2006年8月31日木曜日

韓国 インチョン空港にて

韓国インチョン空港で乗り換えの時間が6時間。
 
長いよ。
 
まずは、空港を見学。
広い、デカイ。
もうこんな空港、日本には作れないよね。
韓国の勝ちです。
 
で、後はソファーで、無線LANでインターネットカフェ状態。
Google Earthで、上空からウランバートルの予習。
 
しかし、、、やっぱ長すぎるよ、6時間。
 
 
P.S
下の写真は、レストランのショーウィンドウで。
空港内でも日本語への翻訳のツラさをたまに目にした。

ブルコギは、ブルコギでいいんじゃないの?最近は。
 
でも、名前とロウ細工も間違っていると思うんですけどぉ。

 

 

PM 09:30:00

2006年8月30日水曜日

ウランバートルってどこか知ってます?

あ、いえ、ボクは、よく知らなかったので、、、。
 

写真地図は、機内雑誌から撮影。
日本とウランバートルの位置関係をご確認ください。
# 帰りの機内のこの地図でボクも初めて知ったので。
 

食事の写真は、上から。
・機内食(日本~韓国)
・インチョン空港で(三鮮ちゃんぽん)
・機内食(韓国~モンゴル)
 

三鮮ちゃんぽん、辛かったぁ~。
うまかったぁ~。
お汁にご飯入れたかったぁ~。


スープ、飲み干そうとしたら、ジャスティンさんに止められました。
彼は、前回、飲み干して、次の日に苦労したそうです。
 

どれもなかなかおいしかったですよ。
 

P.S
仕事で行ってるんだってばぁ~。
 

PM 08:56:40

2006年8月29日火曜日

いざモンゴルへ

モンゴルへ行くことになった。
3泊5日の出張である。
 
モンゴルと言ってもウランバートルしか行かないわけで、ひょっとするとホテルとモンゴル大学の間しか知らない旅行になるやも知れぬ。
 
そんな旅行記をモンゴル紀行と呼ぶにはおこがましいけれど、
まぁ、許してくださいな。

で、やっぱし最初は、この看板。

上から2行目。
中部国際空港から大韓航空でソウル経由でウランバートル行きである。
 
さて、最初のトラブルは、、、
チェックインの時に荷物が重すぎると指摘された。
規定20kgのところ26kg以上もあった。
 
「2kgは、大韓航空からサービスいたします。
 お連れ様が1kg少なかったので、それを差し引いて、、、
 でも、あと2kg減らしてください。」
 
おいおいおい、ここでかよ?
チェックインカウンターの行列の前で、スーツケースを床に置いて、おもむろに開ける。
回りから好奇な視線が、、、
 
誰もが思ったであろう、、、「なに?この人のカバンの中身?」
そりゃ、仕事だもん。
ケーブル、工具、測定器などをこれでもかとスーツケースに詰め込んで、
もはや下着や衣類はパッキン程度である。
 
さて、考え込む。
何を手荷物に持ったら2kg減るのだろう?
変なもの持って、手荷物検査の時に引っかかっても面倒だよなー。
 
で、無意味そうな金属ケースとハンディー変圧器を取り出してOKをもらった。
ちょっとだけ恥ずかしかった。
 
P.S
で取り除いた荷物は、結局同行者のジャスティンさんに持ってもらってしまった。
すみませんでした。謝謝。
 

 

