2008年8月31日日曜日

ジュラルミンアタッシュケースタイプネームカード入れ

私は、名刺入れを2個持つ。
1個は、身に付けており
1個は、カバンの中に予備を入れている。

でもって、これは、更にその補給用大容量名刺入れであったりする。
通常、カバンの中に転がっている。

私は、アンチ名刺派であったりするので、
基本的に自分から差し出すことはなく、
名刺を渡された相手にしか名刺を渡さないので、そんなに減ることはない。

しかし、名刺を渡された時に、渡し返せないことがあると、
余りにも悔しい思いをするので、こんな状態になっていたりする。

ただ、私は、人の名前を憶えるのが極めて苦手な特性を持った人間なので、
たびたび名刺に救われることがある。

無責任な、アンチ名刺派である。

 
P.S

ちなみにこの大容量ボックスには、何種類かの名刺が入っていたりする。
公式用、プチ公式用、プライベート用、下心アリ用など。

デザイン的に一番力の入っているのは、下心アリ用だったりする。

# 賢明なる皆様においては、それは当然のことと理解していただけることであろう。

が、、、なかなか下心アリ用名刺を差し出す機会がない。

名刺をデザインしている時が、夢見る時、、、哀しきオヤジである。

 
PM 08:25:08

2008年8月29日金曜日

ドッグ ツーリング中

犬くん達の散歩の目的は、いろいろあろう。
 
ちなみにこの犬にとっては、
運動にはならないけれど、
世間を広く知るには、
とても効率の良い方法にも思えた。
 
 
P.S

犬用ヘルメットも考案するべきである。→ メットメーカー殿
 
 
PM 08:50:00

2008年8月28日木曜日

1本50円 永久脱毛

こんな看板(?)を見つけた。

一般の価格に比べて、
割安なのか、高いのか
よくわかんないけれど、
 
何となくわかりやすい価格設定がうれしい。
 
 
 
 
P.S

貴女の迷いの際の参考になれば幸いである。

 
 
PM 08:43:35

2008年8月27日水曜日

カマキリの決死の追跡

写真は、時速60kmで走行中のワンカット。

カマキリの根性がすごい。
 
こんな大きな体で、ものすごい風力を受けていそうなのに
ひたすらしがみついている。
 
思わずデジカメっと。

 
 
P.S

このカマキリのモチベーションを維持しているのは何か?

この車の中に恋人が囚われているのかもしれない。

 
PM 08:36:42 





2008年8月25日月曜日

ポールスミスブランドメガネ。

娘のメガネがポールスミスというんだけれど、
そんなのひと目でわかんないじゃんかよぉ。

と思いきや、メガネを外すと、しっかり耳の裏にこのデザイン。
 
なるほどね。
 
かけている時には、全くわからない、このブランドの主張表示が、久しぶりにうれしかったり。
 
 
P.S

このシールを剥がして、他のに貼れば、
すぐにポールスミスになれたりして。
 
日本人ですから、もうそんなことしないから安心してください。→ ポールスミス殿
 
 
PM 09:42:29 
 
 
 
 

2008年8月24日日曜日

なつかしテレビキャラ「にこにこぷん」

写真は、某コンビニで、
ウーロン茶を買った時に付いていたオマケ。

いやいや、これは正確な表現ではない。
何かペット飲料を買おうと思った時に
この種のオマケが付いていることを知り、
思わずキャラを選んだ結果が、
ウーロン茶購入となった。

さて、このシリーズ、NHKの子供向け番組の中から6種類。
皆様はきっと、私の年代であれば、
間違いなく「ひょっこりひょうたん島」を選ぶであろうと思いきや、
何故か私は、「にこにこぷん」が欲しかった。

確かに、自分の小さな頃は、余りにも遠すぎて、
もはや忘却の彼方だもんなぁ、、、
 
それよりも「にこにこぷん」は、まさに子育て中に
どっぷりお世話になった番組であるからして、
記憶に懐かしく、しかも、記憶が明瞭である。
 
で、ほとんど買ったことのないウーロン茶の購入とあいなりました。
 
オマケの効果は、私には絶大ですね。→ コンビニ殿。
 
 
P.S
 
あえて、このオマケに突っ込みを入れさせてもらう。
 
1960年代の番組ならともかく、、、
 
「にこにこぷん」の時代には、もうほとんどこのオマケのような、
ダイアル式チャンネルのツマミのテレビは、
存在していないような気がするのですが、、、。
 
 
PM 09:49:48 
 
 
 

2008年8月23日土曜日

モンスターファミリーの類か?と思うこと。

いや、ちょっと耳にして思うこと。
 
年金問題。
 
年金とは、勤労時代に払い込んで、
定年後に受け取るシステムだから、
何となく、若い頃に積み立てていて、
年老いた時に積み立てたお金をもらうもの、って感覚に陥るけれど、
 
実際には、そうじゃなくて、
勤労世代が、老齢世代に年金という形で
お金を渡すシステムにしか過ぎないわけで。

でもって、耳にしたことは、
とある夫婦が、年金が少ないとグチをこぼし、
その子供は、自分が払った分が戻ってこないような年金には、払わない。
という家族を耳にしたり。
 
となると、
その家族の親夫婦の年金は、全くの他人から恵まれている、
っていう状態なのがわかっているのかな?
それがわかっていて、グチを言っているのかな?

ま、年金システム自体に問題があるのは、私も同感だけれども、
とりあえず親が年金もらっているうちは、その息子は、払えよっ!
って言いたくなるなぁ。
 
# って、単にそのファミリーへのうっぷん、、、だな。
 
 
P.S
 
てなことを書くと、結構、大勢の人を敵に回すかな?
 
