2022年11月29日火曜日

奇跡の人

もう約半世紀も前、映画館で上映されていた時に、キリスト教系学校に通う姉が、学校で観て良かったから観ておいで、と言われて映画館へ。

確かに最後の瞬間の感動に体が震え、その日に続けて2回観た記憶がある。

# 昔の映画館は、何回でも一日中観ていても許されたのですよね。

さて、「奇跡の人」は、ヘレンケラーの目覚めの物語であります。

目も見えない、耳も聞こえないヘレンケラーが自我に目覚めた瞬間、 今までは、まるで動物のような人間が、人間として一歩を踏み出す時のお話であります。

そしてそこには、サリバン先生という偉大な導師が居て。

ちなみに“奇跡の人”というのは、サリバン先生のことを指します。

まぁ、いろいろなところで映画は事実と幾分異なるところもあるようですが、 ヘレンケラーがどのような状態であり、どのように変化したか、 その想像を絶する出来事に関しては、やはり知っておくべきではないでしょうか。

私は、この「奇跡の人」は、お芝居でも観ることがありましたが、 やはりこの映画の方が感動が大きかったような気がします。


P.S

「奇跡の人」については、教養として知っているべきだと、私は思います。










2022年11月27日日曜日

サバイバル・シティ

レンタルショップでパッケージに“ブルース・ウィリス”で“サバイバル・シティ”と書かれていれば、 つい“ダイハード”ようなものを想像してしまうでしょ?

久しぶりにそういうのもいいっかー、と借りてみて視聴。

けど、、、んんん、、、大ハズレだったな。

そもそも主役は誰なの?

正義側の3人の全員がイマイチ感。
敵である麻薬売人もおバカなどうしようもない軽いヤツばかり。

とある農場借りて、低予算で100分ばかりのアクション映画を作ってみました、、、そんな感じ。

# アクション?にもなってないぞ。

ブルース・ウィリスもこんな役で良かったの?てか、もうお歳なのね、きっと。

と、もう感想書く気もないからここで終了。

時間のムダだったな。

# って、ボロボロですね。


P.S

もう、ブルース・ウィリスの映画は、ダメかも、、、

と思えてしまってすみません。









2022年11月25日金曜日

紅葉


秋の山々は紅葉が美しかった。

けれど、殆どは、茶色や黄色。

その中にたまに赤色の紅葉が混じっていたりすると、

その配色に美しさが際立つ。

けれど、フト思ったりもするのだな。

それは、冬へと向かう木々の葉を落とす作業。

新たな来年を生きる為に、古くなったものの断捨離作業だ。

人間でいうと、私は今、紅葉の時期かな。

たくさん葉を落として迷惑かけたらすみません。


 
P.S

写真は、原田泰治美術館の脇の一本。

妙に魅かれてパシャ。

青、赤、黄、茶、緑、そして、白。

様々な色に囲まれて立つ一本の木。

自分もこんなだったらいいな。











2022年11月23日水曜日

原田泰治美術館


まぁ諏訪湖に行ったということになれば 、原田泰治美術館も外せない。

かつては、朝日新聞の日曜版で毎週懐かしい日本の原風景を楽しませてもらった。
それがとても好ましく思えたのだから、私も昭和の人間なんだろうな。

ただ、館内に流れる映像や資料を見て思うのは、
原田泰治の描く風景は、とても素朴で静かなのだけれど、
それを書くためにスケッチした時は、必ずしもそうではないということも知った。

# そりゃぁそうだろう、とも思う。

原田泰治がその現場に訪れれば、同行のスタッフもいれば人も集まるし騒がしくもなろうというものである。

そこから、原田泰治はエッセンスをすくい取り、静かな素朴な風景に仕立て上げているということ。

いやいやそれはそれでいいんだよ。

そのすくい取ったエッセンスから、作者本人がいない時の原風景を描いているのだから。

それにしても原田泰治の絵は、素朴で静かだ。

そして、なぜか懐かしい。

一枚の絵を部屋に飾っておけば、心静かになるのは間違いない。


 
P.S

原田泰治の絵には、老人や子供が描かれていることが多い。

私は、心の中で話かけたくなる。

その子供は、大きくなってどうしたのだろう。

住んでいた田舎を出ていってしまったり?

いつも働いているおばぁちゃん、たまには温泉に行ったりしてる?

どの絵に出てくる人物たちも、なんだか親戚のような気がしてならない。

























2022年11月21日月曜日

おみくじ 大吉 諏訪大社

美ヶ原の帰りに寄った諏訪大社。

そこで何気に引いたおみくじが「大吉」

# おおおおおっ、って感じ。

久々ですねー、ってか最後に大吉引いたのいつか全然思い出せないし。

おみくじは、毎年、年頭に神社で引きますが、
中吉や末吉ばっかり。

# 凶じゃなきゃいいじゃん、ておっしゃる方へ。
# そこは、「凶」は、無いとかで。

それにしても諏訪大社らしいのが、運勢の中に

・養蚕 利益少なし

なんてのがあること。

それにしても

・抱人(かかえびと) よし 女特によし

って、なんなんなん?