PM 09:36:39

2006年8月28日月曜日

クマと抱きあって

飼っていたクマが逃げた。
私は、探した。

探して探してあきらめかけた時、
遠くでその聞きなれた遠吠えを耳にした。
必死に駆けつけた。
 
私のクマがいた。
抱きついて、なぜ逃げたのかを尋ねた。
 
私に迷惑をかけ続けていたことを切々と話してくれた。
 
そんなことなんか気にしたことないよ。
そんなこと気にする必要なんかないんだよ。
 
私とクマは抱き合って、涙を流し続けた。
 

P.S
うたた寝した時の夢だった。

目が覚めた時、涙でグチャグチャだった。
ちょっとワンピースのチョッパーになった気分だった。
 

PM 09:19:31

2006年8月27日日曜日

DEATHNOTEの実存の可能性

今朝、早朝、会社の近くでのシーンである。
 
T-シャツをめくり肌を出したまま、倒れている。
回りには、今買ったであろうコンビニの袋から転がり出たカップ麺。
 
ひょっとしてDEATHNOTEは、本当に存在するのかも?
しかし、彼はどんな悪いことをしたのだろうか、、、などと、

ロマンチックとも言えないアホなことを思いついた私は、やっぱり情けないオヤジだった。
 
P.S
しかし、、、肌寒い今朝、風邪ひくぞ。
 
そう思いながらも起こしもせず、おっブログネタだ!なんて車から写真を撮って通り過ぎた私は、まったくひどい現代人の象徴かもしれない。
 
私の名前が次にDEATHNOTEの書かれても、仕方がないかも、、、。
 
ま、まさか、、、今頃、、、寒さで、、、
今、ちょっと反省している。
 
 

 

AM 11:14:32

2006年8月26日土曜日

江戸の誘惑

なんとも粋なタイトルである。
 
「江戸の誘惑」
 
名古屋ボストン美術館の肉筆浮世絵展で。
 
浮世絵というと、なんとなく版画を思い浮かべてしまうけれど、
今回のこの展示は、肉筆である。
いわゆる昔の大金持ち達が描かせた一品モノなのである。
 
もちろん浮世絵であるからして、どうしても美人・遊女の画が多い。
まぁその緻密さ。その細やかさ。
実に美しい。
 
当時の人間(たぶんオトコの比率が高いと思われるが)は、この浮世絵を見て、胸をときめかせたのであろう。
今で言うと何であろうか?
モデルのグラビア写真のようなものであろうか?
 
けれど、それを描ききるまでの、その手間のかけ方、時間のかけ方、描画技術のかけ方を思うと、今のカメラマンが何百枚も撮って、いいものを選ぶような、そんな打算的なものと比較しては、申し訳ないであろう。

浮世絵の発端が、色欲なのか芸術欲なのかは、知らないけれど、事の発端が何であれ、それを極めることは、とても価値があることを実感した。
 
8月27日までなので、明日で終わりです。
見逃した方、残念でしたね。えへ。
 
 
P.S
たぶん駆け込み鑑賞者のためであろう。(私もそうである。)
とても混んでいました。
入場制限もあり、会場に入る前に待たされ、入っても長蛇の列。
 
ちょっと面白い感想は、、、
いつも感じるのだけれど、やはり芝居にしても、美術館にしても
鑑賞者は、圧倒的に女性が多い。
 
けれど、今回は、浮世絵である。美人画・遊女画が殆どである。
浮世絵を女性が長蛇の列を作って観る、、、
 
江戸時代の人間が観たら、不思議がらないのかな、、、?
っと思ったのは、江戸時代に対する私の偏見だろうか?
いやいや、近代にとっては、いいものは誰が観てもいいのです。
 

P.S 2
ちなみに名古屋のボストン美術館は、もうありません。

 

AM 10:57:36

2006年8月25日金曜日

冥王星くんへ

とうとう太陽系の惑星の中から外されちゃったねぇ。
 
それを可哀想に思うのか、
それとも今までが有名になれていたことをラッキーと思うべきなのか、、、。
 
一緒に太陽系の周りを回ってんだから、
同じような星は、どんどん惑星の仲間にしちゃえばいいのに、、、
わざわざ減らすことはないだろうに、、、
なんてボクは思っちゃうけれど、
まぁ、たかが第三惑星に住む学者が勝手に考えたことだから、、、。
ただでさえ遠いところをボクらと一緒に回ってんだから、
いじけてどっかへ行っちゃわないで、これからも一緒に太陽の周りを回ろうよね。
 