しかも、相手は、モンスターファミリーばかり、、、?
 
クワバラ、クワバラ。
 
 
PM 09:25:10 
 
 
 

2008年8月22日金曜日

カラフルラベルが多い最近かも。

イタリアモノである。
 
どうも最近、カラフルなラベルが多そうだけれど、殆どは、私は自分でワインを選んでいるわけではないので、やっぱりカラフルラベルのワインが多くなってきたのかなぁ。
 
ワインメーカーもやはり目立つラベルを工夫しているのかなぁ?などとも思えたり。

味がラベルに負けないでね。→ ワインメーカー殿
 
P.S
 
事前に味がわかんないんだから、
価格とラベルの印象で選んでしまうのも、
当然といえば当然なんですけどね。
 
所詮、ただの酒好きのタワゴトです。→ ワインメーカー殿
 
 
PM 09:23:36

2008年8月21日木曜日

フェルメール

久しぶりに美術ネタであります。

いやなに突然フェルメールについて。
 
私は、フェルメールが好き。
それは、何故かというと、、、絵が静かなのである。
 
極めて個人的な感覚なのだけれど、フェルメールの絵を見ていると、何故か音が聞こえてくる。

それは、静かな情景の中に、いつも二つの音。
 
# 上から順に
 
例えば、「リュートを調弦する女」
静かな情景の中で、彼女は、調律をしている。
フト、彼女は窓の外に何かに惹かれる。
それは何だろうか? 人の声? 鳥のさえずり?
彼女は、調律をしながらもフト窓の外に視線を回す。
 
例えば、「ワイングラスを持つ娘」
日はまだ高いのに、後ろで眠り続けていられるオトコにその瞬間の静寂を感じて。
そして、その部屋の中に聞こえるのは、オトコの誘惑のヒソヒソ声と、それに対するこのオンナの子の声だ。
題材は、あまり好きじゃないけれど、
この静寂がとても綺麗に感じるのは、なぜだろう?
 
例えば、「小路」
まだ、街に車なんか走っていなくて、今この情景に聞こえてくるのは、、、二人の女性の生活の音?
 
例えば、「手紙を書く婦人と召使い」
手紙を書くにもコトコトと私には、音が聞こえる。
横で書き終えるのを待つ給仕の彼女が、窓の外に気を取られたのは、何だろう?きっと人の声?

フェルメールの絵には、音が聞こえてくるのが不思議だ。
 
そして、私にとって好ましいのは、その静寂だ。
心を落ち着かせてくれるその風景と、
決して、一人ではないその情景が、何となくうれしい。
 
もし、私に静かな書斎があるならば、
その片隅に飾っておきたい絵画であります。
 
 
P.S
 
現在、フェルメール展は、東京都美術館(上野)で開催されています。
 
是非、あなたも如何ですか?
 
現物をご覧になると、きっとネットや写真では、
本物の良さがわからないことが実感できます。
 
このブログの写真は、小さ過ぎてその美しさがお伝えできないのが残念です。
 
 
PM 10:23:57 
 
 
 

2008年8月20日水曜日

気をつけよう、岡山土産のきびだんご

息子のブログからのパクリネタであります。

息子は、岡山在住であります。
 
友達が遊びに来ると、帰りにお土産を渡すという。
 
そのお土産は、岡山名産「きびだんご」。
 
誰もお土産を渡されて、それを固辞する理由はないし、
普通は、喜んで受取るものでありましょう。
 
で、その友達がきびだんごを食べた辺りに彼は、ブログに書く。
 
「アンタは、もう家来。」
 
怖い性格の息子である。
 
 
P.S
 
で、仲間を募って、退治する相手は、、、ひょっとして私か?
 
 
 
PM 10:22:18 
 
 
 
 
 
 

2008年8月19日火曜日

ラ・キュべ・ミティーク

フランス産だったんですね。

スーパーに行くと、
ふと、「生活支援価格」などという広告に思わずレジカゴに入れてしまうケチなオヤジ。
 
まぁ、お茶代わりですから、何でもいいんですが、
クセのない無難な味でありました。
 
 
 
 
 
P.S

もうヤめます。

 
 
 
PM 10:20:36

2008年8月18日月曜日

ベガスの恋に勝つルール


感想:
勝手に恋愛して、勝手に結婚しててください。
けっ!
 
お奨めか?って?
勝手に観に行ってください。
 
 
 
 
 
 
P.S
美男美女の恋愛に、さらにお金も、、、って話は、、、
 
ワタシには、遠過ぎる、、、、、、、、、
 
けっ!
 
 
 
