2021年5月31日月曜日

「2010年代のNHK連続テレビ小説」主題歌人気ランキング

「2010年代のNHK連続テレビ小説」主題歌人気ランキングTOP20!
 
なる記事の見出しを見ながら、そもそも
全部で20作しかないだろうっ!とツッコみながら
 
あ~マスコミってやつは、、、と呆れながら、、、
それでも、そのタイトル列を見て、懐かしく思うのは、、、
なんとも複雑な気分である。
 
# けど、なんで2020年代に絞るの?というヤツは老人の証だな。
 
殆どが、物語の詳細を思い出せるものではない。
ただ、どの作品も、自分にとっての印象的なシーンは
ちゃんと記憶に残っているのが面白い。
 
たまにこうやって記憶を戻してくれるのっていいな。
記事を見ながら、そう感じたり。
 
けど、主題歌の好みは、個人で分かれるのは間違いなく、
そのランキングを決めるのは、どうよ。
 
そもそもサンプル数は充分と言えるのか?
と、朝ドラのファンであればこそツッコみたくもなる。
 
まぁ、タイトルなんかはどうでもよく、
想い出を一覧にしてくれたことには感謝しようか。
 
 
P.S
 
ちなみに、、、私の周辺にも
1週間分を録画でまとめて観ているという人がいるけれど、
毎日楽しみに観るのがルールでありマナーでしょうがっ。
 
と、視聴者側にもツッコませてもらいます。
 
 
 
 

2021年5月29日土曜日

ランボー ラスト・ブラッド

ちょっと元気がもらえるかな、
と思って視聴。
 
# 甘かったな。
 
ランボーシリーズ、一応、
なにかと追い続けてきちゃったので、
これが最後と言われれば、
やっぱりチェックしないわけにいかないでしょ。
で、ん~、、、
観ない方が、、、良かったな。
 
久しぶりに見るランボーは、やはりおじいちゃんでした。
見た目も、役柄も。
だから、なんだか痛々しい。

圧倒的な強さでやっつける前に、
やっつけられちゃうのも見ていてツラい。
 
# そんなワンパターンなストーリーはもう要らないんだよ個人的には。
 
で、結局、大切な人を助けられず、復習の鬼と化して
圧倒的強さで斬殺する。
 
にしても、今回の敵の質の低さがやはり哀しい。
 
# 毎度のことか。じゃないとランボーが単純に燃えないか。
 
けど、これがシリーズの最後なら、
最後ぐらい、スマートに穏やかに終わって欲しかったなぁ。
 
# って製作サイドは穏やかな終わり方のつもりなんだろうけれど。
 
おススメ度は、まったくありません。
けど、もし次が出てきたら、また観ちゃうんだろうなぁ。
ふぅ。
 
 
P.S
 
とりあえずランボーさん、人生、お疲れさまでした。
 
 
 
 
 

2021年5月27日木曜日

チーズの包みの裏側

いやなに、妙に感心してしまったので。
 
写真は、とあるメーカーのチーズである。
クリームチーズ好きの私は、いろいろな種類を食べてみるのだけれど、ふと包みのフィルムを引っ張った時に目に入ったこのフィルムのカーブ。
 
おおおおっ、と思わず声に出てしまったのだな。
 
ちゃんと手でつまむ部分を残してくれるこのカーブ。今まで遭遇したことがなかったので。
 
こういう些細なこだわりに私は感動しがちである。
 
まぁ、料理人には、面倒なカーブなのかもしれないけれど、
他のメーカーとの差にこういうところにも企業努力しているのであれば、
私は密かに嬉しい。
 
美味しいし、このチーズのファンになっちゃうなぁ。
 
 
P.S
 
PATを取ってたりするの?





2021年5月25日火曜日

無茶しないで何が面白いのよ


「無茶すんなよ。」
「無茶しないで何が面白いのよ。」
 
------
 
いやなに、ふと思い出したフレーズは、
映画「私をスキーに連れてって」からのセリフである。
 
雪上での車のレースを始めようとする女性とのやり取りであれば、
ちょっと命がけじゃね?
と私は素直に思ったりもしてしまうけれど、
 
バブル真っ最中の映画であれば、
その勢いが私には嬉しく感じたものだ。
 
そして、フト思ったりもするのである。
最近のオリンピック中止待望傾向の世論は、
ひょっとしてバブルの時期だったら違ってたんじゃないか?なんて。
 
# もっと違う思考の方が気になるところだけれど。
 
バブル以降、日本は深く暗い時代が続いている。
自己責任という言葉が闊歩し、ゼロリスクの思考が世にはびこっている。
 
それがネガティブな思考に向かわせていないか?
そんなこんなを思ってしまう。
 
 
P.S
 
交通事故だって、かつては、
コロナの死者数よりも多かった時代でも
車をやめようって話にはならなかったワケで。
 
けれど、2020年の交通事故死者数は、
コロナのせいで統計開始以来最小というのは
死者を減らそうとする自然の摂理か?
 
