2007年1月31日水曜日

神頼みは有効か?

私は、神や仏の熱烈な信仰者ではないけれど、
何かと神社にも行けば、寺にも行く。
お賽銭を払って、お祈りする。
具体的なお願いがあれば、それを熱心にお願いするのだ
 
けれど、
最後に諦めのように一言付け加える。
 
「全てがうまくいきますように。」と。
 
願いが全て叶えられば、それが本当に自分にとって良い事なのか?
艱難辛苦だって、その後の自分を育て上げるかもしれない。
そう思えば、ことがこの後どのように転ぼうとも、
実は、神様がすべて最終的に良い方向に導いて行ってくれているのであろうと
あらゆることに納得できるような気もして。
 
んじゃぁ、お祈りしてもお祈りしなくても同じじゃん、意味ねーじゃん。
と言われれば、確かにそうかも。

けれど、何か良いことが起きれば、その感謝の相手として、
何か悪いことがあれば、きっとそれは神様の与えてくれた試練なんだから、
そう、思えたりすると、少なくともヤケクソにはならなくて済むような。
ま、単なる私の責任回避的思考かもしれないなぁ。

ま、いいや。
 
 
P.S
しかし、イエスキリストも水をおいしいワインに変えてしまったのだから
神様のやることは、何でも有りなのである。
 
ほらほらどうにも有りえないようなお願いも、やはり頼んでみるべきであろう。
だって、もし本当に神様がいて、願いを叶えてくれたら、ラッキーじゃん。
ダメ元でお祈りしてみる価値はあるかもよ。
# こんなこと書いていると、きっとバチが当たるな。
 
ちなみに写真のおみくじは、
一枚目がどうにも気にくわなかったので、
二枚買ってしまった時の。
# こんなことしていると、きっとバチが当たるな。
 
ま、いいや。
 
 
PM 10:14:27

2007年1月29日月曜日

フ大統領の最後

あえて、、、書く。
 
フ大統領の最後の映像を見る機会を得た。
最初は、観たくないと思っていた。
けれど、何が真実かわからないこの今の世で
やはり事実は、観ておかなければならないと思った。
観るものが事実かどうかもわからないけれど、、、
勇気を持って観た。

悲しい現実を見せられた気がした。
私は、フ大統領をよく知らない。
直接会ったこともないし、その経緯も正確には知らない。
けれど、こうなってしまったのだ。

映像を見て、ひとつだけ気になったことがある。
覆面をしていないのは、フ大統領だけである。
携帯電話で撮ったと思われるその映像は暗く、
画面の中での声は、私には理解できない。

けれど、覆面をしながらあたふたしている周りの人間に対して
フ大統領のその静かな最後。
理性を失ったフ大統領の姿ではなく、そのある種堂々とした姿に
ちょっと救われた気がした。

不謹慎かもしれないけれど、あえて、ここに記す。
 

P.S
殺人シーンばかりの映像があふれるこの現代の中で、
私は、そのシーンに麻痺してしまっているのではないか、、、と心配だった。
 

PM 08:37:13

2007年1月28日日曜日

不都合な真実

正直言うと500円というので鑑賞に到った。
あえて最初にお知らせする。
HPは、こちら。(ってもうありませんでした。)

元アメリカ大統領候補アル・ゴアのプロモーション映画である。
# と書いてはいけない内容であるが。

地球温暖化現象を軸に、強烈なその進行を具体的な映像とグラフでわかり易く解説してくれているプレゼン映画である。
# が、正直言って、暗い中、眠気に負ける人も居よう。
# この内容で90分授業は、きっとツライ人も居るはずだ。
# 寝息が聞こえてきたりもした。
 
確かに、この映画を観ると、もう地球ってダメだね。
人類は、愚かで、この100年以内に滅んでしまっても仕方ないよね。
そんな気がしてくる。
 
最後のクレジットには、延々と「○○しましょう」と表示され、
「環境保護に力を入れている政治家に投票しましょう。」
「いなければ、自分で立候補しましょう。」
まで到ってしまっては、笑いが出てしまった。(すみません。)
 
お奨めかって?
結構、日本人は、この手の話は、既に知っていることが多いと思う。
確かに、新発見も得られると思われ、
まぁ、地球上で生きていく上でのマナーとしては、観るべきでしょう。
 
