2007年2月28日水曜日

一枚につき?一名につき?

とあるレストランでクジをもらったのである。
銀の部分をシコシコこすると、下に当たりが印刷されてあるヤツ、そうアレである。
 
集団で行ったので、いっぱいもらえて、片っ端から削ったら、結構当たってた。
200円割引券とか、フリードリンク券だとか。

さて、今度使ってみようかな、、、と注意書きを読むと
「お客様に限り、一枚につき一名様のみご利用頂けます。」
ん? と思わず引っかかってしまった私。
 
この券を基準に考えると、私は、一人で何枚も同時に使えちゃうんじゃないの?
# 理由解説の表現が難しいのであえて略。
 
もし、この文章をお客様一人に一枚だけしか使わせないようにコメントを書くとすれば、
「一名様につき一枚のみご利用いただけます。」
じゃないの?
 
ちょっと食い下がってやろうかなー、などと思う私は、セコイ人間。
 
P.S
いやいや、どこまでも正しい日本語を追求しているのである。
 
 
PM 10:23:24

2007年2月26日月曜日

マリオサウンド

ガチャガチャである。
1個200円。
ボタンを押すとスーパーマリオブラザーズのその時の音がである。
 
最初、1個買ったら、MINIが出てきた。
ボタンを押すと、マリオがやられて、小さくなってしまう時の音がする。
ちょっとこれじゃぁ、、、と思って、も一個購入。
# プチ大人買いである。

そうしたら、ジャンプの時の音が出てきた。
そうである、ボタンを押すと、マリオをジャンプさせた時の音がする。
結構お気に入りである。

この音を聞くと、ちょっとだけ体内の片隅にエネルギーが発生するのを自覚するのである。
しかし、、、あのスーパーマリオをやったことない人には、
無縁なコラムであった。
 

P.S
しかし、、、最初の購入目的は、
ガチャガチャマシンの広告を見ながら、
いったい200円でどんなものが出てくるの?

そうしたら、ちゃんと電池入りで、こんな電子機器が出てくるのである。
このコストパフォーマンス。

電子業界にいる自分は、素直に思う。
やんなっちゃうなぁ。
 

AM 11:22:32

2007年2月24日土曜日

空のらくがき

あ~、いっけないんだぁ~。
 
思わず思った私の童心。
 
2月24日快晴。
 
みんな、好き勝手に空にらくがき。
 
私は、ここでそれを見ている。
 
でも、
 
何となく楽しくなった私の心が

何となく私はうれしかった。
 
 
 
P.S
 
この日一日、いいことがありそうな予感もして。
 

 

PM 09:58:39


2007年2月22日木曜日

就業規則に追加


以下を就業規則に追加する。
 
・年上の社員よりも先に逝ってはならない。
・それを守れないヤツは、罰金。
 
P.S
オレより若いくせに、先に逝くんじゃねぇ!
ったく。
 
 
PM 09:29:44

2007年2月20日火曜日

弔辞

にいちゃんよ、オレ達、27年の付き合いなんだって。
オレの方が年上なのに、なんでアンタのことをにいちゃんと呼ぶようになったかも、もう思い出せないや。

初めて会った時が、前の会社の入社試験の面接の日で、ビルの1階のエレベーターホールで、行き先に不安を感じながらも一緒にエレベーターに乗った時だったもんねぇ。
あれから27年なんだって。
 
それからというものオレと仕事人生ほぼイコールだもんなぁ。
今の支店、小さなワンルームマンションで二人っきりで始めた時、
次の社員が増えるまでの結構長い間、来る日も来る日も二人だけで黙々と仕事してたよなぁ。
一日中二人っきりで、何を話していたんだろう。
今から思うと、とても不思議だけれど、あまりにも普通で過ごしていたから、思い出せないことも多いや。
 
しかし、にいちゃんの仕事は、ほんと正確だったもんなぁ。
オレの好き勝手なやり方に、どんなつまらないことも単調なことも本当に正確に黙々とやりこなしてくれた。
たまにグチのようなものも聞かされたけれど、
それは、ほんとうに的を得ていて、そうなってしまったことの反省をつくづく感じてたよ。
 
だから、いつもオレは、にいちゃんのグチを聞かないように一生懸命だった。
でもそれが、ボクらの仕事の効率や能率・能力の向上へ導くことになったはずだ。
量産品を作っている時なんかも、いっぱい同じものを作るんだもの、事故も必ず発生する。
でも、もうそんなの隠そうとせずに、
二人で必ずそれの再発防止処置を考えるようになったクセがついたのもいつからだろう。
必ず放っておかないで何かをしよう、何かを工夫しようっていつも話し合ったもんなぁ。
 
今回のにいちゃんの癌を聞いて、そのまま通り過ぎるわけにはいかない、何かしなきゃ、
そう思って、オレとシンちゃんは、マーカー検査したから。
でも二人とも異常ないって結果だったから。
きっと良かったって言ってくれるだろ?
 
