2022年5月31日火曜日

ラスト ストロー

そのまま訳せば、「最後の藁(わら)」である。

英語のことわざとしては、

It is the Last straw that breaks the camel's back.

直訳すれば、

「ラクダの背骨を折ってしまう最後の1本の藁(わら)」

荷物を運ぶのに、ラクダの背中にどんどん荷物を載せてしまう。

ラクダは、ただただひたすら重さを耐えている。

けれど、その限界に達した時、次に載せたワラ1本で背骨が折れてしまう。

その最後の一本のわら。それが「ラスト ストロー」。

荷物とは限らず、イジメにせよイヤガラセにせよ、

最初うちは耐えられていても、
ある日突然何かの出来事やひと声でキレてしまったり。

その瞬間の最後の出来事は、きわめて些細な事だったりする。

ただ、“ラスト ストロー”と出会う時は、
その“ラスト ストロー”なるものは気付きにくいんじゃないかな。

何かが起きてから、それが“ラスト ストロー”とわかることが多そうだ。

何気ない日々の中で何をするにしても、
それが“ラスト ストロー”でないことを常に気にするべきなのかもしれない。


 
P.S

昭和のバブリーな時代の映画「私をスキーに連れてって」

その中で、こんなセリフがある。

「無茶すんなよ。」

「無茶しないで何がおもしろいのよ。」

私は、このシーン・セリフがとても好きなのだけれど、

“ラスト ストロー”とは、

そんな私のような人間を戒めるための英単語なのかもしれない。






2022年5月29日日曜日

ゴッドファーザー PartⅢ

しかし、人生って、何なんだろう、、、。

観終わってつくづく思ってしまう。

所詮、100年にも満たない人生。

その中で、がむしゃらに生きることに意味があるのか?

なんてことをつくづく思ってしまう。

もちろん、その瞬間々々に精一杯生きることは大切ではあるのだけれど。

その時々に、自分が信じて善かれと思ったことも、
世は、すべて良い方に進んでいくとは限らない。

そんなことは、自分の人生にだって多々あった。

どれだけ正しい道と思っていても、うまく行かないことがある。

悔しいし、苦しい。そして、哀しい。

けれど、生き続けなばなるまい、死ぬまでは。

人生って、そんなものなんだよ、

自分にそう言い聞かせて。



P.S

やっと3部作の見直し完了。

やっぱりこの手の映画は、歳を取ってからしみじみ観ないとダメだよなぁ。

なんて思ったりもする。

でも、私のこの人生で、この物語をまた観直すことは、もうないだろう。

 



  

2022年5月27日金曜日

球はゲームセットの瞬間まで試合はわからない。


野球はゲームセットの瞬間まで試合はわからない。

 だから「捨てるな!」

  日々ベストを尽くせ

   されば人生にだって逆転はある。

        漫画家 水島新司


-----

テレビで観戦する多くのスポーツにおいて、
野球は、他の球技のスポーツと何が一番大きく違うかっていうと
その放映時間の終了時刻がわかりにくいこと。

# ゴルフなんかは、もう諦めていますが。

サッカーだってラクビーだって、ロストタイムの誤差は有れども
とりあえずは、競技時間が決まっている。

逆に言えば、野球は、時間にあまり捕らわれないスポーツということになる。

# だからスピーディじゃなくて嫌いというアンチ野球ファンもいますが。

であれば、確かに「野球はゲームセットの瞬間まで試合はわからない。」ということになる。

9回裏2死からでも逆転はあり得る。
上記言葉は、まさにその通りである。

人生だって、現時点で終了時刻が明確になっているわけでなければ、
もっと大きな幸せな出来事があるかもしれない。

そう信じて。


P.S

逆に、サッカーのように、勝っている時に競技時間の終了が近づいてくると
そのまま大きな冒険もせずに逃げ切ろうとする思考が働く。

人生も現時点が幸せなら、
そのまま残りの人生を幸せに逃げ切ろうとする思考が働くかもしれない。

けれど、長く生きていれば、ツラい目にあう可能性も高まりそうなものでもあるわけで。

自分の人生なのに、ゲームセットしたい時に自分で終われない哀しい人間だったりする。






2022年5月25日水曜日

5/25 8,888.8km

単なるメモであります。

5/25 8,888.8km。

もう通勤に使わなくなっちゃったから、ペース落ちるだろうなぁ。


 
 