しかし、、、映画館を出て目に入るのが、車の渋滞だったりして。
また、今から自分もそれに参加することを思うと、、、
やはり、人間って、、、いやいや、、、私って、、、ダメな人類のひとりを実感。
 
何かしないとなぁ、、、そう思わせてくれたのであれば、この映画は、意味があったことになる。
 
けど、、、、、、
 
P.S
ちなみに封切り後、毎週日曜日、4回目の日曜日までが500円であります。
もう2回終わってしまいましたが、、、。
 

PM 08:35:05

2007年1月27日土曜日

終わりのない「北の国から」

小説を読んでも、映画を観ても
とりあえず、それがハッピーエンドで終わっていても
いつも思うことがある。

「で、そのあとは、どうなったの?」
 
かなりむかし、こんな文を書いた。

けれど、やはり、、、そうだったのかぁ、、、
純は、結と別れて、初恋のれいと再婚するのかぁ、、、
蛍は、正吉と別れてしまうのかぁ、、、
ショックだな、、、と思いながらも、やっぱり、、、とも。
 
北の大地で真剣に生きる人々は、人生にも真剣であろう。
ならば、そうそう人生がスムーズに行くとは思えないこの世の常である。
 
でも、、、倉本聰さま、、、
やはり安心な「とりあえずの終わり」を準備していてくれていますよね?
楽しみと、不安と、、、。
 
 
P.S
ま、いろいろ興味のある方は、Wikiのココででも。
 
読まない方がいいかもしれませんが。
 
PM 07:55:29

2007年1月26日金曜日

いつでもどこでもスロット

 

レンタルビデオ屋さんでスロットマシンを楽しんでいる図。
 

楽しいんだろうか?
それとも訓練中?
 

 

P.S
京都です。

 


PM 09:31:03

2007年1月25日木曜日

卵と玉子が入ってます。

ここは、とある神社である。
そこで、こんなお好み焼きの屋台を見つけた。

「卵と玉子が入ってます。」
 
さて、文系的理科系(最近、理科系的文系?)の私は、この意味がどうにも知りたい衝動にかられた。
ひとつは、うどん粉に混ぜてあったり?
それとも意外な卵の使い方が?
んんん。

あなたは、想像つきますか?
きっと、きっと、この漢字の違いを巧みに使った調理法があるのだろう。
日本人ならば、それはきっと知っていなければならない内容のはずだ!

たいしてお腹が空いていたわけではないのだけれど、
思わずそれを尋ねるために購入。
500円。
知識欲を満たすためには、500円なぞ惜しまない私である。
 
で、お好み焼きを受け取りながら、さりげなく質問。
「これって、どういう意味ですか?」
「ただタマゴがふたつ入っている意味ですよ。
 タッパに入れる時は、二つに折っちゃうから
 まったく何が何だかわからなくなっちゃいますけどね。」
 
「..........。」
 
P.S
しかし、私は、その500円に後悔はしない。
疑問は、どんなカタチでさえ、満足されれば、それはそれでうれしいのだ。
 
 
PM 09:24:54 
 

2007年1月23日火曜日

厳冬

 
最近の私のブログを読んだ一読者からこんな感想が寄せられた。
 
「なんか、最近、『春』が来た?」
 
あえて、ここでお返事差し上げる。
 
「来てねぇ~よっ!」
 
まぁったく、どういう読解力なんだか、、、
 
ったく。
 
P.S
今、私は、厳冬の中にいる。
 
 
PM 07:10:29

2007年1月21日日曜日

愛の流刑地

原作は、渡辺淳一の同名小説である。

私は、渡辺淳一のファンであった。
ファンであった、という過去形になってしまっているのは、どうも最近読まなくなってしまったのである。
 
何故読まなくなってしまったか、自己解析してみると、、、
とてもこんなブログには、書けない理由が思いついた。
したがって、書かない。
# あは。
 
さて、映画についてである。
上映中だからネタバレを避けて、、、と。

まず、何故この映画を鑑賞するに及んだか?
それは、某テレビ番組に渡辺淳一がゲスト出演していて、
その本人が、言ったのである。

「今まで30本ほど自分の小説が映画化されたが、
 今回の出来が一番私の本意に合っている。」
# すみません。正確なセリフではありません。
 
まぁ、上映中の映画だもの、そんなコメントは、営業的に当然だと思いながらも
そんなことを原作者本人から言われてしまうと、やっぱりファンとしては
鑑賞に及ばざるを得ない。
 
