2005年3月6日日曜日

きのうはあすに

新年は、死んだ人をしのぶためにある。

心の優しいものが先に死ぬのはなぜか。

おのれだけが生き残っているのはなぜかを問うためだ。



おおみそかに、いつもこの詩を思い出す。

中桐雅夫の「きのうはあすに」である。
 

詩を思い出し、阪神大震災の記録を、また読み返してみる。

これまでにわかっているだけで、死者は6308人にもおよぶ。





夫も妻も、下敷きになった。手を握りあって、助けを待った。

夫の声が、聞こえた。

「おれは駄目かもしれへん。こどもたちを頼むー」

「いい人がいたら一緒になれよー。三途の川を渡るなよー」。

救助されたが、夫は死亡。41歳



がれきの山の中から、3歳の娘の泣きじゃくる声がした。

かぶさるように、「パパがもうすぐ助けるよ」と、

33歳の父親の声がした。

救出活動をしていた人が、

娘を抱きかかえている父親の姿を、すき間から確認した。

やがて、父親の声が絶えた。

娘も、病院に運ばれる途中、亡くなった。



最初の揺れが去ったあと、いくつもの地区が、火に包まれた。

73歳の父親が、下半身をがれきに挟まれていた。

子どもたちが両手を思い切り引っ張った。



炎が迫った。父親は、おだやかに言った。

「もう行け、もう行け」



かわいがっていた孫を失った81歳の女性は、

以来、持病の薬をのまなくなった。

孫の葬儀後、急速に衰弱した。

「足手まといになって悪いな」ともらしていた。

地震のあと、半月足らずで、孫のあとを追った。



だれもが、心優しい人たちだった。

果てしない記録を読み、そして、

亡くなった人たちのために自分はなにをしたか、

これから自分になにができるか、と問うてみる。



詩は、こう結ばれている。



きょうはきのうに、きのうはあすになる、

どんな小さなものでも、目の前のものを愛したくなる、

でなければ、どうしてこの1年をいきてゆける?



        朝日新聞天声人語より



(スクラップ帳より抜粋。掲載日不明。)


P.S

すべて引用です。ごめんなさい。



AM 12:46:05