 
 
 
 

2021年5月23日日曜日

TENET テネット

も~わっかりにくい映画!
 
しかし、よくもまぁこんなわかりにくい映画を作ったもんだ。
確かに2回見直すハメになる。
 
けれど、なるほどぉ感には達するのですが、
ホントにすべて整合取れているの?
というのが素直な2回視聴後の感想。
 
# こんなん映画館で観なくてよかったよ。
 
まぁ、ネタバレは避けねばならぬ。
 
物語は、ワケも分からず始まり、
かなり後半で、そういうことだったのぉ?と気づけども
もう一回観るしかないじゃん。
 
で、二回観ればわかるというモノでもなく、
やはりググって全体のフローを探して、、、
え?とまた新発見をして、
あらすじを読んで、あ、ココでやられたのかぁ。
って、この人とこの人は同一人物なんだぁ。
 
もうメチャクチャですわ。
 
タイムマシン的なパラドックスもなにも
何でもアリなのがちょっとひっかかるけれど、
まぁ、深追いは辞めて、とんでもない映画を作ったものだなぁ、
と感心して、このコマを閉めさせてもらいます。
 
これから観る方は、覚悟して臨みましょう。
 
 
P.S
 
もう歳取ったら、こんなめんどくさい映画は、もうイヤ。
 
 
 
 
 
 
 

2021年5月21日金曜日

;と:

ノートPCの画面上で
 
;と:の区別が目に入らなくて
 
半日潰れた日。
 
コンパイラもエラー吐けよっ!
 
わかってたくせにぃ!
 
 
P.S
 
もう、この歳この目でプログラミングは無理っ。
 
 
 
 

2021年5月19日水曜日

介護施設のアンケート

私の母が入っている施設は
年に一回、アンケート調査がある。
その結果を見て、いつも考えさせられる。
 
預かってもらっている外部の人間からの意見の中に
実に辛辣な意見が含まれているのだ。
 
食事の味付けについてとか、温か味についてとかから始まり
言葉のかけ方や声の大きさにも、、、実に多岐に渡る。
 
もちろん施設にいる本人のことを思っての結果であろうけれど、
そのコメントの感性の違いに驚く。
 
我が家なんかは、預かってもらってる感が主流なので、
食事も入浴もオムツ交換も
もうやってもらえてるだけで感謝してしまう。
 
でも、人によっては、お金を払っている以上
やはりサービスの内容を査定し、
これはサービスとして最低限のことであろうと
いろいろ指摘するのであろう。
 
しかし、その指摘内容を見ながら、
そこまで言うか?と思うこともあれば、
それを言わない自分は、親に対する愛情の無さか?
とも思えたりして。
 
アンケートに接する機会があるごとに
いつか自分で感じることを書く機会になってしまった時、
どんなことを書く人間になってしまっているかが
今とても気になったりする。
 
 
P.S
 
しかし、私は本当に介護施設の方々には感謝でしかない。






2021年5月17日月曜日

おとなの事情 スマホをのぞいたら

世界18カ国でリメイクされ、
“世界で最もリメイクされた映画”
と言われるイタリア映画『おとなの事情』の日本版。

だそうだ。
 
まぁ細かいことを書きだすとネタバレになりそうだからサラッと。
 
まぁ、やっぱイタリア的でした。
 
# って、イタリア的ってどんなだ?
 
正直言って、こんなこと有り得ないでしょっ、
って言いたくなることが多いし。
 
# 映画だよ、映画。
 
最後も、こんなハッピーエンドで終われないでしょっ。
 
# どう考えても。
 
だから、イタリア的だと思った次第で。
 
観ていて楽しいし、笑える。
身につまされることも多いし、
わたし的に許せないことも多々。
 
けど、そこは、イタリア的に、、、
って無理。
 
この物語、どうやって終わるんだぁ?と思い続けながらも
最後は、確かに爽やかにハッピーエンド的に終了。
 
けど、、、よぉ~く思い返せば、、、
これから始まるんじゃないの?熾烈な闘いが、、、
と思うのは、私だけじゃないと思うんだがな。
 
まぁ、楽しかったですわ、一応。
 
けど、好きになれない物語だったな。
 
 
 