P.S

“8”が6個並ぶ日は、、、さすがに無理だろうな。




2022年5月23日月曜日

流浪の月


哀しい物語だった。

若い俳優の演技も良かった。

画も美しかった。

# まだ上映中だからネタバレは避けねばな。

内容は重い。

現状から逃げ出したかった子供と
それを何気に助けてしまった若者。

何気ない行動をしただけなのに、
口から出したくないことを言わなかったことで
家族も世間も都合のいい判断をし、それを決めつける。

そして、不幸の連鎖が始まる。

どんな終わり方になるのか不安を抱えて観ていたけれど、
こんな着地点でも僅かな光でも希望が見いだせたのが私には良かった。

私は、この物語は“純愛”と思ったりもする。

もういいよ、人のことなんて気にせずに二人で生きていけばいいんだよ。

最後のシーンは、私は彼らの背を押してやりたかった。


P.S

彼らの幸多からんことを祈る。







2022年5月21日土曜日

償い 矢口敦子


かなり前に買った小説である。

# 10年も前のような気が。そんなことはないか。

買った理由は、覚えていない。
たぶん本屋さんでの平積みとポップのせいだろうと推測。

やっと時間ができたので、ふと読みだした。

# ま、ネタバレは避けねばならぬかな。

深く読めばとても深いテーマに行きつこうものであろうけれど、 じゃぁどうすればよかったのよ、と感じてしまう私は単純過ぎであろうか。

残念ながら、人生は運命に流れるように進む。
その時点でどちらの道を選ぼうか、その後のことはわからない。
その一瞬一瞬を精一杯生き抜くしかあるまい。

その結果として訪れたことは、やはり受け止めなければならないでしょう。
仮に今行う行動が間違っていようとも、そこに導かれたのには理由もあろう。
 
正しいことであろうとも、たとえ間違ったことであろうとも
そこに行き着いた状態をたやすく否定できるものでもなかろう。
各々の行動には、それなりの理由があるわけだから。

だから、「償う」ことになる。

それは、仕方がないことじゃないのか?

そんな感想を持った。

おススメ度は、残念ながら、私としては、高くはできないな。


P.S

-----

僕は、ヒトという動物がどうして余分なのをいろいろいろいろ身につけてしまったのか、

不思議でならないんです。(身につけたものによってヒトは)なにを得たんでしょう。

失うことへの不安、得られないことへの不満。

(中略)

ボノボやチンパンジーのように、ヒトも適当なところで知性の発達をとめて、

生まれ故郷から出てこなければよかったんです。

-----

以上は、作中からの抜粋である。

確かにね、と私も思う。

けれど、無理なんだよ。
チンパンジーも進化し続ければ、いつかヒトのようにもなる。

いや逆に、何万年も先の人類からしてみれば、
今の時代ぐらいで止まっていれば良かったのに、と思われることにもなるのじゃないか?

