2004年10月31日日曜日

メイド・イン・イタリーの靴。

私は、海外に旅行に行くと必ず買うものがある。

靴、である。

私の足のサイズは、ちょっと大きい。したがって、日本国内では、なかなか自由に選べないのである。

海外でのクツショップは、とてもうれしい。

選り取りみどりというのは、まさにこの状況である。

が、今回は、長旅であまり予算がないので、こんなクツを買ってしまった。安かった。

しかし、日本じゃこんなキザグツ、履く機会ないぞ。

ちょっと失敗かも?

P.S

うんにゃ、これから流行らせりゃいいのである。

もしくは、流行るまで待つか。カビが生えるな。

PM 01:58:51

2004年10月30日土曜日

焼け残ったサンタ・マリア・デル・カルミネ教会

ルネッサンス
  ↓
フィレンツェ
  ↓
フレスコ画
  ↓
と、言ったら、この教会であろう。

フレスコ画の見学は、1回30人ぐらいで制限時間は15分。写真は、ストロボを焚かなければOKだけど、メチャ暗いもんねぇ。

私は、ここのアダムとイブの楽園追放の絵がもっとも哀しそうで、当時のアダムとイブの状況をもっとも正確に再現されているものと思っていたりもする。

(写真の左上あたりに小さく写ってはいるが、このサイズじゃよく見えないねぇ。)

ちなみにこの教会、ビデオシアターもある。

建物が焼け残ったシーンのCGや、絵画の解説がとてもわかり易く解説される。

是非、ご覧になるべきである。

P.S

教会の入場チケットを買う時に、ビデオシアターを観るかどうかを聞かれた。

観たい、と応えると、イタリア語でか英語でかを二者択一で聞かれた。

選ぶ余地なく「英語で」と応えた。

シアター内では、赤外線タイプであろう音声ガイドを渡された。チャンネルを替えれば、イタリア語でも英語でも聞くことが出来た。

あの受付は、何の為にイタリア語か英語かを聞いたのだろう?

永遠の謎となった。

ちなみに日本語はありませんでした。

PM 01:56:22

2004年10月29日金曜日

ガチャガチャ at フィレンツェ

まぁ、いわゆるガチャガチャであろう。

中身にテーマやジャンルがあるわけで無く、ガチャガチャゴチャゴチャである。

そういう意味では、昔のグリコのオマケもテーマなど無かったな。

中を見てもこれと言って魅力は無かったけれど、自称ガチャガチャマニアとしては、ただ単にここを通り過ぎるわけにはいかない。

で、やってみた。

出てきたのが下の写真である。

P.S

私にとっては、いわゆる、「ハズレ」であった。

PM 01:51:40

2004年10月28日木曜日

募集ベビーシッター

フィレンツェの街を歩いていて目に留まったのである。

たぶんベビーシッターの募集なのだろう。

バス停の横に連絡先の電話番号が書いてあって、お持ち帰り出来るようにしてあるのがとてもイキである。

もう何枚か持って行かれた後もあり、連絡は来たかしらん?

こんな手段なんかで、大丈夫かしらん?
 変なヤツが来たりもするんじゃないか?

とも思えたが、まあ普通に募集記事を何かに載せたって、条件はたいして変わらないだろうな、とも思う。

こういう張り紙を許すこの建物の住人にもうれしかった。

P.S

次回、会社が求人する時は、ハローワークよりもこっちの方がいいかな?

ま、まさか!

PM 01:47:49

2004年10月27日水曜日

フィレンツェ版女人街

ちょっとタイトルがまずいな、とも思ったがそのままでいく。

サン・ロレンツォ教会周辺の市場である。

私は、第一印象で香港の女人街を思い出してしまったが、よくよく思い返してみれば、世界中どこだって市場の店の形態はたいして変わらないものである。
(それが、不思議と言えば不思議だし、当然と言えば当然だな。)

そして本物か偽者かわからないものがいっぱい並んでいる。

値踏み交渉が好きな方々には、楽しいところであろう。

P.S

それにしても買いたいものがなかったなぁ。ボクは、ブランド志向人間じゃないんだけどさ。


PM 01:44:26

2004年10月26日火曜日

ルネッサンスのふりだし、サンジョヴァンニ洗礼堂

ルネッサンスは、ここから始まったと言われる。

この八角形の建物の入り口の扉のデザインコンクールに全ての端がある。

まぁ、そんなに詳しくない私がここで解説するのはパスである。

それよりも私の気になったのは、内部のクーポラの壁画である。

この「最後の審判」の部分(写真下右)は、まるで仏教の地獄の絵である。

他の場所でもたびたび見かけるこの同様な絵は、

仏教徒もキリスト教徒も、所詮思い浮かべ想像することは同じってことか?

