みたらしだんごである。
甘いタレが付いているものではなくて
醤油だけの味付けの一品。
見かけるとまず買ってしまう。
なぜならば、、、
そう大学時代のアルバイト、、、
銀座松坂屋の前で屋台を出して、
寒い日も暑い日もただただひたすら焼いていた想い出があるからである。
初めて醤油のみ味のみたらし団子を見た時、
こんなんで売れるのか?と思った事実は隠さない。
けれど、団子自体がおいしければ、そう、タレは醤油だけで充分なのだ。
いやいや、その方が美味しい。
# 大人的感性である。
甘いタレが付いているものではなくて
醤油だけの味付けの一品。
見かけるとまず買ってしまう。
なぜならば、、、
そう大学時代のアルバイト、、、
銀座松坂屋の前で屋台を出して、
寒い日も暑い日もただただひたすら焼いていた想い出があるからである。
初めて醤油のみ味のみたらし団子を見た時、
こんなんで売れるのか?と思った事実は隠さない。
けれど、団子自体がおいしければ、そう、タレは醤油だけで充分なのだ。
いやいや、その方が美味しい。
# 大人的感性である。
1970年代、当時1本50円。
500本が1ケースに入っていて、
土日で4箱も焼けば売り上げは10万円になったこともあった。
500本が1ケースに入っていて、
土日で4箱も焼けば売り上げは10万円になったこともあった。
# そんな日は、地獄だったけどね。
# ちなみにその時のバイト代は、交通費込み一日4,000円であった。
一日焼いていると、全身が醤油臭くなる。
火傷も何度かした。
けれど、仕送りなしで東京で暮らす大学生にとっては、
とても大切な収入源のアルバイトであった。
実にいろいろな想い出がある。
この団子を見る度にそれらが思い出される。
だからこの団子は、私の大切な想い出のトリガーである。
P.S
屋台で一緒に売っていたのは、団子屋の社長のお母さんだった。
私が社会人になっても、何故か40年も文通が続いた。
年に一回の誕生日には、プレゼントを贈りあった。
3年前、100歳を目の前にして逝ってしまった。
大正女性の達筆な文字の膨大な手紙が今も私の部屋に残っている。