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
P.S

ところでおみくじの運勢の有効期間ってどのくらいなの?

今、部屋の中で探し物が見つからなくて困っているのだけれど、

・失物 出る 近きところ

って、探し物が出てくるまでは、「大吉」の有効期間?

# もう探すのやめよかな。

ってか、もう今後、おみくじというモノを引くのは辞めよかな。

この人生、もうこの「大吉」で逃げ切るぜっ。

















2022年11月19日土曜日

美ヶ原 美しの塔


ちょっと行ってきました美ヶ原の美しの塔。

なぜこの季節にそんなところへ?と尋ねられても困ってしまうのですが、まぁ今の時期であれば空いているだろう、と。

# やっぱオンシーズンは夏でしょう。高原なんで。

いやなに、小さな頃に行ったことがあるのかないのかわからないのだけれど、
どうも美しの塔の横を歩いた記憶がおぼろげにある。

何もない高原で、柵があって、石を積み上げた塔があって、、、。

その記憶が、極めて稀に頭が浮かぶことがある。
それが単なる記憶なのか、何かの写真で観た私の勝手なイメージなのか、、、

それを確かめたくて。いえ、言い換えれば、その曖昧なイメージをしっかりとホンモノに塗り替える為に。

で、シーズンオフで殆ど誰も居ない高原で、しっかり確かめてきましたよ。

やっぱり来たことがある、そう確信しました。

# 60年近く前に、、、きっと。

ちょっとだけイメージが違っていたのは、塔がもっとゴツゴツした岩山のイメージだったこと。

いやいや塔も建て直されたろうけれど、
50年以上も経てば、こちらの記憶が化けた可能性の方が遥かに高い。

でも、これでしっかりとしたイメージが持てました。

行って、観て、、、良かった、うん。



P.S

もう明らかに終活の一環です。









2022年11月17日木曜日

どぶ川学級

遥か昔、たぶん中学生の頃にリアルタイムで映画館で観た。

当時、チケットを自腹で買ったとは思えないので、 たぶん学校から配られたのであろうか。
それとも割引券か何かをもらったか。

中学生ではあったが、友達同士で観に行った記憶がある。

で、妙に記憶に残る映画となった。

パンフも買った。
上條恒彦の歌う歌詞も頭の中に貼り付いた。
中学生なりの感動と言えば簡単だけれど、それ以上のモノが私に食い込んだような気がする。

そして、半世紀が経って、フト探してみたらレンタルの中にあって、
思わず借りて鑑賞。

こちらも50年も経っていれば、観方が大人になっている。
中学生の頃には、きっと持ち合わせていなかったであろう労働組合へのイメージも、 “赤”と言われるそのイメージも、今となっては、私ながらのイメージを持っていれば、 多少50年前とは観方が違ってくる部分は、致し方ないであろう。

しかし、思う、感じる。

今、子ども食堂で勉強を教えている私の行動の原点は、きっとこの映画だ。

自分では、気が付いていないかもしれない、子供自身の欲求。
大人しか、気が付いていないかもしれない、今子供に必要なこと。

それらをなんとかしたいと思う私の気持ちの発現は、きっとこの映画の影響に違いない。

そんなことを再確認する映画であった。


P.S

中学生というある意味未熟な段階においての感動は、

きっと一生モノになることを、今また実感している。

そして、今回のこの映画鑑賞もまた終活のひとつである。






2022年11月15日火曜日

クラシックカーの展示会

クラシックカーの展示会があったのでフラッと観に行った。
日頃から愛好している人々の愛車の展示会である。

みんなそれぞれそれなりに使いこんでいるのがうれしい。
綺麗に飾っておくというよりも、その車内にはそれぞれの生活感があってそれも私には嬉しかったな。

何台かは、エンジンルームも見せてくれていて、、、。

それにしてもつくづく思うのは、昔の車は良かったよね。
自分では作れないにしても、その動作やしくみがしっかりわかってた。

たまにやったプラグの接点磨きは当然のこと。
ディストリビューター開けて点火時期をいじったり、なんかいろいろ直接触れたのが楽しかったよね。

それがやがて電子化されて、どんどんブラックボックス化されて、
にわか素人には、車は手を入れられないものに変貌していった。

ま、時代の流れ、というか、進化であれば、仕方がないことだけれど。

「あ~、車って本来は、こういう身近な原理のモノだったんだよなぁ。」

と、昔が思い出せて楽しかったです。


P.S

しかし、、、クラシックカーも維持するのも大変であろう。

価値観の違いと言えばそれだけだけれど、
維持するのって、メチャお金かかってるんじゃないの?