 
PM 10:16:27

2008年8月17日日曜日

連休中に得た知識、、、グズリを止めるレジ袋。

いわゆる夏休み。
やはりテレビに接する機会が多くなった。
しかし、クイズ番組、雑学番組、ショーモな番組の多いこと多いこと。

が、、、ちょっと驚いた知識がひとつ。
 
# くだらないと言いながら、ここで紹介してしまうクダラナオヤジ。
 
赤ちゃんが、グズっている時や、泣いている時
とりあえずそれを止める方法、というのがあった。
 
なんと、使用するものは、レジ袋。
そう、簡単なことである。
赤ちゃんの顔の前で、あのレジ袋のクシャクシャクシャという音を聞かすのである。
 
すると、なんと、赤ちゃんはとりあえず泣くのを辞める。グズるのを辞める。
そうである、とりあえず、「何だ?」と一生懸命聞こうとするからである。
 
何で、その音に、異常に興味を示すかというと、
赤ちゃんがまだ、母親のお腹の中にいた頃に聞いている音に近いからだという。
 
テレビでは、確かにそんな状態(現象?)を放映していたけれど、
私は「ほんとかぁ?マジぃ?」そう思った。
 
で、夏休み中で帰省していた姪の赤ん坊に試してみると
確かに再現できたりして。
ほぉ、、、。ちょっと感心した。
 
私も、遥か昔、子供が小さかった頃、これを知っていたら、
何度か助かったかもしれないな、とも思ったりもして。
 
けれど、、、である。
 
# ここからが重要。
 
赤ちゃんがせっかく母親の胎内から自立して、
世に出世して過去を忘れて生き始めた時に、
そんな懐かしい音を聞かせることによって、
体内に居た平和な時代の懐古主義にでも走ったらどうすんだよ!
 
この世の大変さに圧倒されて泣いている時に、
体内の中の懐かしい音で、
もう絶対に戻れない昔の状態に戻りたいと思ったとしてしまったら
それは、また、赤ちゃんには、辛すぎるんでないかい?
 
ふと、そんなことを思った雑学番組でありました。
 
まぁ、ショーモない番組を見て、ショーモないことを考えている
平和なオヤジの夏休みのひとコマ。
 
 
P.S
 
さらにその番組では、
前屈測定では、ポケットティッシュをギュって口で噛みながら測定すると、
記録が伸びる、とか。(自分で実験済み。確かにそうであった。)
 
# ティッシュ有りと無しで、どっちが本来の体力記録だよっ?!
 
しょうゆラーメンにマヨネーズをいっぱいかけて混ぜると
とんこつ味になる、とか。
 
# そんなにしてまでトンコツにこだわる人が居るとも思えないし。
 
しかし、こんな番組見てりゃ、キリがないよね。
 
で、最後にひと言、、、
雑学番組なんて辞めて、小説を読もう!
 
# 古い中年オヤジの主張である。
 
 
 
PM 09:50:59

2008年8月16日土曜日

スカイ・クロラ

ふと、終戦の日だから、、、
と足を運んだものの、
終戦の日に、この映画を観ることが
不謹慎かどうかもわからぬほど予備知識なしで鑑賞。

ただ押井守監督であれば、相当難解であろうと覚悟してはいたけれど。
 
ちょっとだけ、ネタを書く。
戦争が国と国との戦いではなく、企業が代行してショーとしての戦争をしている時代。
 
戦闘機乗りの若者達は、永遠に年をとらない「キルドレ」と呼ばれていた。
なぜ永遠に歳を取らないかというと、、、辞めておきます。
そんなストーリである。
 
戦闘シーンは、アニメとは思えない緻密さで迫力もあるけれど、
それ以外のシーンは、余りにもストップシーンである。
 
が、それだけにこちらにいろいろと考えさせてもらえる余裕が与えられているような気もして。
 
この映画が、哲学的にどこまでわかるかは、非常に微妙でしょう。
私もどこまで感じられているのか、自信がなかったりする。
 
が、ひとつ言えることは、、、やはりこの世界の哀しさ。
アニメであって、よかった。
観た後で、そう思いました。
 
どこかの動画で予告編を観て、まずは、
アナタがこの映画にシックリくるかどうかが分かれ道。
私は、特にお奨めしません。
 
 
P.S
 
こんな世界には、絶対ならないよなっ!
何世紀経っても。
 
そう思いたいです、、、。
 
 
 
PM 10:50:57 
 
 
 

2008年8月15日金曜日

ダークナイト

小さな頃、テレビでバットマンを見ていたけれど、それが映画化された時、極めて個人的な感覚として、悪役の下品さというか、やはりアメコミ的なのが、私は、どうにも受け入れられなくて、映画のバットマンシリーズは、観ていない。

けれど、評判につられて、というか、ビギンズというタイトルにつられて、ついつい観てしまったバットマン・ビギンズ。

確かに、面白かったもんね。
その続編と言われれば、、、やはり観に行ってしまった。
 
で、感想は、、、悔しいけれど、、、今回も面白かった。
 
が、正直言って、これはアメコミの世界を逸脱してしまった観がある。
ストーリーがシリアスで重い。そして、深い。
 
# だからこそ面白かった、思える自分の性格、暗いかな。
 
エンターテイメント性は、トップレベルであろう。
けれど、ストーリーが、、、アメリカ的でなくなってない?
 
# そう思った私は、偏見かも。
 
けれど、実に考えさせられるポイントも多かったのも確かである。
 
お奨めか?と尋ねられると、あまり大声では言いたくないけれど、
お奨めである。
 
 
P.S
 
カップルで観に行く必要のない映画だと思います。
 
ちょっと助かりました。
 
 
PM 10:13:28

2008年8月14日木曜日

オリンピックを観るのがつらい

一日中オリンピックの中継が流れている。
 
しかし、このオリンピック、観ているのがツライ。
 
単純に言えば、試合の数だけ負ける人がいるわけで。
 
もちろん、お互いの競いあいが、
お互いの能力を向上させる結果となるのはわかるのだけれど、
みんなが4年に一度のこの機会に賭けてきたものだもの、
出来ることなら、全員に勝たせて上げたいよ。