それとも何らかの方法で真実を知ったってことか?

真実かもしれないなら、明日からちょっとまじめに生きようか、とも思った。

P.S

が、手遅れ。

PM 01:39:17

2004年10月25日月曜日

PIAZZALE DELL'ISOLOTTOにて

タイトルをイタリア語のままにしたのは、検索に引っかかろうとしての意図ではない。

日本語名の読み方がわからなかったのである。
(ちょっと調べたいくつかの情報誌でもみんな言語で書いてあるんだもん。)

ボーボリ庭園の中を私はピッティ宮の方から下った。

優雅に一人歩いてみる。静寂の中でその時代に思いをはせる。

昔、メディチ家の人々も同じシーンを見ていたはずだ。
ここで何を思い、何を語らったのであろう。

恋を語るには、最高のシチュエーションなんだろうな。と、
何か場違いな映画のワンシーンに自分が居るような気がした。

木立を抜けると小さな池に至る。

結構距離があるので、ここまで来る観光客は少ない。

池の周りには、ベンチがあって、地元のファミリーの憩いの場所っぽい場所である。

赤ちゃんの乗った乳母車を横にベンチでお弁当を食べているカップルなんぞ見ると、もうこれ以上の幸せはないんじゃないか、、、って感じだった。

いつまでも時間が止まってほしくなるポイントである。

P.S

ホモと言ったら誤解かもしれないが、手をつないで歩くオトコ二人も居た。

彼らとすれ違った時に挨拶も交わした。

彼らもとても幸せそうに見えた。

(ボクって、ちょっとキケン?)

PM 01:31:45

2004年10月24日日曜日

なんと優雅なネコ達。

陶磁器美術館にネコが2匹。

何だかとても優雅なネコのような気がして、パチリ。

でも、ちゃんと食べるものはあるんだろうか?と心配もしてみたりするが、彼らにとっちゃ余計なお世話であろう。

P.S

まさか、観光客に恵んでもらって、生をつないでいるんじゃないだろうなぁ。そうなら写真撮ってやんなかったぞ。

PM 08:22:42

2004年10月23日土曜日

この壮大なピッティ宮。

フィレンツェの商人ピッティが建設を始めたのでこの名前が付いたと言う。

パラティーナ美術館や衣装博物館、ボーボリ庭園があり、盛りだくさんで結局見るところを選ばざるを得なかったのである。

やっぱり写真が撮れなくて、記憶が薄れていってしまいそうなことが悔しい。

ちなみに4写真上から

ピッティ宮正面広場
Antiteatro
ピッティ宮をボーボリ庭園から
Vivaio d.Nettuno

である。

P.S

私は、衣装博物館を諦めて、ボーボリ庭園を歩いた。

眺めはすばらしかったが、その広さに全部が見きれない悔しさにもちょっと後悔した。

PM 08:21:01

2004年10月22日金曜日

何もコメントはない。ウッフィツィ美術館である。

フィレンツェ一番人気の美術館である。

下の写真は、美術館の入り口である。年がら年中混んでいそうである。私は、日本で予約を取って行ったので長蛇の列に加わる必要は無かった。

館内は、全面撮影禁止である。

唯一、撮影が許されるのは、窓から見えるヴェッキオ橋であった。すかさずパッシャッ!が写真上である。


P.S

しかし、
ガイドブックなどがかろうじて記憶をとどめてくれるようなものの、美術品などというもの、実際に見たものの、写真でも撮っていないと時間が経てば、どんどん忘れていってしまう自分が哀しい。

まぁ、フィレンツェの人間から見れば、また来りゃいいだろう、であろうが、こちらは早々そうとはいかんのだよ。

私は提案したい。

外国人だけには撮影を許したらどうか?