ところが、何せこの映画、R-15指定のエッチシーン満載の映画である。
オトコ同士で行くのもハズカシ、さてはてこの映画に誘う女性の相手もおらず、、、
で、レイトショーでひとりで鑑賞に至った。
 
ちなみに私は、原作は読んでいない。
キャスティングにひっかかる気がしたけれど、
確かに渡辺淳一作品としては、完成度は高かったような気がする。
 
ご本人には、申し訳ないが、寺島しのぶなどは、
ヌードのシーンより、服を着ている普通の自然な仕草の方が、
遥かにエロチックで魅力的に感じたのは、きっと私だけではなかろう。
いかんいかんネタバレにつながりそうだ。
 
公式HPは、こちら。(は、もうありませんでした。)
 
 
P.S
ホント言うと、、、なぜこの映画を観に行きたくなったか?、、、
人の不幸を見たかったのである。
 
なぜか?
とてもこのブログには、書けない理由である。
# あは。
 
 
PM 11:47:01

2007年1月20日土曜日

決して許さない二者択一における第三の選択

もちろん、ものによるものなのでしょうが、、、

あなたが二者択一に悩むとする。
メニューでもいい、バッグでもいい、ネクタイでもいい。
あるいは、試験問題の解答でも有り得よう。
どうにも選べない。そんな状況にきっとあなたも陥ったことがあるでしょう。
どちらも捨てがたいのだ。
 
もちろん、両方とも選んでしまうことが許されれば、何も迷うことはない。
# それはそれで、また別種の問題が起きるものでもあるけれど。
 
でも、今、あなたはどちらかを選ばなければならない。
迷って、迷って、どうにも結果が導き出せない。
感情に流されることもあるでしょう。
ロジカルな思考の結果、選べないこともある。
さまざまな葛藤のなかで、選択が出来なくなってしまう。
 
やがて、苦しくなってきて、どうしてよいのかわからなくなる。
そんな時に思いつくことがある。
どちらも辞める。という選択。
二者択一における第三の選択である。
 
もちろんこの第三の選択も、選択のひとつではある。
けれど、私は、この第三の選択は認めない。
人生の中でやっと巡り合った選択の機会なのである。
しかもどちらとも好ましくて諦められない選択なのである。
そんな選択の機会を、たとえ苦しくなってきたからといって、
両方とも捨て去ることは、もっとも贅沢な、幸運と努力を放棄する愚行為だと思う。
人生の中でそんな愚かな行為があるだろうか?
私は、そう信じている。
 
だから、迷えばいいと思う。
苦しんで苦しんで、どこまでも迷えばいいと思う。
そして、その迷いつくした結果、別にどちらを選んでもいいのである。
迷いに迷って、考えて考えた結果だもの、
どちらを取ったところで、諦めがつこう。
 
仮に間違った結果であったと後で気が付いても
その選択の時点では、それがいいと信じた、それがいいと賭けたのであるから
その選択を後悔することではない。
そもそもそれを選ぶ運命だったのだ。
私は、そう思うことにしている。

もし、その選択が失敗だったと後で気づいたら、
なにもそれからそのリカバリに努力すればいい。
だから、私は、その二者択一の第三の選択を許さない。
 
 
P.S
けれど、フト思うことがある。
もし私が選ばれるモノであったとしたら、、、
私こそが選ばれるべきものだと必死で主張するであろう。
やっぱり負けたくないし、やっぱり選ばれたいから。
 
けれど、どうにもその主張が通らなくて、やっぱり選択者を悩ませる結果が続くとしたら、、、
そして、その選択者を苦しませることになってしまって、見ていられなくなってきたら、、、
 
きっと私は、自ら諦めるであろう。
やはり、私の世界観と選択者の世界観はきっと微妙に違うのだ。
きっとどちらを選んでも同じならば、私は諦めるから、もう苦しむのは、お辞めなさい。
そんな気持ちが湧いてくるような気がする。
 
今も私を二者の選択の余地に入れてくれていることを感謝しながら、、、
それは、私のやさしさだろうか?それとも単なる気弱さ?自信のなさ?
きっと私の愛が試されている瞬間に違いない。
 