そんなことを思う。

逆に

過去の知性の未発達状態の方がいい、とか
遥か未来の高度知的状態の方がいい、とか

それじゃぁ今が最悪なことになる、という考え方は、
私は好きじゃないのですけれど、、、ねぇ。

いつも、生きている今が一番いい、
 
そう考えていたいじゃないですか、、、ねぇ。

















2022年5月19日木曜日

失敗・成功する人の考え方


よく言われる。


失敗する人の考え方は

失敗へか成功へかどちらかの道を選んだ結果という人


成功する人の考え方は

連続する失敗の向こうに成功があると考えている人



分かりやすい例えですね。

確かにそうだよね、と思う。

だから、人生、きっと失敗の方が多い。

だから、失敗も覚悟しなければいけない。

そんなことをココにメモ。


P.S

それでいけば、、、

やっぱ人生の最後は、成功で終われるといいなぁ。

いやいや、失敗も含めて、その経験ができたことを幸せと思おうよ。


密かに自分にそう言い聞かせて。





2022年5月17日火曜日

時代屋の女房

古い映画ファンの方なら、一度はこのタイトルは耳にしたことがありましょう。

で気になり続けてた一本。
で、やっと手にしました。

時代屋の店舗自身は、実在したんですね。

原作は、いろいろ長いエピソードがあるのでしょうが、 この映画の物語は、観ていてツラかったなぁ。

冒頭、美女が野良猫を連れて、フラッと時代屋の店に訪れる。

そして、そこに居ついてしまうんだな。

結果、外から見れば、まるで夫婦のようになる。

ところが、ある時、フラッと居なくなる。
ところが数日経つと帰ってくる。

そんなことが何回も起きる。

そんな時に待つ方の身は、実にツラい。
店の主人は、どこに行ってきたのかを追求しない、、、
それエライっていうの?

観ていて実にツラい。

まぁ、最後は、とりあえずのハッピーエンドっぽく終わっているけれど、
この主人公は、今後もそんなことに悩まされるんだろうか?

信じ切っているのか、諦めているのか、
それともどうでもいいと思ってなきゃ、
その後も付き合っていけないよなぁ、

と私は、つくづくその苦しみを思ったりするのでありますが、、、。

それにしても懐かしい名優が脇を固めている。
明らかにその誰もが、やはり名優だった。

1985年の製作であれば、まさに昭和の世界。
今となっては、35年以上も前の映画であるけれど、
藤田弓子以外は、全員鬼籍に入ってしまっているのがなんとも哀しい。

物語は、なんとも複雑な感が否めない作品だったけれど、
タイトルだけは、名を残している理由がなんとなくわかったような気がした。



P.S

はるか昔、そう50年位前、、、中学生の時だったな。

住んでいた家の縁側にフラッと野良猫が現れた。

妙になれなれしかったその猫にフト夕飯の残り物をあげた。
 
やがて、何気に居つくようになった。
が、こちらも飼っている意識はない。
タイミングが合えば、餌をやったりしていた。その程度の関係。

# 今どきは、許されないんだろうな。昭和の時代である。

次第にだんだん家の中に入ってくるようになり、
夜には、私の布団の上で寝てたりもしていた。

いつかまるで飼い猫のようになっていた。

ある時、そこを引っ越すことになった。

すると、その猫はそれを察したのか、家に来なくなった。
心の中にポッカリ穴が空いたような気持になった。

思わず近所を探し回った。
 
数日後、遠く離れた草むらにうずくまっている猫を見つけた。

うれしかった。

けれど、引っ越しには連れていけなかった。

私が探した理由は何だったんだろう。
今から思えば、ちゃんと別れる挨拶がしたかっただけなのかもしれない。

だから、、、この映画は、、、ツラかった。




2022年5月15日日曜日

メモリモジュール捨てます。

引き出しに貯まりに貯まったメモリモジュール。
もうさすがに1Gより小さいタイプは使わないよねぇ、と廃棄予定。

しかし、コネクタの端子なんかは金メッキだから、
廃棄する方向をちゃんと選ばないとなぁ、と思っているのだけれど、
なんていうか、このムダ感がツラいよねぇ。

PCの進化のスピードに対して、
最新技術を盛り込んだパーツが次々と現れながら
数年もするとゴミ扱い。

こんなんじゃやっぱ地球はもたないよなぁ。

もっとも半導体なんかは、資源消失の心配はないのだろうけれど、
これを作るための設備やエネルギーだって、
短い命の為に使われているこの消費世界で
人類はどこまでやっていけるんだろうか、、、