PM 08:18:49

2004年10月21日木曜日

イタリアホテル事情(フィレンツェ)

さて、今日からフィレンツェである。

まずはホテルにチェックイン。通されたホテルは超狭かった。
ま、よくよく考えて見れば、シングルだもん、しゃーないわな。

ちょっとシャワールームだけ紹介する。(写真参照のこと)

シャワールーム(浴槽がないのだからバスルームとは呼びたくないぞ。)の広さは2畳もなさそう。そこに全部が集約されているのが何ともコンパクト。

シャワーもごらんの通り、L字にカーテンを引き、固定の出水口からセマセマと水を浴びる。

下は、浴槽があるわけでなく、トイレと同じ床である。シャワーの水がはねるとベッドルームまで流れていく。

狭いから体にカーテンがまとわり付くし、なかなかシャワーも難作業であった。

「ま、どーせ寝るだけだから。」

この一言が全てを越えさせた。

P.S

シャワーの水圧も低かった。

山の中の涌き水で体を洗うようで、何だか修業気分になれた。

PM 10:31:18

2004年10月20日水曜日

さらばローマ。

ローマ最後の一文となろう。

今、ローマを背にしてテルミニ駅でこの列車に乗る。
ESである。

いろいろあった。楽しかった。想い出いっぱいである。

また来たいけど、まだいっぱい行きたいところもあるし。来れるかなぁ。

んじゃ、ローマよ、またね。

と、心でつぶやきながらフィレンツェに向かうのであった。

P.S

と、ロマンチックなのはここまで。

列車に乗り込んだところ、私の指定席には、もう既にスーツ姿のビジネスマン風のオトコが座っていて、書類を広げ仕事をしていた。

大きな荷物を持って彼に近づいていく。
自分のチケットを何度も確かめて自信があったものの、
「あ~こんなヤツと今からやりあうのかぁ。」とちょっとユーツ。

案の定、こっちはジーパンのアジアンである。
「何だ?コイツ。」そんな私への目つきがミエミエであった。
回りも最初は、ビジネスマン側だったよなぁ。

向こうは自信満々。
こっちのチケット見せて。
「アンタのも見せろよ。」(近似訳)と私。

でも彼の席が隣の車両だったとわかった瞬間、今度は彼が可哀想になった。バタバタと書類を片付け始めて、テンテコ舞いで。

冷たい回りの視線は、私から彼に移っていった。

何かこの勝負、勝ってもすっきりしなかったな。

PM 09:16:31

2004年10月19日火曜日

あくまでも元黄金宮殿です。ドムス・アウレア

ドムス・アウレア。ネロ帝の黄金宮殿である。

が、黄金を期待して行ってはいけません。

あのネロ皇帝が理想を求めて造った宮殿でありますから、そりゃ当時はとてつもなく広大な敷地の宮殿であるとは想像がつきますが、現状のこの跡は、やはり遺跡でしかなく。

右の写真の「八角形の間」では、当時さまざまな芸術品が飾られ、横臥食卓に身を委ねて美食と芸術の喜びに浸ったという。(地球の歩き方より引用)

そう聞いて、ついスーパー銭湯のリクライニングルームを思い浮かべてしまった私は、相当庶民。

ちなみに入場は、基本的に予約が必要です。空いていれば不要。

日本語音声ガイドがあります。が、この音声ガイドがクセもの。

ガイドを渡される時にひとこと言われますが、入場前に約10分ほどの解説を聞いておかないといけないのであります。

しかもハイテク機器ではなく、カセットテープ。

要所要所でガイドの人が「ここで○番をお聞きください。」と説明をしてくれるが、ピーっという音でちゃんと止めないといけない。

操作を誤って、見るべきところと聞くべき内容がヅレてしまうと、元に戻るのは極めて困難である。

心して操作すべし。

P.S

更に言えば、どうも回りと比べて、私の聞き終わるのが遅くて、次へのポイントへの移動が遅れがちとなった。

同じ内容をいろいろな言葉に直すと、きっと日本語は長くなるのだろうな、と思ったがホントかな?