 
PM 11:43:57

2007年1月18日木曜日

未熟なオヤジのさよならの仕方

Jさんがオーストラリアへ帰るということで、
今日が最後の日だそうです。

一緒にモンゴル行って、飲んで騒いで仕事して。
とてもいい人なので、悪い思い出がまったくなくて
今日が最後と言われても、、、困ってしまいます。

ちょっと、寄せ書き書いていってよ、と同僚の人に言われても
そ、そんな突然にぃ、、、
気の利いたことが思いつかずに悔しかった。

けれど、いつも思います。
私だっていつも「さよなら」は苦手です。
ならば、立派な挨拶もなく、いつものように普通に別れるのが
いちばんすばらしい「さよなら」だと思って、、、
じゃ、またね、って別れました。

だって、同じ地球に住んでいるんだもん。
別れって言ったって、会う気になればいつでも会えるのですから。
またね、っていう言葉で、私は充分。
どんな人との別れもいつもそう信じて、、、。

じゃ、またね、ジャスティンさん。
 

P.S
未熟なオヤジでごめんなさい。
 

PM 08:20:32 
 

2007年1月17日水曜日

1995,1,17/5:46

もう12年も経ってしまったんですね。

世の中に何が起きようとも、
とにかく時間は、通り過ぎてゆく。

忘れてしまっている人も居れば、
今もなお、見えない何かと戦っている人も居るはずだ。
 

ほんのわずかな地球のクシャミが、
6000人以上もの死者を出したあの地震。
 

私が生きている間は、忘れてはならじといつも思っている。
 

哀しい出来事は、いつも隣り合わせであることを
忘れてはならない。


また、この記事を。
 

 

P.S
写真は、臨時増刊AERA '95.2.25号
たまに目のつくところに置いてあります。
 

PM 10:03:42

2007年1月16日火曜日

そろそろ新年の挨拶に行かねば、、、

あ~、また飲みたくなってきた。
ふぅ。

そろそろお伺いしようと思います。
新年の挨拶もまだですし。
 
では。
 
 
P.S
完全な個人業務連絡の今日のコラム。
 
 
PM 09:51:45

2007年1月14日日曜日

赤い鯨と白い蛇

上映中だからストーリーに関しては何も書かまい。
あえて情報を書くとすれば、
キャストが見事に女性5人だけの映画である。
 
また、カテゴリとしては、戦争ドラマになるそうである。
が、戦争ドラマというよりも、私は、人生の生きる難しさをこの映画で見た。
 
戦争で自由に生きられなかった世界がある。
が、戦争がない今、人は幸せに生きられているだろうか?
そんなことを思いつく。
 
戦時中に比べれば、もちろんそれは贅沢な悩みであることは、重々承知である。
が、やはり現代も生きることは難しい。

けれど、生きてさえいれば、幸せに向かうべく努力も出来るのである。
ちょっとこれからも頑張ろう。
そんなことを思わせる道標の映画のはずである。
 
まぁ、あなたがそんな気になるかどうかは、映画を観てみないとわかりませんが。
公式HPは、こちら。(は、もうありませんでした。)
 
 
P.S
生きることは難しい。
今、私は、そう実感している人間のひとりである。
なんとかしたい、、、そう思っている人間のひとりである。
そう、現代の贅沢な悩みを持つ人間のひとりである。
 
 
PM 07:44:06

2007年1月13日土曜日

シシ歳は、震災年?

イノシシ歳には、震災が起きる。
そんなことを耳にする。

関東大震災も神戸の関西大震災もイノシシ歳であった。

じゃぁ、そろそろ今年あたり、、、?
などと、フト思ったりも。
 
今年、息子が就職する。
私の地元には戻ってこなくて、大学の地元に就職が決まったようだ。
 
まぁ、二人が離れて生活していた方が、私のDNAが生き残る可能性が高いかもね。
そう思ったりもする。
 
まぁ、出来るならば、若いDNAが残った方が良いであろう。
そう考えれば、どうせ震災が起きるなら、私の方に起きて欲しいかな、
そう思ったりもする。
 
 
P.S
そんなことを話していたら、横からチャチャが入った。
 
震災じゃなくて、核戦争になったら、どっちもダメですよ。
あのね、もう核戦争を起こすような人類なら、いっそ滅んでしまった方が地球のためには、いいよ。
生き残ったって、つらいばかりだし。
そう思ったりもする。
 
# なんか暗い性格な今日この頃の私。
 
 
 