ある種、高級車に負けない優雅な人たちの展示会でもあったような気がするな。









2022年11月13日日曜日

レトロおくすり袋ポーチ

ガチャである。

レトロおくすり袋ポーチシリーズである。

ちょっと数日の旅行なんかに、毎日使っている薬箱から、 何日分か小分けにして持ち出したい時にいいかな、と思って ガチャってしまった一品。

何種類かの錠剤に、顆粒タイプの薬もあるからこのぐらいのサイズがちょうどいい。

あんまり使うことがないのだけれど、一目で薬とわかっていいですぞ。 
 
# サイズがわからない写真だな。失敗。


P.S

あ~なんてジジィネタ。






2022年11月11日金曜日

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

いやなにちょっと懐かしく思えて、DVDレンタル。

遥か昔、1980年代だよね。
当時もVHSビデオレンタルで何回も観た記憶がある。

押井守の初期の頃の監督作品。
もうストーリーは、しっちゃかめっちゃかだよね。

でも、面白かった。

1作目よりも、私は、この2作目のビューティフル・ドリーマーの方が好きだった。

なんで?って言われても困るのだけれど、なんでだろうね。

一日を何度も過ごすというネタは、他にもいろいろあるけれど、
その理由もなかなか、、、ね。

何だかうまく説明できないけれど、何故か好きなんだな。

その後、サウンドトラックのCDもレンタルして、
その中の曲を編集して、誰かの結婚式のBGMに使ったこともある、
そんな想い出も。

あたるのどうしようもないオンナ好きキャラと、それでもひたすら追いかけるラムちゃんの一図さは 、オトコの永遠の憧れだったりしたり?

# って、令和の世にそういうこと言っちゃまずいのか?

いやぁ、私の人生の中のアニメの大切な一本であります。


P.S

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーの再視聴、、、

いやなに、、、これも終活の一環です、はい。













2022年11月9日水曜日

皆既月食&天王星食

昨日11/8は月食だった。

月食自体は、1年に1~2回起こることであれば、特に珍しいものではない。

本日は快晴、最初、月食を見かけた時、あ~始まったな、と思った。

しかし、皆既月食の最中に天王星が月の向こうを通過する、いわゆる「天王星食」が同時に起きるのは、442年ぶり、次は200年以上後と言われれば、ちょっと見ないわけにはいかないでしょ。が、当方、肉眼で観られるほどの視力もなし。

ということで撮影に挑戦。
けれど、天体望遠鏡を持っているわけでもなく、デジカメで撮れるのか?

デジカメは、DSC-QX10、いわゆるレンズカメラである。
それをダンボール箱の上に斜め上方に向けて置いて、スマホで画面を見ながら撮影。

# ま、光学10倍ズームでは、限界は見えているわね。

けど、ズームマックスで月を捉えるのがそもそもツラい。

# ダンボールにガムテなんで。月の動きも結構早いんで。

撮影条件は、オートにしては全然ピンとも合わないし、
モードをプログラムマニュアルにして撮影。

実際に、天王星の動きなんて小さくて、スマホ上でリアルタイムで観れないもので、天王星が月に重なり始める時刻にただただ連写するしかない。

100枚以上撮ったかな。

# こういうことが出来るのがデジカメの最高仕様だよね。
# 昔のフィルムじゃぁそうはいかない。

で一番うまく撮れた一枚がこれ。
 
まぁ、自分的には、満足です。

月から出てくる方も撮れるかな、と思ったけれど、そちらは、月が全然明るくて全くダメでした。


P.S

月食&天王食は、4つのものが一列になっているというのを知っていますか。

それは、月と天王星と地球と、、、あとは忘れてはいけない“自分”です。

だから貴重なんですよね。

# って、前にも書いたような気がするな。

























2022年11月7日月曜日

終 NIPPON TABLET

前号までのあらすじはこちら
 
いやなに、じゅうたんの床に転がしておいたら、 フトその上に足を乗せたら割れてしまった。

やっぱ安物のとりあえず作ってみましたタブレットは、キャシャだな。
だって、すぐに気がついて、足を上げたのに。

あの圧力だったら、iPadだったら割れないもん。

もう捨てようと思いながらも、捨てるのにちょっと抵抗があって 、なかなか捨てられない。

というのも、OSを載せるのに苦労したからである。

一生懸命ググって、最初に載っていたOSを全部消して、
まるまる新しいOSに載せ替えて、
今後アンドロイド端末の実験用に、、、と思っていたのに。

電源さえ入れば、表面上のガラスなんて割れててもいいや、と思っていたけれど、 タッチセンサーまで破壊されちゃってるから、殆ど使い物にならず。

でありゃぁ捨てるべきものなのにね。

これが何故か悔しくてなかなか捨てられない。


 
 
P.S

じゃ、もう一台ヤフオクで買う? 3,000円で。

いやいやそんな気もないし。












2022年11月5日土曜日

涙するまで、生きる

もういい、ここで終わってくれればいい。もうこの先の話はいらない。ここで終わってぇ!