PM 08:50:58

2004年10月18日月曜日

ちょっと断念 フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノ外からの写真である。

古代ローマの民主政治の中心である。

コロッセオの近くでいつでも行けると思って、時間調整用に最後にとっておいた遺跡である。

が、余りにも広い。

とっておいた残り時間でここを見ようなんて気持ちが甘かった。

ほとんど見れてない、無念の遺跡となった。

まぁ、いいや、また来りゃ。

P.S

したがって、いつかまた来ることになるはずである。

(マジか?)

PM 08:27:05

2004年10月17日日曜日

やっぱりローマのテルミニ駅

やっぱりローマと言えばテルミニ駅の写真を載せておかないわけにはいかまい。

上:テルミニ駅構内から撮影。

下:ホテルへ向かう道から後を向いてフト撮影。

イタリアへ観光旅行に来て、ローマ以外の都市にも行くとすれば、必ずお世話になる駅である。(でもないか、全てバスという手もあるな。)

観光ガイドを読むと、スリに気をつけろ、とか、親切にしてくれる人には気をつけろ、とか、とかく難しそうな駅ではあるが、まぁ私の場合のように、大きなトラブルに会うこともなかった人間には、とても助かった駅である。

地下鉄・バスの一日券や地図や食料・水、果ては歯ブラシまでお世話になったもんなぁ。
日常品は、ここでとりあえずは揃うもんね。

注意を怠らずに、大いにお世話になるべきポイントである。

P.S
また、来ることがあるかしらン?

来たい。是非、来たい。


PM 08:06:24

2004年10月16日土曜日

不本意なサンタンジェロ城の夜景

写真は、サンタンジェロ城の夜景である。

ほんとは不本意な写真なのである。

実は、ナヴォーナ広場からホテルに帰るつもりであった。

すると近くにバス停があった。路線番号を見るとテルミニ方面である。ラッキー!思わず飛び乗った。

が、行き先を確認しなかった。路線番号しか確認しなかった。要は逆行き方向だったのである。

フト気がつくとバスは帰りたい方向からどんどん外れていく。

やっべぇ~。

とりあえず降りたところがどこかもわからず、このサンタンジェロ城が見つかって、自分の居所がわかったのである。で、思わず迷い記念写真。パシャッ。

実に不本意な写真であるが、とてもきれいなシーンであった。

ちなみにここから再び乗った路線バスもまた逆方向だった。
要は、一歩通行のポイントなのである。何に乗ってもテルミニからは遠ざかってしまうのである。

どうにもわからなくなったので、いつかは戻るであろうと、テルミニ路線に乗った。

乗りつくして、終点まで行った。
終点は、サンピエトロ駅であった。

終点で降りないのも恥ずかしいので、とりあえず降りた。

乗客がポチポチ乗り始めたところで、運転手に見えないようにまた乗った。

この路線のバスの始点から終点まで乗りつくしてテルミニ駅に着いた。

で、無事帰ってこれたこの出来事も恥ずかしいが書いておこうと思う。

P.S
バスの一日券を買っておいて正解だと思った。

やっぱり観光者には、バスの一日券は、私からのイチオシのお奨めです。

PM 01:08:22

2004年10月15日金曜日

ナヴォーナ広場の発射台のような教会

ナヴォーナ広場である。

一応、今日の行程の最終ポイントのつもりであった。

この広場は、古代ローマの戦車競技のために長細くなっているという。中世は、水遊びの場所だったという。

ここは実ににぎやかであった。

路上売りやパフォーマーも多く、観光客でごった返していた。

中央には、三つの噴水があり、その彫刻についての解説は、私が解説を書くには及ばないであろう。

P.S
ちなみに写真は、中央の「河の噴水」からサンタ・ニェーゼ・イン・アゴーネ教会を撮ったもの。

補修工事中でまるでロケットの発射台であった。

PM 12:53:03

2004年10月14日木曜日

この信じられぬ「パンテオン」

パンテオンである。

紀元前25年の建築物というから驚きである。

いろいろ調べるに、建築物としての技術はすごい。とんでもない広さの中空のドームがそもそも紀元前に作られること自体がすごい。

コンクリートの技術もあれば、ドームの重量を減らす工夫デザイン、それらを支えるベース構造。

机上で図面を描き、一発で作り上げてしまったのであろうなら、この設計者は、ものすごい。

いろいろ知っていく上で、ただただ感心するばかりである。

P.S
ただひとつどうしてもしっくりこない点がある。

それは、このパンテオンが何のための建物かがはっきりしないということである。

未来人にいつまでも興味を持たせようとの、これも設計者の意図か?