まぁ、オレのこと、にいちゃんは全部知っていたから、改めて話すことはなかろう。
でもさ、ひとつだけ文句言わせろ。
オレの方が年上なんだから、先に逝くなよ。順番ぐらい守って欲しかったぞ。
 
こんな弔辞でゴメンな。オレ、おまえの弔辞読むなんて考えてもみなかったから。
最後に、ありがとう。ほんとうにありがとう。
オレの仕事人生今まで付き合ってくれて本当にありがとう。
平成19年2月20日
 
P.S
下書きが残っていたので、あえてここに載せた。
最後までちゃんと読もうと思ったけれど、
やっぱ、ダメだった。
 
でも、私は信じている。
死ぬって、ほら、よくクイズに答えて正解すると、
イチ抜けして、部屋から出て行く、そんなものなんでしょ?
 
いつか、ボクも正解して、この部屋を出た時に
次の部屋で、先に行った人たちが待っててくれてたりするんでしょ?
 
私は、そう信じ続けている。
 
 
 
AM 12:12:04

2007年2月19日月曜日

通夜に弔辞を書く。

昨日亡くなった彼の奥さんから電話が来た。
弔辞を読んでくれないか、という。
涙もろい私は、ボロボロになるから、出来ないと断った。
が、彼への弔辞は、あなたが最もふさわしいからという。

確かに私と彼との関係は長い、そして、深い。
前の会社の入社面接の時にそのビルのエレベーターホールで知り合って、
一緒に働き、今の会社に転職もした。
 
今の事務所一緒にを立ち上げてからは、20年間、ほとんど毎日一緒であった。
仲がいいとか悪い、とかでなく、もっと何か他の絆で結ばれていたような気がする。
私にとって、いや彼にとっても、どの家族よりも長く顔を見続けていた相手であったはずだ。
 
そして、弔辞を受けた。
生れて初めての弔辞であった。
作り方も何も知らなかったけれど、精一杯書こうと思った。
 
文面はすらすら書けた。
思いのままに書くだけであったから。
 
墨と硯を引き出して、せっかくだから筆で書き始めた。
15年間習っていても、やはり私の字は下手である。
青墨がなかったので、普通の墨を薄めて書いた。
長い文章で。字は下手。墨も濃かったり薄かったり。行間もまちまち。
けれど、それで構わないと思った。
自分の持ちうる能力で精一杯やれば、それでいいと思った。
それが、彼への最後の誠意だと思った。
 
 
P.S
ほんとうに字は下手である。
が、それでも構わない。
そう思えたのは、15年の長さ故かもしれない。
 
けれど、弔辞は後でわかったのだ。
書くことよりもそれを読む方が、遥かに難しいってことを。
 
 
PM 11:58:00 
 

2007年2月18日日曜日

法事 47回忌と33回忌

18日、晴天。
今日は、法事であった。
 
じぃちゃん(祖父)の47回忌。
      と
ばぁちゃん(祖母)の33回忌。
 
残念ながら、祖父の記憶は殆どない。
強烈なワンショットは、ソファーの上で、白い大きい自動車のおもちゃをもらった時のシーン。
今となっては、曖昧な記憶かもしれないけれど、確かなワンショットとして、記憶に食い込んでいる。

祖母は、私の高校の時になくなった。
さまざまな記憶があるけれど、30年も前ともなると、やはりコントラストが薄くなっている。
 
そんな祖父と祖母の法事。
夫婦そろって同時の法事である。
あっちの世界でどうしているんだろう?
そんなことを思いながら、お経を聞いていた。
 
お経中に、私の携帯がブルブルとなった。
私は、個人用と会社用と携帯を2台持っている。
しばらくすると今度は会社用の携帯がブルブルと震えた。
さすがにお経中は、携帯に出られなかった。
 
お経が終わって、法話の時に、私は、和尚さんに問うた。
かなり前、ある和尚がこう言っていたことを思い出したのだ。
「私達は、人が亡くなると病室に呼ばれる。
 本当は、まだ逝かぬうちに、呼ばれて話を聞かせてやりたい。」と。
 
私の仕事仲間が、癌と闘病している。
充分に歳を取って逝く人と、
若くても早く逝ってしまう人と世の中には居て、
神様・仏様は、どうして不公平なんでしょうか?
せめて、順番ぐらい守ってくれたってよさそうなものじゃないでしょうか?
そんなことを和尚さんに問うた。
 
