壁である。

文字がさかさまになっているのは、宗派が違う国から略奪した大理石だそうである。わざと逆さまにして使ったということである。

美しい大聖堂なのにねぇ、、、。

P.S

フト思ったりもする。

大聖堂は美しい。

こんなにきれいに大理石を切り出したり、積んだりする技術が既にあったわけである。

略奪した大理石に文字が彫られていたとしても、それを削り去る技術ぐらい既にあったのではないかと想像できる。

ならば、やはり見せしめの為にわざわざそのまま逆さまに積んで使ったのであろうか?

真意が知りたいものである。

PM 11:51:22

2004年11月2日火曜日

ま、ごく一般的撮影手法でピサ・ドゥーモ広場

ピサの斜塔はどなたもご存知であろう。

けれど、それがどんなところに立ち、周りがどういう状況などを知らない人が多いのではないか、、、と、紹介写真である。

写真は、ドゥーモ広場である。

建物は、手前から礼拝堂、大聖堂、斜塔と並んでいる。

正直言って、私も意外であった。

斜塔なぞは、一本立ちで存在しているのだろうと勝手に想像していたが、回りにも歴史的建造物が多く存在するのである。

せっかくだからそれぞれを紹介しようと思っているが、それは明日に続く、、、。

P.S

斜塔は、斜めに倒れかけているのである。

その斜塔を支えているかのように人は手を挙げて、斜塔と人との合成写真を撮っている。

その数多数。国籍も無関係である。

その撮影風景は、とても恥ずかしいのであるが、みんなが撮っている。

私も撮ってみたかったが、他人に頼んでまでは、、、ねぇ。

(ちょっと残念であった気もする。)

PM 11:35:11

2004年11月1日月曜日

虹の歓迎。

今からピサへ向かうバスの中、街に虹のかかるシーンが目に留まったので、パシャっ。

なんとなく歓迎を受けているようでうれしいじゃないですか。

ただ、それだけである。

P.S

デジカメを持っていると、単に虹でもとりあえず撮影してしまう哀しい性である。

しかもせっかく撮るとなかなか捨てられない性分であったりする。

けっして、ブログのページ稼ぎではないことをお伝えしたかった。


PM 02:00:30