それならそれで、もうひとつすごいな。

PM 12:38:06

2004年10月13日水曜日

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会での共同作業

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会である。

建物の外観は、とても質素であるが、中はなかなか見ごたえがある。

小美術館とも呼ばれているそうな。(地球の歩き方より)

雰囲気もとてもよかった。心の荒波が静まる気がした。
しばし、椅子に腰掛け、その雰囲気を味わった。

ただ、中はとても暗い。壁を彩る絵画もほとんど真っ暗で見えない。

案の定、入館、ちゃう入教会は、無料であるが、各個室の壁画を見るために、50セントを入れると一定時間照明が点灯するシステムが設置されている。

なんとも感心させられるシステムである。

P.S
したがって、誰かが50セントを投入すると、その個室の壁が明るく照らし出される。すると、そこに人が集まって、みんなで中を鑑賞することになる。

「さっき見させてもらったから、この部屋の50セントはボクが払うよ。」

拝観者同士のこのやりとりがなんともうれしかった。

PM 12:23:58

2004年10月12日火曜日

手が入れられなかった「真実の口」

実に無念であった。
到着した時、既に「真実の口」は、隔離されていた。

これが、あのオードリーが手を入れられなかった、且つ、グレゴリーが、一芝居打って彼女の意をゲットした「真実の口」である。

鉄格子の隙間からデジカメを手にした腕を伸ばし、まともな写真を撮ったものの、実は、左下のように、近づくことも出来なかったのである。

この口に手を入れてデジカメ撮りたかったなぁ。
悔しい、実に、悔しかった。

P.S
ご存知であろうか?この「真実の口」は、ウソをついた人が手を入れると噛み切られるという伝説があるのである。

そういう意味では、私は、助かったのかもしれない。
くわばら、くわばら。

PM 12:09:04

2004年10月11日月曜日

コロッセオも古いがオマケも古い。

何を隠そう、ローマの円形闘技場コロッセオである。

不覚にもいい写真がなく、私のオマケ付きとなった。(あ~ヤだなぁ)

写真上は、コロッセオ内部のパノラマ写真。(やっぱちっこくてダメだぁ。)

紀元80年に作られたこの闘技場。後世に建築資材として大理石が持ち去られてしまったために、今のような無残な状態になってしまったという。

けれど、ここで観客がひしめき合い、「グラディエーター」のような戦いが行われていたかと思うと感無量になるなぁ。
(この広さじゃ、「ベンハー」は無理だな、とも思った。)

しかし、現代のボクシング程度でなく、まさに命を賭けた戦いが行われていたのであろうか?

血シブキが飛び交う戦いに観衆は、酔いしれていたのであろうか?

何か哲学的にいろいろ考えさせられるところもあった。

P.S

ちなみにオマケは、57年産である。

PM 10:40:06

2004年10月10日日曜日

自然の演出がすばらしいサン・ピエトロ寺院

写真上は、サン・ピエトロ寺院の内部の突き当たり部分である。

内部の細部の解説は省略する。

それよりも、窓から入ってくる太陽光の光の帯の演出が何とも神々しい。

何ともイエスの復活の瞬間に立ち会ったような気にもなりそうで。

目には見えてるけど、写真に撮ったら写っていないのじゃないか、、、と思ったりもして。

その場ですぐ見られるデジカメの偉大さも感じた。

写真下は、ミケランジェロの「ピエタ」である。

ガラスの向こうに置かれ、何とも遠い存在であったが、噂どおり美しかった。

ピエタには、イエスが十字架から降ろされた時には、マリアはその場にいなく、実際にピエタなるシーンは、存在しなかったのだ、という説もあるが、ま、そんなことは気にしまい。
(なら、書くなよっ。シラけるじゃないか!)