たとえ、君が惑星であろうとなかろうと、
君はもうボクの頭の中から忘れ去られることはないからね、約束する。
じゃ。
 
P.S
小さき者達よ、憶えなきゃいけないことがひとつ減った、なんて思わないように。
オヤジからのお願いである。
 

 

AM 12:43:06

2006年8月23日水曜日

麺 vs スープ

私は、ラーメンが好きである。
そばもうどんも好きである。
いわゆる麺類が好きなのである。

当然、スープも必ず飲み干す。
食材がスープという形であっても、私と運命的な出会いを果たしたのだもの。
そのまま、捨て去る訳には、いかない。
完食する。飲み干す。
 
そんな私を見て、ほとんどの人が言う。
「塩分取りすぎだよ。体に悪いよ。」
 
わかってるよ。でも、一期一会だもの。
そんな言葉には、惑わされない。
 
されど、今日、意外なセリフとであった。
「スープは飲み干しても、麺を残した方が体にいいよ。」
とある業界のお方である。
 
そういう一面もお伝えしようと、このコラムを書いた。
なぜ?と、聞かないでください。
親や子にも言えない内容だそうです。
では。
 
P.S
今日は、誰にも止められることなく、スープを飲み干した。
あとくされなく、妙においしかった。

麺ですか? もちろんそちらも完食しました。
ま、いいじゃないですか、おいしければ、、、とりあえず。
では。
 
 

PM 11:28:06

2006年8月22日火曜日

有機携帯電話のその後

レポートである。
 

有機携帯電話のその後である。
 

やっぱり、外見デザインが変化し始めているのが、観察できます。
 

以前に比べて、全体的に色が変わり、一部が豹柄っぽくなってきました。
 

P.S
食べよぉ~よぉ。
 

 

PM 09:22:08

2006年8月20日日曜日

ふたりの性格相性

ちょっと世俗的ではありますが、、、。
ま、無料ですから、、、


姓名判断による「ふたりの性格相性」占いです。


あなたの出会った相手との相性は?
それとも、逃がした魚は大きかった?


など、ちょっと楽しめて。
では。


P.S
私に文句は言わないでください。

 

P.S 2

と、このサイトは既にありませんでした。って、なんやねん。

 


PM 08:10:49

2006年8月17日木曜日

あなたの逝く日

こんなページもあるということで。

あなたの逝く日
http://www.deathclock.com/
 
BMI値は、こちらででもお調べください。
https://keisan.casio.jp/exec/system/1161228732
 
 
P.S
ちなみに私の旅立つ日は、2031年7月20日 日曜日。
暑そうな日だな。


PM 06:32:20

2006年8月15日火曜日

ユナイテッド93

すごかった。
 
私は、こんな映画は初めてのような気がする。
冒頭から、最後のシーンまで、心臓の鼓動の高ぶりが下がらなかった。
クーラーの効いた映画館なのに、何度も汗をふいた。
涙する映画かと思って覚悟していたが、涙する余裕もなかった。
最後のタイトルクレジットが流れ始めて、ちょっと涙が浮かんだ。
 
9.11の映画である。
この日、4機の飛行機がハイジャックに遭い、そのうち3機が貿易センタービル、ペンタゴンに突っ込んだ。
そして、残り1機は、ハイジャックをされたにもかかわらず、どこにも突っ込まずに墜落した。

題名「ユナイテッド93」とは、その飛行機ユナイテッド航空93便での内部のドラマである。

上映中だから、ネタバレは避けたい。
墜落してしまった航空機の内部の詳細の事件などは、はっきり言って真実はわからない。
けれど、墜落してしまう寸前まで、機内電話や携帯電話で地上との連絡が出来ていて、
内部の状態は、少なくとも外部にも伝わっていたはずだ。
それらの情報を繋ぎあわせて、もっとも真実に近いであろう状態を再現した映画である。
 