最近の、子供達に順位をつけさせない運動会に疑問を持ちながらも
このオリンピックにも辛さを感じるこのオヤジ。
 
様々な複雑な思いでテレビを見ている。
 
 
P.S
 
しかし、そんなことを思っている私は、極めて甘い人間なんだろうな。
 
はるか昔、運動部に所属していた頃には、
相手に勝つことしか考えていなかったのに、
 
今では、会議でも相手を論破することよりも、よりみんなが満足できそうなランディングポイントを探していたりする自分を見つけたりする。
 
オリンピックも政治も教育も、
世の中は、すべてが難しいことを実感させられるオリンピック中継である。
 
 
PM 04:46:45

2008年8月13日水曜日

MONSTER

 「不思議ね、人間て・・・・・・

 悲しみは
  どんどん
   薄れていって・・・・・・
 楽しかった
  記憶ばかりが
   残っていく・・・・・・

 人間て、都合よくできてるわよね・・・・・・」
 
「だから 生きて いけるんだ。」
 
         MONSTER 全18巻 浦沢直樹
 
 
P.S
また、人に誘われて読むハメになったMONSTER18冊。
 
あへてネタバレは避けるけれど、でも確かに、一気に読めました。
 
この前の土曜日なんか、一気に12巻読んだもんね。
おシリが痛くなってきちゃった。
 
まぁ、面白かったです。
けど、古いマンガとはいえ、この大人読みは、なんとももったいない読み方だよね。
連載中に読んでいれば、毎週毎週が楽しみで仕方なかったのにね。
 
でも、、、それも、、、ホントは、実にツライわけだけれど、、、。
 
 
PM 04:42:31

2008年8月12日火曜日

自燃性の人間、可燃性の人間、不燃性の人間


「自燃性の人間、可燃性の人間、不燃性の人間」

                   稲盛和夫
 
ここでいう燃性とは、
 物事に対する熱意や情熱を表す。
 
自燃性の人間とは、
 自分から率先して物事に取り組み、エネルギーを周囲に分け与える人を指す。
 
可燃性の人間とは、
 自燃性の人や、既に燃え上がっている可燃性の人の影響を受けて燃え上がる人を指す。
 
不燃性の人間とは、
 周囲からエネルギーを与えられても燃え上がらず、むしろ周りの人から熱意や情熱を奪う人を指す。
 
以上は、Wikipediaより引用
 
さて、貴方は、どの人間?
 
 
P.S
 
もちろん個人にとっては、その好みやジャンルによって違う、
という意見もありそうですが、
 
でも、不燃性の人間が、あることにおいてのみ自燃性っていうのも
極めて少数のような気もしますが、、、。
 
 
PM 07:45:00

2008年8月11日月曜日

やっぱやっぱやっぱ紅白はうれしい。

いただきモノであります。
 
紅白セットは、うれしい。
そもそも、今日は、どっちを飲もうか迷うのが楽しい。
どっちを先に飲み始めるのかを迷うのが楽しい。
グラスを2個用意して、赤と白をチョビチョビ飲みながらが楽しい。
 
ちょっとだけ、パーティー気分?
いつもより、ちょっと多目に酔えるのが嬉しい。
飲み終わった後の満足感が嬉しい。
 
N様、ありがとうございますっ。
 
 
 
 
P.S
次の日の朝の冷蔵庫の中が淋しい。

 
 
PM 07:41:07

2008年8月10日日曜日

ガチャポン「原色日本立体地図図鑑」

高速道路のサービスエリアで見つけたガチャポン。
 
「原色日本立体地図図鑑」
 
全10種+シークレットだという。
とても全部揃えられないのはわかっているけれど、思わず買ってみる。
 
さぁ、どこの地方が出てくるのかな?
どこでも構わないけれど、一番縁が少ないのが東北地方だから、それ以外なら、いいな、、、などと。
 
そしたら、出てきました!東北地方。ガーン。
1/10の確率で当たってしまった東北地方。

え~ぃ、これじゃぁおさまらん!と、もう1回。
また出てきました!東北地方。

2回やって、同じものが2個出てくる確率は、1/10のはず。
1個目は、なんでもいいわけだからね。

ところが東北地方が、2回出てくる確率は、1/10×1/10で1/100かよ!
1/100の確率に当たる運命を今日使っちまったぁ、そんな悔しさ。
宝クジでナンバーズに使いたかったわぃ。

# ひょっとして、あの中、全部東北地方だったり?ま、まさかっ。
 

P.S
ちなみに、どうもシークレットは、北方領土だったりするみたい。

なんでシークレットなんだよっ!
妙な特別扱いしないで、北方領土も
ちゃんと他の地方並みに日本領土扱いにするべきである!

# 竹島しかり!

 
 
PM 07:38:45

2008年8月9日土曜日

土用の丑の日は、樽酒の日

ちょっと前の土用の丑の日。

やっぱ今夜はウナギだな、と思いながら、 
ふとスーパーで
 
「うなぎ&たるざけ」
 
などと言う文字が目に飛び込んでくると、
なるほど、と、とりあえず買ってしまうこの呑み助。
 
結局、ウナギを買い忘れ、
土用の丑の日は、樽酒(しかもビン)のみで終わった。
 
広告の大衆操作にイチコロの私。
 
 
P.S
ま、いつか、ウナギだけ食べるわさ。
 
 
PM 07:33:32

2008年8月8日金曜日

カナ打ち vs ローマ字打ち PartⅡ

そもそも古いこのオヤジが信じていることに、、、
 
ローマ字の起源は、西洋人が日本に渡ってきてから
いわゆるカナを書けない西洋人が、
自分達のラテン文字のアルファベットを使って、
日本語を置き換えて表現したのが始まりのはずです。
1600年頃かな?

ところが、なぜか、
そのローマ字を日本人が覚えることになってしまった。
戦前後かな?