バチカンに行ったら、必ず見なければならぬ像のひとつに間違いない。

P.S

どこの国の子なのか知らぬが、かわゆいオンナの子二人連れに写真を撮ってくれと頼まれた。

ホイホイと撮ってあげたら、背景の入れ方が気にくわないから撮りなおしてくれという。

かわゆいものには、芯があった。

その場ですぐ見られるデジカメの偉大さも感じた。

PM 10:22:52

2004年10月9日土曜日

バチカンのクーポラで天使の気分Ⅱ

写真上は、サン・ピエトロ寺院のクーポラの頂上からの眺めである。眺めの感想は、不要であろう。

遥か昔に書いたボルゲーゼの気球が左上の方の森の中に写っているのだけれど、このブログ掲載の為にサイズを縮小したら見えなくなっちゃた。

クーポラの頂上は、満員である。

「こんなに多人数が乗ってて、クーポラは内側につぶれないのか?」フト不安になるものである。

だって、この真下、中空でしょ? 今、来る時に見てきたばかりだもんね。

そう考えると、怖い。けど、見えないものに恐怖を感じるのは、バカげている。そう信じるのである。(理性の勝ち。)

屋上まで降りた時に、上の写真の下方部に写っている聖人像を後ろからアップで撮って見た。

後姿さえも、聖人たちは、何か一生懸命で、何か明るいのがうれしい。

P.S

「後ろからなんか撮るなよぉ!」

何となく聖人たちの声が聞こえてくるようであった。

PM 10:02:29

2004年10月8日金曜日

高所恐怖症イジメのサン・ピエトロ寺院のクーポラ

サン・ピエトロ寺院では、まずクーポラに登ろうとした。

どちらかと言えば、美術よりも眺めが好きなのである。

が、私は、高所恐怖症でもある。されど理性もつおい。

やっぱ登らないわけにはいかないであろう。

なんのボルゲーゼの気球よりは、どうってことなかろう、、、通常の判断である。

チケット売り場を通り、エレベータに乗る。

なぁーんだ、エレベータで行けるんなら全然怖くないじゃんさ。

けど、不思議だった。なんでクーポラの上までエレベータで行けるン?

案の定、エレベータから降りたのは、まだ壁の中で、窓の無い一方通行の通路を歩かされる。

す、すると突然、クーポラの中の壁沿いの道に出た。

「うっそぉ!」マジ、一瞬たじろいだ。

たぶん今までの私の人生での最大の恐怖である。

「なに?こんなとこ歩けってか?」

こんなところを恐れもなく歩ける人間は、恐怖という本能を欠損してしまった人間である。
私はそう思う。

狭い通路である。一方通行である。後ろから押されるまま、とんでもなく高い壁際の通路を歩くことになった。

「早く行ってくれぇ!」「んなところで写真撮ってンなよぉ!」

本能を欠損してしまっている人間に、私の願いは届かない。

無理やり止まらされ、怖さを隠して上ばかり見る。
「下なんか見れねーよ。」

で、心を紛らすために上方の写真を撮った。
(写真上)

ま、同じ目の高さも何とか見れる。
(写真中)

意を決して下方も撮る。マジ決死とはこのことを言う。
(写真下)

おかげで頂上に着いた時、高所の恐怖は、無くなっていて、遥か遠方の眺めは充分に楽しめました。

やっぱ、頂上の方が怖くないよ。

頂上からの眺めは、また今度。

P.S

しかし、こういう建物は、どうやって作るわけ?

クーポラの中壁のフレスコ画なんかどうやって描いた訳?