管制官達のパニック、軍の迷い、犯人達の動き、そして、その航空機に乗り合わせた人達。
殆ど2時間がリアルタイムであろうこの映画は、とても息つく暇がなかった。
 
仮にこれが真実として、、、
この映画を観て、感動なんてゆとりはない、涙する余裕もない、
そこには、人々の「必死」が存在するだけだ。
 
国によって価値観も違えば、それに伴う行動も異なるのはわかる。
けれど、この「必死」が本当に必要なものなのか?
私は、多くの人がこの映画を観て、その「必死」の無意味さを感じてもらいたいと思う。
 
ホームページは、こちら。(は、ありませんでした。)
 
P.S
エンドクレジットに、個人の名前の行に as himself という行がかなり出てくる。
要は、本人達が出演しているのである。 
真実がどうかはわからないが、少なくともこの人達は、その事実を知っている人達だ。
 
仮にこの映画が事実としたら、乗客も犯人もあまりにも哀しすぎる。
あまりにも無意味な出来事だ。
 
しかし、数日前も英国でテロによる航空機爆破のニュースが流れている。
私のそんな感想も、どこかの国からは、平和な国のノーテンキ人間の戯言と言われるのだろうか?
 

 

PM 02:49:31

2006年8月14日月曜日

皇帝ペンギン

真夏の暑い日に南極の映画を観るのは、やはりちょっとだけ涼しくなる。
 
それにしてもこの皇帝ペンギンの本能は、哀しい。
-40℃の極寒で生きるこの生物に、どうして神はこんな習性を与えたもうかと、ちょっと神を恨みたくなる。
 
短い歩幅で、子孫を残すために、南極大陸を横断する。
道中に食料はない。
体内に蓄積されたものだけを頼りに何十日も歩き続ける。

そして、安住の地での交尾、出産。
卵を父親に託して、母親は食料を確保にまた何十日もかけて海に戻る。
 
母親が戻ってくると、今度は父親が海に戻る。
その遥かな移動は、あまりにもつらそうだ。
 
夫婦になって、出産をし、けれど二人が一緒にいる時間は短い。
どちらかが真っ白な極寒の中をいつも歩き続けていることになる。
 
世の中の生物連鎖は、異種に食われることにより、その個体数を減らし、調節されているものが多かろう。
されど、彼らの敵は、まずは寒さである。
母親から父親に卵を渡す時、暖め続けながら、一瞬で渡す。
もたついて数十秒も経てば、卵は凍ってしまう。
ヒナにかえってからも、寒さとの戦いは終わらない。
親は、集まり暖めあう。
ブリザードを避け、何十日も食することなく、ただヒナを寒さから守る。
 
そんな習性をみていると、なんて人間の幸せなことか。
なんて人間は、自由な生き物か。
そんなことを感じざるを得ない。

この映画、お奨めかどうかわからない。
観ていてツライのだ。

けれど、今ある自分の幸せを再確認するには、いい機会になる映画かもしれない。
公式ホームページは、こちら。

P.S
しかし、、、思うに、、、
ある意味食物連鎖の頂点に立ってしまった人間は、
その個体数の調整が、戦争や交通事故や自殺やテロなどによって
わが身の同種同士で行われているとしたら、

これ以上に哀れな生き物はないな。
 


AM 11:56:26

2006年8月12日土曜日

ゆれる

日本映画である。
 
映画としての完成度は、非常に高いと思った。
 
絵も美しい。カットも考えられている。

が、、、ストーリーが重い。あまりにも重い。

特に今の私には、重すぎてつらい映画だった。

まだ上映中なので、ネタバレは極力避けたい。
けど、避けられるかどうか、、、。

人によって、観方が大きく変わる映画には違いない。
けれど、この映画を良かった、などと論評できる人は、
きっと今が幸せに違いない。
今、ちょっと凹んでいる人、悩んでいる人にとっては、
この映画を褒める前に、きっと落ち込んでしまうに違いない。
 