和尚さんは、いろいろ話してくれたが、私には、納得できるものはなかった。
病床で戦っている彼に言って上げられることは、何も見出せなかった。
 
法話が終わって、お堂を出た。
おもむろに携帯に残っていた留守録を聞いてみた。
その彼が、亡くなった知らせだった。
 
27年間一緒に働いてきたヤツである。
涙が止まらなかった。
涙を止められなかった。
 
P.S
変な話を和尚にしなければ良かった。そう思った。
 
2月18日。
私は、この日の晴天を忘れない。
 
 
PM 11:30:45

2007年2月16日金曜日

幸せのちから

すごい映画である。
というか、すごい人生である。
実話だそうである。
まだ上映中だから。
 
いわゆるアメリカンドリームなんだろうな。
この映画を観た後に、自分もちょっと頑張ろうかな、、、
そんな気持ちになる。

けれど、次の瞬間、こうも思う。
自分にはやっぱ出来ないんだろうな。
もっとも凡人には、とても出来そうもないことだから、映画にもなるんだろうけれど。
ド貧乏からのリバウンドの落差とそのパワーがあまりにも激しい。
もっとも、彼はその素質があったのだろうけれど。

ならば、なぜ、最初にド貧乏に陥ったのか?
回避できたはずじゃないの?
たとえ実話だといわれても、ちょっとついていけない我が身であったりもする。


P.S
まず、私は、ルービックキューブが解けないし。
マイナーな自分が情けなくもあるかもしれぬ。
 

PM 11:11:00

2007年2月14日水曜日

バレンタインデー

今年のバレンタインデーは、大阪宿泊出張であった。
仕事先は、裁判所。
宿泊は、中ノ島のビジネスホテル。
 
ちなみにこの日、女性と接触する機会すらなかった。
# 立ち寄ったコンビニさえもオヤジだったなー。
 
やっぱ今日は、チョコを食べないとダメでしょ。
そう思って、裁判所内の購買で購入。

バレンタインデーなんか、嫌いである。
 
P.S
3日後、会社に戻ったら、食料品業界のお知り合いからどデカイチョコが到着していた。
上の写真は、その伝票。
希望配達日は、2/16日。品名は、サンプル。
在庫品の処理かよ。義理チョコの極みである。
# ちったぁイロ気ぐらい漂わせてほしいぞ。
 
でも、サンキューでした。お腹いっぱいになりました。
# ぅおっぷ。
 
 
AM 12:43:05

2007年2月12日月曜日

3秒ルールというより3mルール

ちょっと軽い気持ちで書いてしまう。
 
ちょっと前、某お菓子メーカーの3秒ルールものを聞いた時、
なんて幼稚な、、、と思ったのが私の第一印象であった。
とんでもないな、、、と思うより、その幼稚さに呆れたりもした。

要は、3秒ルールとは、お菓子を作っている生産ラインから、床に落しても3秒以内に元に戻せば、
その落ちた事実が免除されるというルールである。
# 仕事を楽しんでいるな、、、とも思ったりもして。

が、私は、その内容を聞いた時、不思議に思えたことがあった。
良し悪しは別にして、ちょっと想像してみる。
 
お菓子なるもの、仮に床に落ちたとしても、時間と共に、何か大きな変化があるものだろうか?
落してしまった事実がそこにあって、3秒以内か以上かで、そのお菓子の不潔さが急激に増大するとは考えにくい。
だから、そんな時間的な制限設定の発想がひどく幼稚な気がしたのである。
# それとも床に何かウィルスが蠢いているのであろうか?
 
ところが、うちの会社に上の写真のお菓子(チョコ)があった。
ほぼ完全な球形をしている。
ところが、私も歳である。
ふと、このチョコを摘んで持ち上げようとした時に、手元からすべり落ちた。
落下したチョコが床に到達すると、まるで私から逃げるようにコロコロと転がっていった。
「あ~、もったいない」というのが次の瞬間、私の頭に浮かんだことであるが、
こりゃ、誰かに踏まれたら、床が汚れる、、、という大義名分と共にそのチョコを追いかけ回収する。
 
よく見ると、見事にホコリまるけである。
ちょっとホコリを払ってみる。息で吹き飛ばしてみる。
このぐらいなら、別に構わないよね。パクッ。
 
しかし、職業柄、こんなアナログ的な判断をしてはいけないと思った私は、
うん、3mルールにしようと考えたのであった。
要は、落ちて床を転がる距離が3m以内だったら、食べて良し。
3m以上転がったら、やはりそのまま捨てよう、、、などと。
 