しかも、ローマ字を覚えることは、
英語を覚えることにつながると勘違いしてしまった。
日本人の気持ちの中で、この勘違いは非常に大きいと思うのだな。
 
今や、400年も前に西洋人が自分達の為に便宜的に作ったローマ字を
現代でも、そのコンピュータを扱う際に日本人自身が使い続けている現実は、
もはや、西洋人による根深い呪縛としか思えなかったりするのだ。
 
確かに日本人にとって、ローマ字というものは、
アルファベットの文字を身近に感じることには便利だったけれど、
英語の習得には、著しく弊害があったと思う。
 
今後、英語教育が、低年齢化していくと、
おのずとローマ字教育がジャマになってくるとも思う。
 
だから、この古いオヤジは思うのだ。理想論として
日本人は、カナを打つ時には、カナを使い、
英語を打つ時には、アルファベットを使うのが、
本来の姿であると。
 
小さな頃から、初めてフルキーに接触し出した時に、どちらかではなく、
両方を覚えさせるようにすれば、記憶力の良い日本人にとっては、
大したことではないと思うのである。
 
いやいや極論ではなく、
まだまだ言葉を覚える以前の赤ちゃんの時に
フルキーをおもちゃに与えていれば、カナもアルファベットも
その配列は、なんの差も無く覚えてしまうだろうに。
 
# そういう意味では、まだまだコンピュータは、
# おとなのおもちゃなんだろうな。
 
それにこうも思う。
はたして、50年後、まだ日本人は、ローマ字入力なんぞしているのだろうか?
 
私の希望としては、
コスモポリタンとしても、また日本文化のためにも
近未来日本人は、カナもアルファベットも両方扱える人間が主流であって欲しいと思う。
 
だから、ローマ字入力しか出来ない取り残されてしまったこのオヤジは
カナもアルファベットも使える人間にあこがれを感じるのであります。
 
 
P.S
蛇足的ひと言。
 
幼少期にローマ字を覚えたら、例えば、発音のことを考えたら、
イタリア語習得に進んだ方が、手っ取り早くないかい?などとも。
 
イタリア語は、ローマ字読みに極めて近いからね。
# あ、だからローマ字って言うんか。そうだったのか!
 
ま、イタリア語覚えても世界中で使えないからね。
英語を覚えたかったら、ローマ字は忘れて、英語の勉強をしよう!
うん。
 
# しかし、英語が世界中に広まったのが、過去の植民地政策だとしたら
# 当時の政策は、いったい人類の歴史のどこまで影響するのだろう?
 
 
 
PM 07:03:39

2008年8月7日木曜日

カナ打ち vs ローマ字打ち

中年が集まって、こんな会話が生まれた。
「○○さんって、カナ打ちなんだよ。」
「何言ってんだよー。今どき若者は、みんなカナ打ちだぜ。」と私。

# テキトーな発言である。

私は、カナ打ちにあこがれているオヤジである。
そもそも私が、フルキーを触りだした頃は、
とーぜんASCII配列の、キートップには、英数字記号しかないフルキーであった。

それに、モニター上には、日本語が出現しないし。
打つコマンドは、すべて英語っぽいし、
コンピュータ上で日本語を扱うのは、あえてコメントをローマ字で書く時ぐらいのこと。そんなで育った私は、ローマ字打ちであって、カナ打ちは出来ない。

コンピューターに日本語が表示されるようになり、日本語入力が出来るようになって、ワープロ的な操作が加わってきた時、打つキーの回数が半分になるだろうと、
カナキーに挑戦したこともあったけれど、もはや、私の古い脳は、カナキーの配列を覚えられる容量が残っていなかった。

ならば、人の倍のスピードで打てばよかろう!
などと言い訳しながら、、、あきらめた。

一般には、ワープロからフルキーに入ってきた人には、カナ入力の人が多いそうだ。
けれど、ローマ字打ちでは26文字のキー配列の記憶で済むのに
カナキーは、約50文字分のカナキーポジションを憶えていなければならない。
さらにインターネットでもやろうものなら
英語キーのポジションもを覚えなければならぬということになれば、
やはり、既にローマ字が身に付いている人間には、ローマ字入力をした方が、
きっと取得はてっとり早いのだろう。

けれど、私は思っていたのだ。
それは、歳を取った人間の考え。
若者が、全く初めてフルキーに触る時から、九九の掛け算を丸暗記するように
カナも英数文字もすべて覚えこんでしまえば、もはやカナもローマ字も何も気にせず、打鍵の回数・スピードとも最大効率で打てるのだろうな、、、と。
 
けれど、現実は違うようだ。
老人だけでなく、若者もローマ字打ちの人間の方が、遥かに多そうなのだ。
なんでよ? 素直な疑問である。
 
で、私の回りの小学生を子供に持つ親たちに尋ねてみた。
最近は、小学校低学年から、フルキーと接触があるそうなのだ。
 
ところが意外な答えが返ってきた。
小学校低学年は、ローマ字を覚えさせられる時期とも重なって、
フルキーは、ローマ字表などを作りながら、ローマ字入力を勉強させられている、とか。
 
私は、ちょっと残念に思う。
まぁ、ローマ字も憶える必要なことのひとつかもしれないけれど、
フルキーは、カナ配置も憶えられるような、教え方をしてあげれば、
きっと人生におけるキーを叩く回数が相当減るだろうになぁ、、、などと。
 
しかし、日本人が、コンピューターの世界に参入するにあたって
ローマ字の存在が相当手助け?障害?になっているであろうことも想像出来たり。
まぁ、日本人にとっては、自然に本能的に便利な方向に流れているんであろう、と、
ただただ信じていたりするんですけど。
# でも私は、カナ打ちできる人がうらやましい。
 