などと密かに思ってしまう。

再生ったって、またエネルギーが必要なのは間違いのないことだし。

ちょっと心が痛みます。


P.S

資源に関して言えば、、、

きっと悲惨な状態が起きるとしたら、

その頃は、既に私は人類から退場していそうで申し訳ないです。





2022年5月13日金曜日

読書の副作用

最近、仕事から遠ざかったせいで

本を読みまくっている。

今まで、つい気になって買ってしまって山積みになっていた本を片っ端から読んでいる。

すると、面白いのは、
本を読み没頭していると、スマホをいじる時間が激減する。

もっと言うと、ツイッターやインスタや、いわゆるSNSなども、もうどうでもよくなってしまう。

さらには、テレビもニュース番組なんかにも興味が薄くなる。
乱暴に言えば、世の中のことなんかどうでもよくなってしまうのである。

世では、戦争が起きている。犯罪が起きている。ネットでは誹謗中傷が溢れている。

もちろん、世の中で起きていることは、気にしなくとも耳には目には入っては来る。

しかし、その情報の不確かさ。一方的さ。どうでもよさ。

もう真実が何かも、何を信じてよいのかもわからぬまま、
そんな情報を追いかけていても無意味さを感じてしまう。

そんな世捨て人思考が良いとは思わないけれど、、、

だから読書は楽しい。

そう長くは続かないであろうそんな状況・状態を今楽しんでいる。


P.S

読みたい本は実に多い。

けれど、読んで自分に合わない本もある。

読んでみなければ、わからないのが永遠の課題だよなぁ。

合わない本に出会って、付き合ってる時間は、

もうあまりないんだし、、、さ。





2022年5月11日水曜日

高台家の人々

どうもパッケージのデザインからして手が伸びにくかった一本でありますが、

いつもどうにも目に付いてしまって、これを乗り越えるには、もう観るしかない、

とレンタル。

ですが、、、

もう有り得ないストーリーとギャグっぽく、コメディーっぽく、バカバカしそう、、、と

冒頭観始めたものの、、、あ、いや、、、結構、、、面白かった。

目を覆いたくなるようなバカバカしいシーンもありましたが、
すみません、、、涙がもうチョチョぎれてしまって、、、感動?に近いものが。

いやぁ、こういう映画でいいんですよ、たまには。

小難しかったり、ハラハラしたり、そんな疲れそうな内容じゃなくても
こんなに明るく軽く楽しい日本映画でいいじゃないですか。

と、大いに肯定してしまう映画でありました。

うん、観てよかった。

実にその後、サントラのCDをレンタルして、
その中の曲をiPhoneの着信音にしていたりする、、、ははは。




P.S

確かに、他人の心が読めてしまったら、
自分の性格がかなり屈折してしまいそうなのは、想像に難しくないなぁ。

いや、人間の発生の起源として、もし、そんな能力を持っていたら、
きっと人間どうしの闘いで滅んでしまうでありましょう。

だから、そんな能力のない人間が現在存在しているのかもしれませんね。

でも、そんな能力を持ったいくらかの人間が生き残って残存しているとすれば、、、、

この物語は、SFではないことになる、、、な。




2022年5月9日月曜日

ダンゴの進化

先日、城下町を歩いてダンゴに遭遇した。
すると、つい食べてしまうのは、既に書いたっけな。

なんでダンゴに条件反射があるかということは、こちらで

で、今日も買って食べていたのですが、近くのダンゴ屋は長蛇の列。

なんでなんで?と見てみたら、ビックリ。


いわゆる“インスタ映え”するこの一品。
思わず私は感動してしまった。

なにを感動したかというと、そのダンゴの進化についてであります。

こりゃ確かに売れるわぁ、つくづく思う。

けど、、、深く深く思うのであります。

私がダンゴを焼いていたのは、もう40年以上も前のことであります。

その時に、なぜこういったダンゴが思いつかなかったのか。産まれなかったか。

当時は、思いつかないのが普通だしそれが当然ださえとも思う。

いやそもそも、ダンゴと言ったら、ダンゴにしょう油や甘ダレ付けたものでしょ。
そんな既成概念がデフォでしょ。

ところが、誰が考えたのか思いついたのか、
所詮ダンゴである限りは、大した工夫ではなくても
こんなに進化してしまうもんだな、、、と。

これは、経営努力の結果なのか?それとも若い感性での自然発生か?

いずれにしても、ある瞬間に突然変異種として現れたのであろう。

いやぁ、こんなダンゴでさえもこんな進化をするものなんだなぁ、
と感動してしまったのでありました。

# 味ですか?
# すみません、あまりにも長蛇の列で断念したもので、、、未確認です。(深謝)


P.S

その延長上でゆくと、、、

更に50年経った時のダンゴはどうなっているのか?