私の考えたこのルールは、某お菓子メーカーの3秒ルールよりも遥かに理にかなっている様な気がするな、と自負している。

# 不謹慎な話題ですみません。
 
 
P.S
5mでもいいっかなー、、、などとも思える今日この頃。
私の体調に別段変化は起きていない。
 
 
PM 07:55:09

2007年2月10日土曜日

それでもボクはやってない

いやはやとんでもない映画である。
 
といっても現実感たっぷりの映画である。
ちなみに私は、ちょっぴり法曹関係の仕事に携わっていたりするので
比較的既成知識は、まだある方かもしれない。
 
しかし、この映画は、ツライやね。
なんていうんだろうか、、、
性悪説と性善説が正面から激突したら
こんな結果になるんだろうな、、、そんなことを感じた私である。
 
されど、思う。
この映画に出てくる人達は、むしろ仕事を忠実に淡々とこなす人たちが殆どである。
誰も、作為的な明確な悪い人間は誰も出てこない。
なのに、こんな結果となるのである。
 
法曹関係者は、きっと
「裁判なんてこんなもんだよ。」
そう言ってのける人も居よう。

けれど、一般の市井の人々は、少なくとも信じているのだ。
裁判所とは、悪しき者を罰し、正しき者を救う、
        その判断を正しくされるべきところ、と。
 
 
P.S
http://www.asahi.com/national/update/0220/TKY200702200465.html
(↑の記事も既にありません。)
死刑囚が100人になったという。
さて、その中に冤罪がまったくないと言い切れる人がいるだろうか?
 
PM 10:30:28

2007年2月9日金曜日

会社の帰りに

会社の帰りに
 
まだまだ残業している部下にひと言声をかけて先に帰る私。
 
「おつかれ。お先に失礼。
 
  あんまり頑張って体壊すなよ。
 
    ギリギリまで頑張ってな。 じゃ。」
 
P.S
この部屋での私の肩書きは、支店長。
 
 
PM 09:38:31

2007年2月7日水曜日

心臓の電池切れ?

健康診断の結果が届いた。
まぁ、Aばかりで、こんな成績は、今まで取ったことがないような。
けれど、Dがひとつだけあったり。
でも、去年はEだったので、ひとつランクアップ。
努力の成果である。

ついでにガンのマーカー検査結果も届いた。
大きな紙にただひとこと「判定:異常所見なし」
一応、車検をパスって感じだろうかな。

あえて、検査結果にコメントされているのは
心電図の欄
「不整脈洞性徐脈」
心電図測定時に脈拍がどうしても50を越えられない私のカラダ。
ま、スポーツマン仕様ね。
# スポーツですか? 何もしてません。

ちょっと病名をネットで調べたら、
「病気ではありません。いわゆる電池切れの状態です。」
なんて解説してくれているやさしいお医者さんがいたり。
# 心臓がおかしくなくても、電池切れたらどうなっちゃうの?
 
あと「心筋梗塞Q、Qs型」
なにこれ?
誰かご存知の方、コメント落していってください。
よろしく。
 
P.S
誰か、デスノートに私の名前を試し書きしてない?

# この数年後、まさか心臓にステント入れることになるとは、、、。
 
PM 10:52:45

2007年2月6日火曜日

頑張れ!朔

# 以下の記事については、既にそのサイトが消失しており、真偽も含めて不明である。
# 私の死後も、ブログというのは、いつか消えてなくなってしまうのだろうなぁ。


今、ひとりのブログのオーナーが容態が悪化して重体となった。
兄が、その後を引き続けて書いている。
頑張れ!朔。
君がいくには、まだ早すぎる。
頑張れ!

P.S
わざとらしい!って、思う方も居よう。
けれど、もしそうだとしたら、ブログオーナーはどうしたらいいのだろう?
自分が最後に意識を失った時、どうやってそれを人に伝えよう?
 