P.S
 
しかし、、、やっぱスマホは好きになれなくて
 
未だiPhone4Sユーザーの私。
 
 
 
 
 
 

2021年5月15日土曜日

ウィルス騒ぎを耳にするとついつい思ってしまう。

ウィルス騒ぎを耳にするとついつい思ってしまう。

かつての日本は、北里柴三郎や志賀潔、野口英世だって
世界の中でも有数な細菌学者が日本居たのに、
 
1960年代から始まったワクチンの訴訟問題で
長い時間かかって、、、結果は、国が敗訴。
国も薬剤メーカーもワクチンの研究から撤退してしまった。
 
良かれと思って子供に摂取して被害を受けた子供の親にとっては、
その気持ちもわからなくもない。
 
けれど、マスコミの報道の仕方も問題だったであろう。
ワクチンを打たないで病に侵されれば、自己責任扱いで
ワクチンを打って、問題が起これば、ニュースになる。
その不均衡さ。
 
その結果として、
ワクチンを打たないで病に侵される数を正しく吟味されず、
ワクチンなんかわざわざ打つ必要なくね?
なんて発想が広がる。
 
けれど、あへて言えば、この思考の流れは、むしろ自然かも。
だから、どこの国もそういった経緯がある。
 
そして結果、ワクチンは打つべきものであるという啓蒙が
国を挙げてなされる結果になっている。
そこが遅れている日本。

しかし、昨今だって、IPS細胞でノーベル賞を取る国だもの、
本来だったら、ワクチンメーカー王国で、
コロナワクチンを大量に輸出できる技術も能力もあるはずなのに、
あえて、自ら縛り付けている日本が悔しい。
 
そして、今この時も、
「ひょっとして自分はワクチン打たなくて済むんじゃね?」
「ワクチンの副作用怖いし、もうちょっと待つか。」
と思っている人が国民の半数だったりする現実。
 
もちろん判断するのは、個人でいい。
 
# 政治力で強制された方が思考的には楽なんだけどね。
 
けれど、そのための情報開示能力・方法が
マスコミを先頭にあまりにも稚拙な気がするのは
私の気のせいだろうか。
 
 
 
P.S
 
本当は、そういう時の物事の思考過程の訓練に
数学を勉強するんだと思うんですけどね。
 
# と、今日はこれが一番書きたかったことなんだけどな。
 
 
 
 
 
 

2021年5月13日木曜日

数学がどうしても好きになれないというキミへ

数学がどうしても好きになれないというキミにも
これだけは知ってて欲しいというコト

じゃんけんの確率の問題でどうしてもわからなかったら、
答えに1/3を選んでおけば、当たってる可能性が高いというキミ。

だから知ってて欲しい、じゃんけんってのは
本来とても平等なシステムのはずで
 
今も昔も宝クジってのはお金持ちを作るってことよりも
運営者がお金を集めるシステムだってことも

微積を勉強する意味がわからないというキミにも
知っておいて欲しい。

世の中は常に変化していて、
その微分の変化を知ると
ちょっと先の未来が予測できるってことを。

塵も積もれば山となる。
積分は気まぐれな努力でも続ければ大きな量になるってことがわかる。
そう、継続は力なり。


集合を勉強したら気づいてて欲しい。
集合Aがあったら必ず補集合¯Aが存在すること。
そう、キミの意見には、必ず反対の意見の人間もいるんだ。
 
しかも世の中は結構バラバラ。
その種類の多さ、傾向を知るのが統計。

地球1周40000kmで1cm浮かしたテープの地球1周分の長さは
6.28cmしか違わないってことを知っているかい。
それはピンポン玉でも同じ。
そう、感覚と実際は結構違っているんだよ。
その事実を知るのが図形の問題。