私が感じたいろいろな感情の中で、ひとつだけ書こうと思う。
私がツラく感じられたのは、、、
 
人は、本音で言いたいことを言えない、そんな現実があるということ。
本能のままに生きている人は、そんなことは感じまい。
けれど、わずかでも頭の中で考えをめぐらした時、
人は、真実を言えなくなる時がある。本音を言えなくなる時がある。
 
好きな人を好きと言えない時がある。
嫉妬の言葉を飲み込むこともあろう。
悪いと思いながらも正直に謝れない時もある。
自分の正直な気持ちを言えないそんな時、
きっとあなたにもあるはずだ。
 
それがその場限りのことであれば、それもまた許せよう。
けれど、言えない事が、言えなかった事が、未来に対しても重い意味を持ち始めるとしたら
それは、言うべきなのか? それともやはり言うべきではないのか?
 
今、まさに、そんな境遇にいる私には、この映画は他人事ではなかった。
重かった。痛かった。苦しかった。
 
私の感想である。
 
 
P.S
映画鑑賞後、飲まざるを得なかった。
思いっきり飲んで、今の本音を叫びたかった。
全部叫んで、自分の中を空っぽにしたかった。
 
 

 

AM 08:35:34

2006年8月9日水曜日

街の景観と原爆

不謹慎な発言かもしれないけれど、ちょっと書く。
 
8月6日、9日前後になると、テレビでは原爆の話題が増える。
 
戦後60年も経ち、その悲惨さを伝える語り部が減ることが問題視され、
日本人も、また、海外から来た人も、一度は、広島の原爆慰霊碑や原爆資料館へ訪れるべきであろう。と締めくくられる。
 
私もかつて修学旅行で行ったことがある。
けれど、小さな時の見学は、もはや夢の中である。
 
今年、出張の折に再度、広島の原爆資料館に訪れた。
写真、映像、文章、、、
さまざまな資料が、原爆の被害の悲惨さを伝え、ノーモア核爆弾を確かに思い知ることが出来る。
 
が、、、である。
 
資料館を出て、広島の街を歩く時、ふと複雑な思いにとらわれた。

資料館内に居た時には、その原爆の惨さはよくわかる。
されど、街を歩いていると、そこ広島はもはや近代都市の様相である。
原爆ドームを離れてしまえば、そこに原爆の被害の跡形もない。
 
それ自体をどうのこうの言うつもりはもうとうない。
けれど、外国から来た人の中には、こう思う人も居るのではないだろうか?
 
「原爆を一個落としたからといって、50年も経てば、こんなすばらしい街に生き返るではないか、、、と。
 
ならば、この際、あの国、あの街なんか、、、」
そう思う人間もいるのではないか?という私の心配。
 
私の思い過ごしであることを切に願う。
 
 
P.S
写真は、上から
・原爆ドーム
・爆発1秒後の火の玉
・原爆資料館を出て、慰霊碑、原爆ドームを望む
 

 

PM 10:26:01

2006年8月6日日曜日

価値観の違いで悩む若者達へ

ネット上で価値観の違いに悩まされる若者の記事を目にしました。

どうにも乗り越えられないこの価値観。
人の価値観を認めようとする気持ちもあれば、
時には、どうにも譲れない自分の価値観もある。
 
お互いに認め合うことが大切、、、などとは言っても、そのむずかしさ。
 
けれど、それに悩まされ続けることは、大切なことだと思います。
それは、自分が少しでも相手に対して何とかしようとしている気持ちですから。
 
とてもツラいことかもしれないけれど、
その気持ちは、きっととても大切なことだと私は信じています。
 
 
P.S
価値観の違いで悩まされるのは、自分がまだ未熟かも、、、
 
そんな1行も目にしたけれど、
まぁもうすぐ50になる私も未だに悩まされいるのは単に未熟なのかもね。
 
でも、なんでもかんでも、「価値観が違うから仕方ないよね。」
っていうセリフで終わるようになったら、
未熟、、、というよりも末期だと思いませんか?
 