 
P.S
ちなみに私は、ブラインドタッチが出来ない。が、
先日、私は、おもしろい体験をした。
 
ある講習会でのこと。
講習の授業が始まる前にちょっとノートPCで原稿を書いていた。
まぁ、いつも通り、パタパタキーを叩いていたのである。
 
ところが、講演関係者が、教室内でプロジェクターの準備をしだしたのだ。
「ちょっと電気を消しますね。」関係者がそう言って、室内の照明を消した。
ところが、まだプロジェクターの電源も立ち上がっていなくて、
室内が真っ暗になった。
 
ところが、私は、何の苦もなく原稿を打ち続けていられたのだ。
確かに目の前の液晶の画面は明るい。
けれど、その光が、キートップの印字文字が見えるほど明るくはなかった。
なのに、キーを打ち続けていられたのだ。
 
「ほ?オレってブラインドタッチができるんじゃん!」
ちょっと自分に感動した。
 
# まるで自転車の両手離しが出来た瞬間のような、、、。
 
が、十数秒経つと、微妙に打ちマチガイが多くなってくる。
で、その後やっぱり、キートップが見えないと打てなくなってしまった。
要は、私のブラインドタッチが出来るのは、十数秒だけなのだ。

そう考えてみると、日頃の自分のキーの打ち方が面白くもある。
基本的にいちいちキートップなんて見ているわけでなく、
やはり使い慣れたフルキーであれば、殆どブラインドタッチで打っているのだ。
で、知らず知らずに、そのキー配置と手の絶対位置関係を補正しているに過ぎないのだ。
 
そんなことが、、、ちょっと新発見でもありました。
 
 
PM 07:26:28

2008年8月6日水曜日

インクレディブル・ハルク

# まぁ、このタイトルが相応かどうかは別にして。
 
私は、ハルクに関しての知識は皆無に近い。
 
# そう言えば、友人にそう呼ばれていたヤツがいたっけな。
 
まぁ、あえて解説を書いてしまう。
このハルク、元は人間の科学者で、
自分を人体実験にしたら出来上がってしまった超人であります。
 
脈拍200以上が体型変化のトリガになるというのだから、
ある意味わかりやすいのだけれど、
走っても、興奮しても、何をしていようが、
とにかく脈拍200を越えると変身してしまうのだ。
 
一旦変身してしまうと、もはや彼の意思も理性もなくなり、
ただただ暴れまくり、雄叫びを上げる人間になってしまうお話であります。
 
が、その変身中は、なんともすごい。
その体力は言わずもがな、弾や爆弾さえも平気な皮膚組織、、、
天下無敵になってしまうのでありました。
 
そんな彼は、人に隠れてなんとか変身しないように心を穏やかに過ごし、
その体の組織を元に戻すべく研究を密かに行っていたりする。
 
ま、それが、また引きずり出され、ライバルも現われ、
ニューヨークの街中で大格闘をしてしまうという、
いわゆるわかりやすいストーリーである。
 
まぁ、映画の程度としては、スパイダーマン的なものに近似しているような気がするけれど、このハルク、暴れ方が素直でうれしい。
もはや、善も悪も関係なく、
ただただ向かってくるものを相手に戦い、雄叫びを上げる。
こんな純粋に暴れられたら、ストレス解消できるよなぁ。
が、この映画を観に行った私の潜在意識であろう。
 
小さいことにこだわってイジイジしている人には、お奨めしたい映画だったり?
 
# んなわけはない。
 
 
P.S
ネタバレ注意ですが、、、
 
実にこの映画、どうも秋に公開される「アイアンマン」にリンクしていそうだ。
本場米国では、この「ハルク」よりも「アイアンマン」の方が先に公開されているとも。
 
この2本は、セットで見ると、ちょっとエピローグが面白そうです。
ソニーピクチャーさん、「ハルク」も「アイアンマン」も両方の配給元なんだから
同時期に公開してくれた方が、動員数上がったと思うんだけどなぁ。
 
# もう、、、ケチぃ。
 
ちょっと楽しみ。
 
# 軽いオヤジである。
 
 
 
PM 08:33:40

2008年8月5日火曜日

クライマーズ・ハイ

もう23年前になるのですね。
JAL123便が御巣鷹山に墜落したあの事件。

後になってわかったことは、飛行中に垂直尾翼を失って、太平洋沿岸側を飛行しながらもダッチロールをしながら迷走を続け、最後に群馬県の御巣鷹山に墜落したあの大事故。

自衛隊やアメリカ軍に絡むいろいろな憶測も流れ、
私もリアルタイムでニュースに釘付けになったものだ。

500人以上の死者を出した墜落事故でありながらも、
数人の生存者が見つかったという奇蹟的な出来事もあって、
私は、かなり長い間、その事故に興味を持ち続けていた。
 
しばらく経つと、墜落の瞬間までの交信記録も発表され、
私は自分のホームページにその音声ファイルへリンクを張っていたものだ。
 
そんな事件関連の映画化と言われれば、ちょっと見逃せない。
で、原作も予備知識もなく映画館に赴いた。
 
まぁネタバレというものではなかろう。
当時、当地の群馬県の某新聞社の中での出来事の物語である。
2時間半近くの長い映画の割には、その長さを感じさせない展開は、
ある意味よく出来た映画かもしれない。
 