PM 10:19:03

2007年2月5日月曜日

5000年前の失楽園

今も5000年前も愛し合った男女の行き着く先の結果のひとつとして考えることは同じだったりする。
 ネタ元ニュースは、こちら。(は、もうありませんでした。)
 
けれど現代は、現実には、こういうのはなさそうだなぁ。
仮に有ったとしても、小説「失楽園」の最後ように、重なった男女の体は、きっと引き離されてしまうであろう。
粋じゃないんだ、現代は。
 
P.S
ちょっとだけこの骸骨男女がうらやましくも感じた。
 
 
PM 09:48:57

2007年2月3日土曜日

マレーナ

ある雑誌でお奨め記事が目にとまり、
DVDにて鑑賞。イタリア映画である。
もう古い映画なのだけれど、
やはりネタバレにつながることは避けよう。
 
あえて、ストーリーのキーワードは、
美しいが為の女性の悲劇、とでも言おうか。
「哀愁」をご存知の方は、間違いなく思い出してしまうであろう。
 
と、ここまで書けば、完全にネタバレだな。
けれど、この映画、若い青年の視点からの映画で
まぁ、イタリア的下品、と書いたら叱られるだろうな、イタリア大衆的イメージで作られている。

シモネタ単語も満載で、まぁ、合わない人には、嫌悪感も拭いきれないかも。
けれど、実に味わいのある映画に私には思えた。

シーンがいい、曲もいい、いやいやストーリーも決して軽いものではない。
あなたが映画ファンならば、やはり見ておいた方がいい映画だと思う。
 
いろいろお話したいこともいっぱいありますが、、、
やはり辞めておきましょう。
 
 
P.S
安心してください。
「哀愁」のような悲劇的なエンディングではありません。
 
かといって、単純なハッピーエンドでもありませんが、、、
 
 
PM 10:30:39

2007年2月2日金曜日

一流になるためには

「一流になるためには学校教育は効率が悪すぎるって祖父が言ってたけど、どう思う?」
と彼女が私に訊ねた。
「そうだね、たぶんそうだろうな」と私は言った。
「僕は16年学校に通ったけど、それがとくに何かの役に立ったとも思えないから。
 語学もできないし、楽器もできないし、株のことも知らないし、馬にも乗れないし」
「じゃあどうして学校をやめなかったの? やめようと思えばいつでもやめられたんでしょ?」
「まあ、そりゃね」と私は言って、そのことについて少し考えてみた。
たしかにやめようと思えばいつだってやめられたのだ。
「でもそのときはそんなこと思いつかなかったんだ。
僕の家は君のところと違ってとても平凡であたり前の家庭だったし、
自分が何かの面で一流になれるかもしれないなんて考えもしなかったしさ」
「それは間違ってるわよ」と娘は言った。
「人間は誰でも何かひとつくらいは一流になれる素質があるの。
 それをうまく引き出すことができないだけの話。
 引き出し方のわからない人間が寄ってたかってそれをつぶしてしまうから、
 多くの人々は一流になれないのよ。そしてそのまま擦り減ってしまうの」
(中略)
一流の人間というのは普通、自分は一流の人間になれるという強い確信のもとに一流になるものなのだ。
自分はたぶん一流にはなれないだろうと思いながら事のなりゆきで一流になってしまった人間なんてそんなにはいない。

      世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹より
 
 
気に入った部分にティッシュの切れ端を挟みながら読んでいったら
ティッシュだらけになっちゃって、途中で全部破棄。
 
あえて、記憶に残っている部分から上記部分を抽出。
ハルキファンには、こんな部分を抽出するなよ、って言われそうですが。
私には、、、、ですから、まぁ許してください。
 
P.S
久しぶりに若い小説を読んだ気がする。
結構時間がかかった。
ストーリー性を追いかけるのは、、、、エヘ。
 
しかし、そのシーンは、激しいところもあるのだけれど、
実にのどかで美しかったりするところもあり。
人生の最後は、こんなんでありたいな、、、とも思ったり、
こんな最後は、私には、無理だな、、、とも。
 
いいえ、今回は出演者は誰も死にません。
時々のシーンとそのストーリーの意外性とが楽しめる小説です。
小説を読みなれている方には、お奨めですが、
日頃、あまり本を読んでいない方には、ハードルが高いかも。
 
ノルウェイの森からは、かなり遠い距離の小説に私には思えましたが、
間違いなくこれが村上春樹ワールドでしょう。
 
好きだな、こういうの。
 
 
PM 10:23:26

2007年2月1日木曜日

為勢バ成リ 奈佐年バ那らぬ 何事も

 
為勢バ成リ

 奈佐年バ那らぬ
 
      何事も
 
 成らぬは
 
  人能なさぬな里希り

今年のお習字の展覧会への出展作である。
恥ずかしいけれど、ここに載せてしまう。
 
今年は、我が身への自戒として、この一文を選んだ。
今年の座右の銘とするべ。
 
 
P.S
しかし、、、作品に仕立てるごとに、掛け軸が貯まっていくなぁ。
家に掛けるところもないし、、、
オークションにでも、、、、、、、、、売れるわけないな。
じゃぁ、無駄なこと?、、、、、、、、思考再起動。
 

PM 10:18:49