遥か昔において、既に人間の本能が欠損していたことを充分に実感した。

PM 11:23:57

2004年10月7日木曜日

バチカン美術館から出ること2回。

さて、バチカン美術館の見学終わりである。

最後には、おみやげコーナーがあり、バチカンの切手セットを買った。

で、このらせん階段を降りて出口へと向かうのである。

写真上は、らせん階段の上からの撮影。
写真中は、下からの撮影。

ちょっと怖くて、ちょっときれい。

出口への一方通行なので、最後の見せ場となるはずなのである。が、、、

ちなみに写真下は、バチカン美術館出口です。

P.S

私は、一方通行であるはずのこの通路を5分以内に2回通った。

というのも、音声ガイドを返さないまま出口から外へ出てしまったのである。

美術館内部でしか意味のない音声ガイドを出口から出た後も公衆の面前でまったく恥ずかしくもなく首からぶら下げて歩いていた人間は、そう多くはなかろう。

だって、ぜんぜん気が付かなかったんだもん。

「返し忘れちゃったァ~。」入り口の関係者に聞くと、もう一度正面から入っていけと言う。

まぁやっぱそんなヤツって多いんだろうね。

音声ガイドを見せるとみんな要所要所をパスしてくれる。

チケット売り場でさえ並んでいる人の横をホイホイ通してくれる。

自分のドジをとりあえず忘れられれば、ちょっとVIP気分が味わえたりしたものである。

PM 10:44:27

2004年10月6日水曜日

ツーパターンランチ

ちょっとひと息である。

写真は、バチカンでのランチである。

以前、サンドイッチをワンパターンランチと書いたが、ピザがツーパターン目になるかも。

バチカン美術館に一日中入り浸る人も多かろう。

その人たちにとっては、このバールが何よりも助かるに違いない。

結構広くて便利だと思いますよ。メニューも多そうだし。

P.S

しかし、本当に日本の味覚のバラエティーには、つくづく感心するよね。

PM 10:30:06

2004年10月5日火曜日

システィーナ礼拝堂での注意。

写真は、まだバチカン美術館である。

だって、システィーナ礼拝堂は、写真が撮れないんだもん。

まぁ、バチカンへ行った人は、ほとんどの人は、システィーナ礼拝堂の天井・壁画のフレスコ画の「最後の審判」は見るだろうし、私のような素人がその解説をするには及ばないであろう。

ただ、その際の注意を書いておきますね。

バチカンの美術館に入る際にボイスガイドを借りた方へ。

ガイド機器を受け取る際に、

「システィーナ礼拝堂の解説も含まれていますから。」

と言われたはずである。

確かガイド番号は21である。
したがってボタンで21を指示すれば、システィーナ礼拝堂の天井壁画の概略ガイダンスが流れてきます。

が、ここで注意。

実に21xxの4桁が存在して、その4桁を押すと、それぞれ天井画や壁画や「最後の審判」が別々にかなり細かく解説してくれているのである。

確かにガイド機器を受け取る際のカードには、しっかり書かれています。が、見落とし易いので、注意してください。

せっかくの詳細解説です。聞き逃すには惜しい。ちなみにそれを全部聞くと30分以上かかるはずです。

お忘れなくね。

P.S

帰国後、これを知って悔しがる人が結構いると思うんだがなー。ねぇ?

PM 08:06:09

2004年10月4日月曜日

つらかっただろうなラオコーン。

ラオコーンの像@バチカン美術館である。

かなり前、映画のカテゴリでトロイ戦争のことを書いたっけな。

私は、遥か昔、NHKで放映されていたタイムトンネルのファンであった。

多くの人々が、科学に目覚めただろうと思われると同時に、世界史に目覚めたであろう番組である。

いやいやあれは、本当に面白かった。

話がそれたので戻す。

その中にトロイ戦争の話もあった。したがって、小さな頃からトロイ戦争については、トラウマとなっている感がある。タイタニックも同様である。

話がそれたので戻す。

写真の像は、ラオコーンである。

トロイの木馬を城内に引き入れる際に、それに反対した神官である。

それをギリシャの神の遣わせたウミ蛇が押し止めようとしている。

しかし、トロイ戦争のトラウマで気になった像でありますが、その迫力は見る人の視線を留めさせられ像である。

ちなみに両側の子供たちは、ラオコーンの子供たち。

向かって左側の子供は既に息絶え、その切迫感の再現は本当に見事である。

P.S

一説には、トロイの神がウミ蛇を放ったという説もある。何考えてんだァ?

だとすれば、自分達に似せてアダムを作ったという神々も逆に言えば、とても人間っぽい神々なのである。


PM 08:07:41

2004年10月3日日曜日

この偉大なるバチカン美術館

バチカン美術館である。

私が何を書こうときっと皆さんの方がお詳しいので、何も書かまい。

となると今日の日記は、単に「行きました記念」の写真掲載となるか。

ちょっと感想を書こう。

デカイ。こんなもん真剣に見だしたら、何日かかるんだ?