PM 07:40:08

2007年1月12日金曜日

完敗。

深夜遅く、冬休みの宿題をやっている娘。

横から、イヤミな親父がつぶやく。
「もっと早くからやりゃぁよかったのに。」
娘は無言である。
 
# まぁ、正直言うと、過去を振り返ると、とても人の事は言えない私である。
# が、それを言えるのが、大人の唯一の特権であろう。
 
「今、この瞬間に冬休みの最初に戻ったら、ちゃんと計画を立ててやりそうかねぇ?」
# ほんにイヤミな親父である。
 
「まぁ、お前の年代に戻れたら、父ももう一度やり直したいことがいっぱいあるしなぁ。
 もし戻れたら、後悔しない人生をもう一度やり直したいぜ。」
そう私がつぶやくと、娘がボソッとつぶやいた。
 
「きっとやり直しても、今頃、また後悔していると思うよ。」
 
# 完敗である。
 
 
P.S
今年のお年玉はなし!
 
PM 07:10:57

2007年1月10日水曜日

落ちない?くるっぴー

古いネタである。
何気なくこのおもちゃが目に留まった時、その原理が気になって買わざるを得なかったのである。
 
どうってことはありません。
ゼンマイを巻いて走らせると、勢いよく走り回るおもちゃです。
 
けれども、写真でご覧のように、どんな狭いところでも決してそこから落ちないのである。
落ちそうになると、くるっと回ってまた違う方向に走り出すのであります。

いや、縁起をかつぐ方には、もってこいのおもちゃであります。
某予備校の売店で販売すれば、爆発的な売り上げを記録すると思うのですが、、、いかがでしょう?
 
では。
 
 
P.S
ちなみに私がこれを見つけて購入したのは、自衛隊航空基地の売店でした。

 
PM 10:21:17

2007年1月9日火曜日

クロネコ便記入サンプル

とあるお方に
「これ送っておいてよ」
と、荷物と現金と記入済みの宅急便の発送用紙を渡された。

なにげに
「あいよ。」
と引き受けたものの、、、
いざクロネコさんに持ち込んで伝票を貼ろうとしたら、写真の伝票である。
いやぁ笑えた。

何が笑えたって、ご依頼主の欄には、ただ
「本人」 と。
でも、クロネコさんもさすがです。
そのまま受けてくれました。

ご依頼主は、なかなかユニークな方である。
# 怒んないでよ、事実でしょーが。

ちなみにもうひとつ。
私に届いた年賀状の中に
表は完璧な私の会社の住所宛なのに
郵便番号が私の自宅のものだっただけで
会社に着かずに、私の自宅に着いた。
驚きである。

誤記を見つけて、会社の区に転送するよりも、
そのまま配っちゃぇ、ってなノリだったのかしらん。
なんだか世の中、機械的なのか人情的なのか
よくわかんない事件が続く新年である。

P.S
しかし、、、
私の自宅の郵便番号は、市区町までしか特定できないはずで
丁目は、1~7まである結構巨大なエリアである。
もちろんたまたま私の苗字は、
そのエリアに一人しかいなかったために可能であったのであろうけれど、
郵便局の仕分け担当者は、その郵便番号と苗字だけで、
我が家を特定できた事実は、ちょっと驚きを通り越して恐くもあり。
別に有名人じゃないはずなんですけど、、、私。

# 悪名高いかもなぁ、、、。

 
PM 08:51:28 
 

2007年1月8日月曜日

子ぶたまんじゅう

いえ、単にちょっともらった饅頭です。

イノシシ年だから、、、なのでしょうが、、、
子ぶた饅頭である。
 
妙にハナが生々しかったので、パシャッ!
 
 
P.S
いつも思うのであるが、、、
生き物の生々しい形をした食品は、
イマイチ好めない。

遥か昔「詩とメルヘン」の雑誌に、
やなせたかしのアンパンマンが登場した時も
どうもなじめなかったものである。
もう30年も前のことである。
 
# あっ、アンパンマンは食品じゃなかったぁ。(訂正)
 
PM 08:33:19

2007年1月7日日曜日

輪ゴムはゴルフボールになりうるか?

スーパーで揚げ物を買ったり
 何気についてくる輪ゴム。
 
私の場合、明らかに使用量よりも、供給量のほうが多い。当然、机の上に散らばって、溜まってゆく。
そのまま捨てるのも何だか可哀想で、、、
 
けど、自分で使うこともなく、、、
で、ある時、小さな頃にゴルフボールを分解したら
中はゴムだらけだったことを思い出し、
こんなゴムボールを作り始めた。

もちろん使いたい時は、このボールから外して使えばいいわけで。
なかなか、散らからずに、扱えていいと思います。
あなたもいかがですか?
 