その時代の先を見越したアイデアを見つけられる人が、
ひと儲けできる素養を持った人なんだろうなぁ、、、

と、つくづく自分の凡人さを感じるわけでもありました。



2022年5月7日土曜日

読書をするなら朝がいい

寝る前に、少しだけ時間があると本を読む。

ついついはまり込んじゃうと目が冴えちゃったりもするのでほどほどに、と思いながらも、まぁだいたいその前に、腕が疲れて読書継続断念で眠ってしまうわけですが。

小説なんかは、やはり眠りにフェードインしてしまうこともあるわけで。
そんな時には、次読む時に、どこまで読んだんだっけな、と探すハメになることもある。
眠ってしまう寸前の部分は、もう覚えてなかったりして。

それに比べると朝の読書はいい。

歳も取ってくると、マジ早く起きてしまうことが多い。
まだ起きるには早い、二度寝も出来なさそう、、、
そんな時は、思い切って本を読みだすといい。

そもそも起きたばかりで眠気がないので集中力がある。
したがって、ずんずん読める。頭にも入る。

もっとも起きなきゃいけない時間には終わらなきゃいけないわけだけど
やはり、夜か朝かと言われると、読書は朝の方がいいような気がするのだけどな。

土曜の晩はさっさと寝て、日曜の朝、布団の中で本を読む。

その方が、日曜の一日も長くなっていいですよ。

と思ったりする今日この頃。


P.S

って、老人ならではのおススメなんでしょうが、、、ね。




2022年5月5日木曜日

ゴッドファーザー Part2

つい先日、懐かしくなってPart1を観て

世の中の感想の多くは、3作の中でPart2が一番面白いという声が多く、

であれば、やっぱ観なきゃな、と鑑賞。

# 当時は、やっぱこの手の映画は、
# Part2を観る気にならなかったんだろうな真面目な高校生としては。

実に200分。途中で休憩も入る。

まぁ面白いもなにも、ゴッドファーザーのPart1に至るまでと、Part1のその後が描かれていれば、

そりゃぁPart1よりも面白かろうことは、ある意味当然だわね。

それにしてもこの歳になってから観たからの発見が多かったこと。

ロバート・デ・ニーロの若かりし日ってあんなんだったんだぁ!というのが一番のショック。

しばらくは、てか、最後のクレジット見るまで気が付かなかったですよ。

で更には、実年齢は、アル・パチーノの方が年上なんですねぇ。

そもそも同世代ぐらいだったんだぁ、というのを初めて発見。

そういうのは、リアルタイムで劇場で観てないと、 古い映画をDVDなんかで観ていると時系列がグチャグチャで、 実年齢の比較なんて訳わかんなくなっちゃってるもんね。

それにしても、ヴィトーは、唐突な運命に出会いながらも自然な(?)流れでファミリーを築いていったのに比べて、 

マイケルの方は、運命に逆らえず大きなファミリーを背負うことになっていくのは、いわゆる身近な、会社というものでさえも、
創始者とそれを引き継がざるを得ない2代目みたいな。

そして、その2代目は、やはり創始者と比べたらムリムリなんだよなぁ。

そんなある種のわかりやすい構図が思い出されてしまう。

そう考えると、規模の大小はあれども、
世の中にいっぱい存在しているような物語のような気がしてならない。

こうなるとPart3も観なきゃダメかぁ。



P.S

祖父が会社を作り、かなり大きな会社まで育て、

父が、それを潰してしまった。

ちょっと他人事じゃないんだよなぁ、私にとってのこの物語。






2022年5月3日火曜日

あさきゆめみし 大和和紀

あさきゆめみし

大和和紀著

コミックであります。

塾講師をしていた頃、古文の授業で源氏物語を読んでいる学生から

「この部分、いったいどういう状況なのか全く想像できませんっ!」

って悩み迷う学生が何人かいて、

「んじゃとりあえずココ数ページ読んだら?」
 
と、このコミックを紹介したりしたものである。

まぁそれですべて解決するはずもないのだけれど、
まったく想像だにできなかったシーンがとりあえずマンガでも表現されれば、
とりあえずその場のシーンはイメージできるというものであろう。