いい点数が取れなくても数学が嫌いにならないで欲しいな。
楽しくパズルをやる感覚でいい。
 
わからなくても答えを見て、なるほどなぁ~と思うのが楽しい。
わかることをわかったことを楽しんで。
 
そもそも一回で解けた問題は、
本来はやらなくてもよかった問題なんだよ。

そして、頭を柔軟に、深く考えるクセは、
きっとキミの人生を豊かにする。

その時々の流れに流されないキミを作る。

だからいい点が取れなくても数学を嫌いにならないで、
そうもっと数学を純粋に楽しもう。

そんなことをキミに伝えたい。







2021年5月11日火曜日

みをつくし料理帖

すみません。
主人公のこの役者さん、
NHKの朝ドラ「ひよっこ」のイメージが強すぎて、それを拭い去るのが大変でした。
 
「あんた、作る方よりも食べる方でしょっ。」
 
# って、冒頭からしゃぁ~ないこと書いてもう。
 
さてこの映画、
物語もシーンも泣けたりもして悪くはないのだけれど、なにか全体的に残念感が漂ってて、個人的には、残念でした。
 
それは、、、
配役もいいんだけれど、いまいちピッタリ感がないような、、、
料理モノであれば、はやり味も香りも伝わってこないし、
 
# 結局、見た目と想像力に任されているのは仕方ないか。
 
苦労と言っても、世間に認められるの、まだ早くね?とか
そもそも二人が離れ離れになってから、そんなに経ってなくね?とか
 
とかとかとか、そんな思いが浮かんできてしまうのは、
やっぱりこちらが歳を取ったせいだろうな。
 
原作は、きっと面白いのだろうなぁ。
なにかもったいない感が残りました。
 
 
P.S
 
だから歳寄りは嫌いなんだよ。
 
 
 
 

2021年5月9日日曜日

人生は時計に置き換えて

ネットからのヒロイモノであります。
 
-----
 
人生は時計に置き換えて、1時間3年にすると素敵ですよ。
 
6時で18歳、朝日を浴びて、8時で24歳、出社の時間、
10時で結婚する人はして、12時36歳楽しいランチの時間。
57歳くらいで家に帰り、大切な人に囲まれてディナー、
 
と行きたいところだけどまだまだ労働かよクソが

-----
 
最後の締めくくりに思わず笑ってしまったけれど、
この方は、30歳代かな?40歳代かな?
 
ちなみに私は60歳過ぎても働いているわけで、
今どきはまだまだ働く必要があるわけで
 
年金のもらえる65歳って、午後9時40分まで働くことになる。
まだまだ労働かよ、っていう感想は、この歳でも同じですよ。
 
 
P.S
 
しかし、、、
 
65歳過ぎたら、残りの時間が2時間20分しかないってどうよ。
 
 
 
 

2021年5月7日金曜日

努力する者が楽しむ者に勝てるわけがない。

「努力する者が楽しむ者に勝てるわけがない。 」 
 
そんな言葉に遭遇した。

まぁあるシチュエーションにおいては納得できるけれど、、、
勝ち負けだけについてみたら
ただ楽しんでいるだけで、努力する者に勝てるとは限らない。
そう思うんだけどな。
 
まぁもうひとつ思考を前に進めれば、
努力しながら、それを楽しんでいる者、もしくは
楽しみながら、努力している者。
 
# この上記二行は同義語ですね。
 
その人が勝つ人ですね。
 
いや、そこまで行ったら、
もはや勝ち負けの問題ではないような気がしたりも。
 
それで楽しめていればいいじゃない、で、きっと結果はついてくる。
 
努力が苦痛でなく楽しく感じられること、
そんなことに没頭したいものです。
 
 
P.S
 
周りを見ると
 
理科が得意だけれど、英語ができない子。
社会は好きだけれど、数学が嫌いな子。
 
いろいろな子がいる。ただ
受験勉強中の子どもたちを見ていると
どの教科もまんべんなくできることを強いられているのが
なんとも歯がゆい。
 
けれど、、、
好き嫌いなく食べることが大切であるように、
苦手な教科も努力することが楽しいことであるように仕向けるのが
私の大切な仕事です。
 
# 昼はエンジニア、夜は塾講師。
 
 
 
 
 
 

2021年5月5日水曜日

ニーチェの馬

2011年作。

# なのにモノクロ。
 
ん~哲学を映画にしたら、、、
やっぱりよくわからんかったし。
 
何気ない寂しい生活の連続から、
やがて終わりが来るのか?
 