P.S
これで輪ゴムが可哀想でなくなるわけではありませんが、、、
いつの間にかゴルフボールのサイズを追い越し、
次の目標は、テニスボールだったりする。
 
小さなものが集まって、大きなものになるこの姿が
私には、何となくうれしい。
 
注意:
ゴルフボールの分解は危険です。
気軽にやってみようなどとは、思わないように。
 
 
PM 08:08:00

2007年1月6日土曜日

想い出の破棄は、永遠の破棄か?

先日のコラムで、
想い出の品を捨ててしまうと、
もう永遠に思い出せなくなって、
その想い出の過去の事象がまったく思い出せなくなってしまうのじゃないか?
そんな心配事をチラッと書いた。
 
確かに思い出すきっかけとなるべきその品物を失う事は、
それに関連する大切な人生の歴史ともいえる想い出も永遠の忘却の彼方に
去っていってしまうような気がする。

いやいや、例えば本棚の小説にしたって、
そこに本が並んでいる以上、確かに自分は読んだのだけれど
正直言って、ストーリーさえ思い出せない本ばかりである。
それじゃぁ読んだ意味がないんじゃぁないか?
そんな心配である。
 
けれど、とある方からうれしい一言を受け取った。
それは、、、要は、、、
どんな想い出も本も、今は憶えていなくても、
その時には、きっと何か感じることがあって、
それは、きっと自分の考え方や主義・思想に結びついて、
今も体の中のどこかに残っているであろう、ということ。
 
なるほど、、、私は、ものすごくうれしかった。感動した。
ならば、もう何も心配する事はない。
何も見えるものだけが全てではないのだ。
今の自分の考え方・思い全てに、過去の出来事が染入っているに違いないのだ。
 
だから、、、
もっと本を読もうと思う。いろいろなことを経験しようと思う。
想い出を作るためではなくて、今の自分を育てるために。
新年早々、うれしい言葉に出会えたことに感謝である。
 
P.S
でも、、、
おいしいものを食べた時にも、その写真でも撮っておかないと
曖昧な記憶な料理のイメージだけで
後に残るのがカラダに付着した脂肪だけ、、、じゃぁねぇ、、、。
 
やはり、私のカメラ小僧は捨てきれないや。
 
 
PM 07:56:20 
 
 

2007年1月5日金曜日

井の中のカエル、大海を知らず、されどその、、、

大学生の息子が帰省してきた。
私への土産は、もちろんマンガの本である。
 
その息子、カエルを飼っているとかで
帰省中も放っておくわけにはいかないということで、
ペットボトルに入れて、連れて帰ってきた。(写真参照)
 
「なんか可哀想じゃないの?」
そんな思いもするが、
暖かいところで、冬眠する必要もなく、
餌も与えられていれば、このカエルは不幸か?
と言われれば、言い返せない今の私である。

大海を泳ぐこともなかろう、
広い空を仰ぎ見ることもなかろう、
けれど、生きる上での危機は少なそうだ。
 
カエルの気持ちはわからない。
一体何がいいかどうか断言できない自分もわからない。
 
お正月から考えさせられるカエルである。
 
P.S
最近、なつかなくなってきたそうである。
 
ストレスたまってんじゃないの?
彼の名誉の為に追伸しておくが、
彼の家では、それなりの入れ物でそれなりの環境を整えてやっているそうである。
 
しかし、、、彼に飼われている以上、
餌に関すること、環境に関すること
このカエルに起こる天変地異は、彼の仕業ということになる。
 
彼は、このカエルの全能の神であったりすることを
知っていて欲しいと思う。
 
「井の中の蛙、大海を知らず、されど、その飼い主の愛情を知る(?)。」
 
 
PM 12:56:09

2007年1月4日木曜日

年賀状の葛藤

 数年前から、私は非常に個人的意味合いの強い年賀状の生産枚数を100枚に限定するようになった。
 
それまで増え続けたこの年賀状。
確かに義理の強い国民性かどうかわからぬが、年賀状だけの関係は、増える事はあっても減る事はない。
もちろん、それはある意味うれしいことなのだけれど、お互いに無意味さを感じることもある。