で、私もそんな質問の際にすぐにココって示すことができるように
せっせと帖のタイトルを付箋に書いて、それぞれのシーンに貼り付けておいたものであります。

# でも3巻あたりでメゲたな。
# だってそれ以降ってほとんど教科書に出てこないんだもん。

まぁ原文では難解な源氏物語もコミックで読んでしまえば、
あれよあれよと読めてしまえるものであろう。

源氏物語のとっかかりにでもなれば、授業の副読本としてもいいかも。

だけど、ちょっと気になるのは、どこまで本物に近いかってことがイマイチ不明。

はるか昔のことであれば、作者もいろいろな文献で調べて
当時のイメージを想像で描いてるにしか過ぎないのでしょうから
そのシーンがどこまでが正しいのかは不明である。

# もっとも誰も正確なことは言えない状況でもあるのでしょうが。

しかも、その後、源氏物語に接するにつけ、ついついそのマンガのシーンを思い出してしまう。

本来、小説って、自分なりにイメージを持てばいいのに、、、ね。

# マンガとは、強力なものである。

まぁでも、これが源氏物語の魅力にとっかかるきっかけになればいいと思う。

こんな情景も心象も描かれている小説が今から1000年も前に書かれていたとは、
本当に信じられないよね。

私もつくづく思ったりもする。


P.S

マンガ自体が女性作家であれば、やはり女子向けのコミックとなってしまう。

「私も全巻持ってます。小学校の頃から何回も読みました。」

そんな女子高校生も何人かいた。

けど、、、素朴に私は思うのでありますが、、、

小学生に源氏物語って、、、内容的にちょっと早くない?

と、初心なお爺ちゃんは思うのですが。

そうそう、このコミックの一番の欠点は、
美人の顔がみんな似通ってたりすること。

美女達の顔に違いが見られなくて、
その識別が難しいこと、それに尽きる。

若いコミック慣れした女子には、
そのあたり問題にならないのかなぁ、、、。

お爺ちゃんには、この“あさきゆめみし”は、、、
 
ちょっと遅かった、、、かもね。




2022年5月1日日曜日

隠れた珠玉の作品に出会う旅

宮下孝晴と行く
隠れた珠玉の作品に出会う旅

フィレンツェ・トスカーナ編

以前、海外旅行にユーラシア旅行社を使ったことがある。

すると、その後、フリーペーパーの小冊子が届くようになり、 その中に宮下氏の旅行記が載っていた。

毎回2ページほどのわずかな記事であるけれど、旅行社のパンフであれば、 美術作品もその場所もコンパクトに解説されていてなかなか楽しめたものでありました。

それがゴソッと集めて一冊の本になっていて、とりあえず全部読破。

この記事、何が特徴かというと、選ばれている絵画や彫刻などは、
“隠れた珠玉の作品”と紹介されているだけあって、いわゆるちょっとマニア向け。

# これ見るためにイタリア旅行を目指す人は、かなりのマニアだと思われ。

ただ、この記事、まず何が楽しいかというと、
その教会や建物まで行く経路やその説明が楽しい。

決して車でビュ~ンって到着してしまうのではなく、
宮下氏が数少なそうなバスや列車を乗り継いでそこに到達するまでが
結構細かく書かれていて、そこから楽しめる。

# 私なんかもグーグルストリートで確認したりして
# ホォ~、ココをこんなに歩いたのかぁ、、、などと楽しめたりして。

そして、建物を確認して、中に入って、美術を鑑賞する。

そこに至るまでの、接した相手の人柄や開館時間の苦労話もあったりして
まさに旅情が楽しめたりするんだな。
 
写真もプロ並み(?)にきれい。
もちろん美術品の解説もあり。

なかなか楽しめる一冊でありました。

# もっとも宗教美術に興味がないとまったくでしょうが。

いや確かに美術解説書というより、まさにタイトル通りの“出会う旅”の一冊でした。


P.S

あ~、またイタリア行きたいなぁ。

けど、、、こんなところまで回っていたら、何か月あっても足りなさそう。

そういう意味では、書物で旅情と美術を楽しむべき一冊なのかもしれません。