同じことが繰り返される日常は、
きっと誰もが同じはずだ。
その日常の中に、たまに僅かな異なるエッセンスが降ってくるのが普通の日常だ。
 
そして、それにもいつか終わりが来る。
映画を観ながら、こんな人生は嫌だな、と思わせられるも
でも、たいして違わないんじゃないか?自分の人生も。
そんなことを思った。
 
いやいやいや、この映画の二人よりは、ずっと幸せだ、
そう思えたのが救いなのかもしれない。
 
2時間半にも及ぶ大作なのだけれど、
場面も振る舞いも、それを繰り返し何度も見せつけられるのは
つらかったな。
 
重厚感は感じられるのだけれど、
凡人の私には、消化できていない。
 
 
P.S
 
中学生の頃、ニーチェの「この人を見よ」読んだ記憶がある。
 
そんなに厚い本ではなかったけれど、
読んでて「なんだかなー」と思った記憶は、はっきりしている。
 
それから50年も経った今、もう一度読み返したら
なにか違うモノを感じられるだろうか?
 
 
 
 
 

2021年5月3日月曜日

あれってそういうことでいい?

「あれってそういうことでいい?」

会話の中が代名詞だらけの文に遭遇することが多い。

日本人特有のモノなの?とも思ったりもするけれど、
学生英語でも、同じ単語が繰り返し出現する場合は、
itで置き換えること的なことも習ったりする。

# それって、わざわざ習うことか?といつも思うけれど。

けれど、面白い効用もあるんじゃないか、とも。

例えば、上記の会話にしたって、
今まで何らかの議論を重ねてきたから成り立つ文面であって、
通りがかりの人が耳にしても分からない、という
極めて高度な暗号化技術だったりしないか?なんて。

いやいやいや日本人の和歌技術の遺伝子を標準装備しているが故に
そういった会話が可能なんじゃないか?とも。

ま、いずれにしても、コミュニケーションが成り立っていれば、
別に文句を言う筋合いではない。

けれど、あまりにも代名詞ばかりの会話は、
なにかとてもいい加減さを感じてしまうのも確かである。

いやなに、あまりにも代名詞ばかりで語られて、
そんなことを思っただけ。


P.S

けどね、たぶん、、、

そんな会話って、きっとどうでもいいことばかりの内容なんだよ。

聞く側のこっちが仮に誤解していようとも
全然問題にならない会話なんだよな、きっと。

と、実も蓋もない締め方ですみません。




2021年5月1日土曜日

次は東京時代?

次は東京時代?

いやなにまさに思考の散歩である。

歴史の教科書を見ていて思うわけでありますが、
日本史の中の○○時代というのは
多くが政権の存在した地名であって、
その時代の区切りというのは、
それなりの事件があって変わることになる。

それは何かと言えば、国内の政争であったり
海外からの何らかの圧力であったりする。

そして、もっとも長く続いたのがご存知であろう江戸時代。
その後、一世一元の制から明治・大正・昭和・平成・令和となる。

しかし思うのである。

きっと1000年後には、この現代もきっと一塊に扱われることであろうと。
さしずめ“東京時代”とでも呼ばれるのじゃないだろうかと。

そして、ここからが今日の思考の散歩である。

その1000年後は、はたしてまだ“東京時代”だったりするのだろうか?

# 江戸時代の250年以上続いた記録を塗り変えて。

それともその時、日本の中心は、
東京以外に移っている可能性が高いのじゃないのか?と。

そして、一番気になるのは、そこが東京以外のどこか?ということではない。
なぜ東京時代が終焉を迎えたかである。

きっと東京がどうにもできない状況になってしまったからだろう。

それは、戦争によるものなのか、地震や放射能によるものなのか
疫病によるものなのか、意外とクーデーターだったり?
やっぱり宇宙人が?
きっと何かとんでもないことが起こるんだろうな。

# ま、まさかコロナで?

そんな思考の散歩をしてしまうんだな。
変わらないことは、とても平和なことかもしれないけれど、
変わった方がいいこともある。
変わらざるを得ない時もきっとある。

私の生きているうちに何か起こらないよな?
恐いもの見たさもあったりするから
私の性格は、、、悪い。


P.S

しかし、、、現代を“東京時代”にでもまとめてあげないと、
1000年後の受験生は、天皇の世代毎に
時代の名前を覚えなきゃいけなくなる。

これは、ちょっと可哀そうだと思う。

ま、1000年後にそんな受験が残っているとも思えませんが。

# と思うんだがな。