新聞社の中では、こんな時には、こんな状態になるのか、、、
そんなことがちょっとわかったよな、、、。
 
けれど、本編が終わって、タイトルクレジットも終わって、
館内が明るくなる寸前に数行の文字が表示された。例の
「この物語は、フィクションであり、、、」
 
# ガクッ。
 
そんなこと忘れて、ドキュメンタリーに近いものだと思っていたよ。
そうだよね。原作は、「半落ち」の横山秀夫だもんね。
ちょっと不覚でした。
 
あのクレジットを見ないで映画館を出て行ってしまった人は、
この映画が事実として、頭の中に入ってしまったんじゃないかと
つまらぬ心配をしたりも。
 
演技派俳優人の映画としては、お奨めですが、
あの事故の事実の補完が出来る映画ではありませんのでご注意ください。
 
 
P.S
私は、あの交信記録を聞く度に心が締め付けられる。
まさか自分達の飛行機の垂直尾翼が失っているとも知らずに
コックピットでは、懸命に操縦を試みる。
その必死さ。
 
そして、最後の瞬間、叫びとも祈りとも思われる会話の中で
すべての音が途切れる。
 
彼らは、その瞬間、命を失ったのだ。
23年経った今でも、それを聞く度に彼らの冥福を祈りたくなる。
 
 
 
PM 08:06:40

2008年8月4日月曜日

忍者のなり方

私は、今年50歳になって初めての新年を迎えた時に
何か始めようと思った。
食生活の記録を付け始めたのは、何とか半年以上経った今も続いている。
 
そして、実は、、、もうひとつ始めたことがある。
腹筋である。

で、たぶん、あなたは、きっと問うであろう。
「で、一日何回やっているの?」
 
実は、、、
元旦は、1回のみであった。
2日目は、2回で、それを2日続ける。
4日目は、3回で、それを3日続ける。
7日目は、4回で、それを4日続ける。
 
そんな数式で、とにかく毎日、これから死ぬまで続けようと目標を立てた。
ちなみにこの8月現在、一日25回である。
 
ただ、これが結構キツい。
ノルマは毎日、と言ったところで、会社の帰りにそのまま飲みに行ってしまうこともある。
そうなると、2日分でまとめて50回。
3日空いてしまったりすると、まとめて100回もやらなくてはいけないことになる。
 
けれど思うのだ。
仮に80歳になった時に、いったい1日何回になるのか、あえて計算をしていないのだけれど、とりあえず、その回数が出来るような体力が備わっていれば、それでいいと思うんだな。
 
まずは、続けること。
それが、目標だったりする。
そんな数式の目標の立て方、アナタも如何ですか?
 
P.S
実にこの数式的目標の立て方には、小さな頃の私のトラウマによるものである。
 
遥か昔、そう50年近く前、、、私がかなり小さかった頃、、、
テレビでこんな物語を見た。もちろん白黒である。
 
時代は、きっと江戸時代であろう。
貧しい農家に一人の小さな子供がいた。
彼は、忍者になりたがっていたのだ。
 
けれど、どうしたら忍者になれるのかがわからない。
回りの人間達に尋ねても誰一人知る人がいなかった。
 
そんな時、通りすがりに一人の浪人と出会った。
その浪人と偶然出くわして話をする機会を得たその小さな子供は、
どうしたら忍者になれるかを尋ねた。すると
その浪人は、いくつかの種を渡しながら、その小さな子供に言ったのだ。
 
「この種を家の前に蒔きなさい。そして、とにかく毎日その上を飛び越えなさい。」
 
小さな子供は、早速、家に戻って、種を蒔く。
そして、その上をまたいで歩いてみた。
まだ、芽も出ていない、ただの地面の上を、
しばらくの間、毎日毎日行っては戻り、またぎ続けた。
 
「こんなことで忍者になれるのだろうか?」
彼は、ちょっと疑問に感じながらも、でも他にするべきこともなく、
とにかく歩いて、またぎ続けた。
 
やがて、芽が出た。とても小さな芽だ。
彼は、何だかうれしかった。
相変わらず自分のしていることの意味がわからない。
けれど、その変化に胸がときめいた。
 
彼は、毎日毎日またぎ続けた。
やがて、彼の背丈と同じぐらいにその植物が育った時、
彼は、回りの子供達をなんなく飛び越えて走っている自分に気付いていなかった。
 
そして、彼は、ヒマさえあれば、まだ、その植物も飛び越え続けていた。
 
数年後、青年は、若者になった。
その植物は、農家の屋根の高さを遥かに越えていた。
けれど、彼はその時、その高さをも軽々と飛び越えるだけの体力が備わっていたのだ。
 
そんな彼のウワサを聞きつけて、人が集まる。
遠方から、その彼を見に来るようになり、その中の一人が、その青年に声をかけた。
 
「私についてきなさい。」
 
彼の忍者への第一歩を踏み出した瞬間であった。
 
このテレビ番組は、私にとってのトラウマとなった。
私は、未だに農家の前の、部屋の中からはその天辺が見えない木の上を
平気で飛び越している彼のシーンが思い出せる。
 
そして、いつも思うのだ。
わずかに育つ目標を持ち、それを行動し続けることが、
きっと自分の夢につながるはずだ、と。
今は、1日たった25回の腹筋だけれども、
とにかくこの調子で続けていれば、後期高齢者になった時、
きっと私の腹筋は、カッコよく割れているに違いない、、、と。
 
ま、見ててください。
では。
 
# どんな夢もとりあえず持てるロマンチックなオヤジですわ。ははは。
 
 
 
PM 07:13:56

2008年8月3日日曜日

芝居 vs 映画

あなたは、映画と芝居の違いをご存知であろうか?