と、心強く思った瞬間、エンドクレジットが始まってホッとしてしまった。

それにしても、地味ながら、見せる映画である。

シンプルなストーリーの中に、様々な思いが含まれていて。

人間らしく生きること。
そして、生きていることの素晴らしさ。
そして、そして、とにかく生きること。

そんなこんなが詰まっている。

美しい風景などもない。が、情緒的に映像が綺麗だ。
寡黙な男たちの会話もいい。男たちの接し方がいい。

世がどんな状態であれ、自分自身は、己を信じて、人間らしく生きよう。

そんなことを思い返させてくれる。

私には、実に良作でありました。


 
 
P.S

この後のことも実に気になるのも事実である。

けれど、どう転んだって、明るい平和な状態になるとも思い難い。

だから、今、この状態で終わってくれればいい。

甘いかもしれないけれど、とりあえずこの映画はここまででいい。

だから、とても中途半端でありながらも、
私は、この終わり方でとても満足です。












2022年11月3日木曜日

カルピスと森永ミルクれん乳

私は。カルピスが好きである。

# 今でも。

が、知らないうちにカルピスは、味の素を経由して、アサヒ飲料になってしまっていたんだなぁ。

けれど、どういう政治的経緯をとりながらも、とりあえずカルピスが昔のまま存在していてくれていれば、

私には、文句を言う筋合いはなかろう。

が、この度、コンビニでまた「カルピスと森永ミルクれん乳」なる作品を発見。

# あへてタイトルに“森永”というブランド名が入っていることに驚きである。

私としては、カルピスの味はわかる。
森永ミルクれん乳の味もわかる。

けれど、それが一体化された時にどうなるのか?想像がつかない。

「これなに?メチャクチャ甘い飲み物じゃない?」

気持ち悪くなりそうであろうが鼻血が出そうであろうが、買ってみないわけにはいかない。

# 私は、カルピスファンである。 今でも。

さて飲んでみた。

カルピス味とれん乳味が液体水面下で密かに戦っているのがよくわかる。
だが、優勢なのは、やはり“れん乳側”のような気がするのは、私だけではあるまい。

が、これはこれでアリだよな。そう思えてしまってすみません。

確かにラベルにも書いてあるように“しあわせマシマシ”感は、感じられました。

けど、、、“カラダにピース”か?

その疑問がぬぐえませんでした。


 
P.S

正面のデザインを観るからには、“Asahi”よりも“森永”の文字の方が大きいのは、 アサヒ飲料ブランドの余裕だろうか。

いつか出るであろう“カルピス味のミルクれん乳”なる森永社のチューブを期待して止まない。







2022年11月1日火曜日

公園で読書


秋の天気の良い日は気持ちがいい。
 
午後も過ぎると家の中に閉じこもってちゃダメだよね。
そう思ってどこかに行こうかと思えども、とりあえず思いつかない時は、本を一冊持って公園へ。

ベンチに座って読書であります。

カフェなんかだと、運が悪い時は、どうも隣のテーブルの会話にダンボ耳になってしまったり、いろいろ気が散ることがあるけれど、公園はいい。

遥か遠くに聞こえる子供たちのキャッキャ音は、しっかり聞き取れる音でもなく、内容に耳を傾ける必要もなく、私には、なんとなくホワイトノイズに近くてよい。

# むしろピンクノイズか? でも子供たちの声は高いからな。

ただ、秋の日暮れは早い。
急に気温も下がってくる。
で、キリのよいところで帰宅となる。

ずいぶん暗くなっても遊んでいる子供たちを見るととても懐かしくなる。

私も遥か昔には、そんな記憶がある。

「もう、球が見えないよ。」

誰からともなく発するそのひと言で、みんな家に帰ろうということになる。

そんなこんながしっかりと思い出せるのは、
人生は、長いようで短かったな、そんなことを思ったりもする。


P.S

公園のベンチでの読書は、ただひとつデメリットがある。

たまにボールのようなものが飛んできて、転がってきて、ドキッとすることである。

サッカーボールなどがやってくると蹴り返してやろうかと思うけれど、
いやいや子供たちの自己責任やろ、と放っておくのが常である。

正直言うと、うまく蹴り返せなくて、腰を痛めるんじゃないと、思ってたりするわけですが、、、あは。