日本語のアナウンスのガイドもあるけど、とても全部聞けない。

したがって、やはり興味を持ったものだけを聞くことになった。

何だかもったいないなー、セコイ思いも涌き出たが、やはり全部聞くのは無理である。

まぁ、ローマに行ったら、行かざるを得ない場所であろう。

P.S

アナウンスガイドのアクセス番号の統計が取れれば、美術品の人気ランキングが取れるんだろうなぁ、、、と思ったが、それも何だかバチあたりの発想だろうな。

PM 07:36:42

2004年10月2日土曜日

イタリアホテル事情(ローマ)

ローマのホテルは、ラッキーであった。

何せダブルルームのシングルユースであったのである。

ベッドは広い。部屋も広い。バスルームも広い。

いや、どちらかと言えば、その分寒かった。

ちなみに私は、歯ブラシを忘れた。

ロビーで売っているか尋ねると、売っている訳がないと言われた。

で、慌ててテルミニ駅の地下の薬局に行って買ったのある。

が、当方イタリア語が読めない。妙なチューブを買ったら、それが果して歯磨きチューブなのかどうかもわからない。

で、歯ブラシとセットになっているものを買った。(我ながら賢いと思った。が、毛染めセットの可能性があるか?いやいや同梱が歯ブラシなら間違いあるまい。)

写真は、バスタブである。

見た瞬間、ゲッ!っと思った。

泥なのか、錆なのか、何か気持ち悪いものが点々としているのである。

これじゃ、お湯をためて湯船に浸かるのはやだなー。と思った。

よくよく見ると、それは錆であった。

なぜかホーローが割れていて、そこが錆びてしまっているのである。

ま、錆なら仕方がないか、、、まぁ、無事シャワーは浴びられたし。

二日後、何故そのようになるのかがわかった。

シャワーの取っ手が金属なのである。壁に付いている固定金具がグラグラしていて、取っ手が落ちるのである。

落ちると金属とホーローの衝突である。とんでもない音がして、ありゃホーローが欠けるわいな。

ということで、全てが納得できて、ローマのホテルは、まぁ快適でした。

P.S

オマエもホーローを割ったんじゃないか?

想像にお任せします。

PM 07:21:51

2004年10月1日金曜日

Today is the First day of the rest of my life.

昨日のハネームナー達と待ち合わせて一緒に中華料理店に向かう時のことである。

ガイド雑誌で適当に場所を調べておいたものの、いざその場所に着いてもそのお店が見つからない。

こりゃ聞く方が早いわい。ということになり、地元のお店っぽい文房具屋さんに飛び込んだ。

中に居たのは、おばぁちゃんとおじぃちゃん。

案の定、私が英語で尋ねても、まったく通じなかった。

そもそも彼らは英語を解せぬようだ。

その時、我が連れのハネムーナーは、いとも流暢にイタリア語で道を尋ねたのである。

それにはおばぁちゃんは的確に応えてくれた。

私は、目から鱗が落ちたような気がした。

彼らにイタリア語が出来るのか?と尋ねたら、ちゃんと習ったわけではないと言う。

イタリアに来てから覚えたのです。ロストする機会が多いだけに道の聞き方が上手になったんです。
などと心憎いことも言う。

私は、大いに反省した。

旅行前から、イタリアでも英語が出来れば困らないと聞いていた。

確かに今日まで特に困ることもなかった。

が、私が大いに反省したことは、イタリアに来てもまったくイタリア語を話そうとしなかったことだ。

英語で済めば、それでいいだろう、、、と傲慢でいたことだ。

せっかくのイタリアである。少なくともここに居るうちだけは、イタリア語を使おう。そうすべきだ。

彼らに大いに反省させられ、次の朝からイタリア語を使うべき努力を始めたのである。

ちなみに手のひらにアンチョコを書いた。

オヤジの涙ぐましい些細な努力だが、彼らのおかげで、何か大切なことを思い出したような気がした。

人生は、常にスターとラインになりうる。

私は、今も彼らに感謝している。


P.S

けど、結局、目的の中華料理店は見つからなかった。

探している間に他の店が見つかったので、そこに入った。

私の情報準備のいい加減さにも自己嫌悪である。

PM 07:15:41