まぁ、いろいろ違いがあるのだけれど、
やはり一番の大きな違いは、次のことに尽きる。
 
芝居は、役者がその役になりきって演じる。
2時間ほどの時間、その役になりきって、その時間を過ごす、演じる。
 
映画は、全く異なる。
まず撮影する順番が物語り通りとは限らない。
ひどい場合は、役者は、その全体の内容も知らずに撮影に臨むこともあるという。
監督が気に入らなければ、何回も撮り直し、
最高のカットを追い続けて、そのカットの連続が、完成作品となる。

さて、あなたは、どちらの方がお好きか?

まぁ、もっとも演劇と映画を比較するもではなかろう。
そもそも世界、次元が違うのだ。

けれど、映画は同じものを何回も観られるけれど、
演劇は、違う、その役者の気分で違う、体調で違う、従って、毎日出来が異なる。

だから、気に入った映画は、またDVDで観ればいいや。それで済むけれど、
芝居は、何度もそも演劇場に足を運ばざるを得ない。

コストも含めて、その違いは、実に大きい。
深く観ようとすると、観劇は、実にツライ。

ふぅ。
 

P.S

ちなみにちょっとだけつまらぬことを書くと、、、
 
各出演者のクレペリンテストの結果を公表してくれると
芝居の見所は、開演後、何日目辺りかがわかるんだけれどなぁ、、、。
 
 
PM 07:10:00

2008年8月2日土曜日

KYなコメントやトラックバック


しかし、、、
 
KYなコメントやトラックバックがヤになるなぁ。
 
カンベンしてくれよ。
 
 
P.S
 
こんな内容で一日分のコラムスペースを使ってしまうのが
また哀しい。
 
 
 
PM 08:21:58

2008年8月1日金曜日

美術のおける字と絵

先日、習ったことのひとつ
 
西洋と東洋の美術の性質の違いのひとつに絵と字の違いがある。

西洋(と言っても中世のイタリアのような、であって、フランスやドイツはちょっと違いますが)の美術の基本は、絵画だ。
 
宗教画をはじめとして、自分の思いを表現するのに、思いを伝えるのに、絵を描く。
 
それに比べて、東洋は、字だ。いわゆる文章である。
 
自分の思いを文章に表現する。
目に見えているもの、見えていないもの、状況や精神性までもを字、文章で表現する。
# なんとなくわかってもらえるでしょ?
 
もちろん、東洋にも、墨絵のようなものもあれば、宗教画の類もある。
それは、人類にとっては、自然発生的なものなんだとも思う。
 
けれど、フト思うのは、他人に何かを伝えるには、
文章の方が、早いんじゃないの?
 
けれど、そう思う感覚が、もはやこのオヤジは、東洋人なんだろうな。
見えているものから何を読み取るか?
読んだ文章から何を感じ取るか?
 
鑑賞側にその能力がなければ、まったく美術鑑賞は意味ないな、そう思ったりも。
 
けれど、いい絵、いい文章は、それを超えて、鑑賞者に染入ってきたりするから不思議である。
 
 
P.S
私は、東洋人なので、(とゆーわけではないのだけだけれど)
未だにお習字に通っている。
 
そして、その作品を見て、とある人が言った。

「何で書道の文章って、なんていうか暗いというか重い内容が多いのよ?」
「あのね、書道を勉強しながら、同時に人間の精神性を学んでいるわけよ。」
 
などとテキトーなことを応えながら、
自分は、先生の文字フォントをまねているだけだったりするのが情けなかったりも。
 
けど、書道も創作の世界に到達すると、字と絵の境界が薄くなってきているのを実感する。
 
でも、私の字は、とても芸術性の世界には、程遠い、その事実の哀しさ。
 
# 好きこそ、ものの上手、、、にならんのが悔しい。
 
 
 
PM 08:43:33

2008年1月14日月曜日

成人式に思う

娘が今年、成人式を迎えた。

どちらかと言えば、

誕生日の方が、記念日としては重要なんじゃないの?

と思ったりもするのだけれど、

まぁ、お役所がイベントを企画して祝ってくれると言うのであれば、
何もあえて言うことはない。

小学校時代の友と再会し、お互いを懐かしむのもいい機会だ。

日が昇る前から、振袖姿の娘を美容室に収容・運搬なども
一生に一回のイベントと思えば、また、それも楽し。

とりあえず、息子と娘の二人の子供達がちゃんと成人式に参加できたことは、
私には、感無量であったりもした。

いっぱい写真撮らせてほしかったんだけどなぁ、、、→ 娘よ。

まぁ、とりあえずは、おめでとう。


P.S

私の成人式と言えば、、、と、ちょっと書いてみる。

私は、中学の頃、擬似夜逃げ経験者であったりする。

したがって、小学校の頃の友との連絡は、すべてそこで途絶えた。

同様に、成人式の知らせなど、届くはずもなかった。

もっとも、その頃、東京での貧乏学生であったので、
自分の成人式の日も、アルバイトで銀座の遊歩道の屋台でみたらし団子を焼いていた。

体中、醤油のにおいを染み付かせ、醤油だらけのエプロンをかけながら団子を焼いていると、振袖姿の女性やスーツ姿の男性が団子を買いに来る。

きっと、成人式の帰りなんだろうな。

そして、団子を渡しながら、思ったものだ。

この屋台の暖簾の向こうとこっちの差は、どこで生まれたのだろうか?と。

別にそのことにひがんだり、悔しい思いはしなかった。

けれど、自分に子供が出来たら、成人式だけにはちゃんと参加させてやりたいと思った。

だから今日、私はひとつの願いがかなって、感無量なのである。