そうはなりたくないな。
 

 

PM 10:35:47

2006年8月4日金曜日

北京ヴァイオリン

泣かされました。
だけど、何に泣かされたのかよくわかりません。
きっと何かどこかの琴線に触れる映画なのでしょう。
 
しかし、人生は、むずかしいのである。
誰も思った通りには、行かないのが人生である。

けれど、生きるのが下手な人も下手なりに生きてゆかねばならぬのである。
そして、その時々を精一杯生きるのである。

成功を喜び、失敗を反省し、そして、やさしく生きる。
仮にも上手に生きられない自分も精一杯やさしく生きよう。
そんなことを思い出させてくれる映画でありました。

中国映画なので、苦手な方は、苦手かも。
けど、日本では、もうこういった映画は作れないだろうなぁ、、、。
ちょっと映画で涙したい人には、お奨めかも、です。
 
P.S
あえて、写真に映画中のここを選びました。
息子の運転する自転車に乗り、父は後ろを振り返りながら、それはうれしそうに、、、。
 
この映画の多くの主題のひとつような気がしました。
私にとって、とてもうれしかった報われた1シーンです。
 

 

PM 10:19:34

2006年8月1日火曜日

ある犬の思い

7年前、ある犬が飼い主を見つけて飼われることになった。
 
初めて会った飼い主は、とてもやさしく、いつもかまってくれた。
どこに行くのも一緒だったし、躾もしてくれたし、よく世話もしてくれた。
その犬は、今までなかったそんな毎日の出来事がとても幸せだった。
 
2年ほど経った時、その犬は決心をした。
この飼い主の為に自分の人生(犬生)を賭けよう、と。
いつも飼い主を見守り、危ない時には助け、飼い主の言うことは何でも聞こう。
そう誓ったのである。
 
飼い主は、面白がって、その犬の前にエサを置きながらも”おあずけ”をしたりする。
空腹の為によだれが止まらなくとも、最愛の飼い主の命令を守っていると思えば、
どんな長い時間も待てるような気がした。
 
1年ほど前にもう1頭の犬が一緒に飼われることになった。
最初、ライバルの出現か?とも思われたが、別に飼い主と別れるわけではない。
今の幸せが続けば、それでいいと思った。
 
ところが、そんな気持ちを維持できないことが起こり始めた。
飼い主は、最初、2頭に同じ扱いをしていた。それも不満ではなかった。
けれど、こんなことがあった。
いつもと同じようにエサが目の前に置かれる。
飼い主は、いつものように”おあずけ”の命を2頭に与える。
その犬は、いつものようにその命を忠実に守って、静かに待つ。
ところがもう一方の犬は、そんな躾はない。
飼い主が「おあずけ!」と言っても、そんな言葉にかまわずエサにありつくのである。
そして、その時、飼い主はその犬に向かって言うのである。
「”おあずけ”も出来ないの?仕方ないねぇ、、、。」そう言いながら、
飼い主は、エサにパクつく犬の毛並みをいとおしいそうになでたりしている。
もはや、もう1匹に”おあずけ”の解除をするのも忘れ、
その飼い主は、エサを食べている犬の方を可愛がっている。
その犬は、エサを前に手を出すこともなく、ひたすら待っている、、、
 
が、犬はフト思う。
自分が今、守っているものは何なのだろう?
飼い主が私に対して行っている行動は、何なのだ?どんな意味があるのだ?
今まで、何も考える必要のなかった思いが、次から次へと浮かんでくるのだった。
 
今、犬は迷っている。
飼い主を換えたい?
いや、そんな必要はない。今までどおりで充分満足のはずだ。
 
もし、この飼い主から逃げてしまったら、追いかけてきてくれるのだろうか?
取り戻そうとしてくれるのだろうか?
その犬は、逃げる先の宛てもないまま、いろいろな思いを小さな頭の中で駆け巡らせている。
 
P.S
私は思う。
誰が悪いのか? 自分はどうするべきなのか?
正直言って、私にもわからない。
 
ただ、私はその犬を不憫に思う。
何とか、何か、助けてあげたいと思う。
 

 

PM 09:20:11