そもそも日頃会っている人への年賀状ってなに?
などと思えば、それはれっきとした挨拶であり、義理もあろう。それって、、、
 
最後に会って20年経って、尚且つ、将来も会いそうもない人への年賀状ってなに?
などと思えば、それは、単にお互いがまだ生きている証の知らせであり、
いつかきっと会うこともありますでしょうか?の期待と、
単なる、想い出の保持かもしれない。それって、、、
 
などなどなど、、、年賀状への思いは、訳がわからなくなったりする自分がいる。
 
「いいじゃんさ、年に1回の葉書のお手紙ぐらい。」
そう言われると、おっしゃる通りであります。
けどけどけど、、、
 
カタブツのオヤジが世に無意味そうな一石を投じるべく
ヘタは覚悟の上で筆で一枚一枚書いているこの作業には、精神的限界がある。
 
精神的な限界から外れてしまった方へ、、、
ごめんなさい。
 
# 長い言い訳の今日のコラム。言い訳になってないな。反省。
 
 
P.S
100枚以上のものは、印刷にしてしまおうか、、、
と毎年思うのでありますが、そんなことをしようものなら、
あっという間に全数印刷になってしまうであろうことが容易に想像できてしまう自分。
 
年賀状はいつも葛藤の源だったりする。
根性なしですみません。
 
 
PM 12:27:22

2007年1月3日水曜日

過去の遺産を捨てる時

大掃除をする時、
同じものが捨てられる時と
捨てられない時がある。
本当に必要なものなのか?
想い出として、捨てないでおくべきなのか?
人から見たらどうでも良さそうなことも
本人にとっては、結構大きな課題だったりする。
もちろん全てを保存しておくのも余りにも量が膨れ上がりすぎるし、今ここで捨ててしまうと、永久に忘れてしまいそうで、昔のその出来事、その想い出は、たとえその時は楽しくとも今となっては、将来となっては、全く無意味なものになってしまうのだろうか?
そんなことを考えると、もう1年だけ保存しようか、、、など、
人生に未練がましい自分を見つけ出したりする。

けれど、この大掃除は違った。
妙に捨てられた。
それは、なぜだろうか?
自分を考察するのがちょっと怖い。

P.S
写真は、今回捨てたフロッピー。
まぁ、こんなものまだ持っていたの?とつぶやく方が多かろう。
そうである。
私は、人生に未練がましいのである。


PM 12:05:17

2007年1月2日火曜日

最悪の事態には

   
    
   「 最悪の事態には

       必ず相応のチャンスが

            眠ってるもんだ。 」

          サンジ  ワンピース 巻43より

   いやぁ、どんな時にでも
    どんなツライ時にでも
     ちょっとだけ諦めを遠ざけてくれそうな一言である。
 

   P.S
   更に同じページにもうひとつ気になるセリフがある。

   「 お前にできねェ事は、おれがやる

     おれにできねェ事をお前がやれ!!! 」

   いいなぁ、いいなぁ、、、サンジ、、、いいオトコだなぁ。

PM 12:29:28

2007年1月1日月曜日

謹賀新年

あけまして
 おめでとうございます。
  本年もよろしくお願い申し上げます。

さて新しい1年が始まります。
以前、ラジオ(だったかな?)で聞いたことがあります。
1年は何故12ヶ月なのか?についてであります。
それは、、、ね、公約数が多いからだそうです。
12という数字、1はもちろんのこと、
2,3,4,6 で割り切れるのですね。
なぜそれがいいか、と言えば、
心を切り替えるタイミング、再チャレンジのイメージが持ちやすいからです。

隔月、三学期、四季、半年、、、などという言葉は
それなりの区切りを与えてくれて、
「うん、今日からやり直そう。」
そんな気分が持てるから、、、ですね。

それを聞いた時、なるほどな、、、と思いました。
でも、その区切りの中での最も強力なひとつは、やはり「元旦」でしょう。
さて、あなたは、今年から何を始めますか?
そんな大切な心機一転のチャンスは、きっとあなたのステップアップへつながるはずです。

さぁ、今年一年、新たな気持ちで頑張りましょうね、お互いに。

P.S
さて私も何か心新たにしなければ、、、と思ったりもしますが、
なにせ欲に生きる人間ですから、まぁ、いろいろ今年もありそうで。
ブログネタの種が尽きないかも、、、ね。
それはそれで、いいことかしらん?

PM 12:27:19