2025年12月12日金曜日

大原美術館

# はい、まだ本州です。

今回の最初の目的は、大原美術館。

観たい見たいと思いつつも、岡山までは仕事なんかでイヤってほど来ていたのに、仕事だとどうしてもトンボ帰りしてしまってなかなか来れなかった憧れの美術館。

毎週日曜朝に楽しみにしているNHK番組“日曜美術館”に何かとネタとして出てくるこの美術館。

私立美術館なので、国立ほどの展示数はありませんが、やはり見どころは多いですね。

常設展示を見ても「あ、この絵、ここのだったのか。」と今更ながら。

# ま、絵画それぞれへの想いは、キリがないので飛ばして、、、

今の目玉は、エル・グレコの「受胎告知」の修復後の初公開―プレ再展示―でしょうか。

企画展として“1925:ピカソ・フジタ・ヤクシジ―むすび100年前”もやってました。

点数はそんなにありませんでしたが、ピカソから影響を受けて描いたと思われるフジタの一枚が印象に残りました。

なんて言うかなー、キュビズム的でありながらもピカソほどに到っていない程良さが私には好みかも。

あとでネットで探して観直そうと思ったけど、見つからず。
あの絵とは一期一会だったのか?と思われると、ちょっと、いやかなり哀しい。

「工芸館」には、棟方志功や芹沢銈介の作品が並び、
「あ~日曜美術館に出てきてたあのシーンは、ここかぁ。」などとも。

今年全面改修が終わった「児島虎次郎記念館」も見学。

お腹いっぱいになりました。



P.S

やっぱちゃんと観ようとすると半日の予定組まなきゃダメだなぁ、とつくづく。

今回のプランでは90分しか取れなかったので、かなり“来ました記念”に近いですが、
でも、大原美術館が身近に感じられてよかったです。

だって、名古屋からだと東京の美術館に行くのと、距離的には大して変わりませんもんね。

「また来ればいいや。」

その感覚が得られたことが、今回の一番の収穫かもしれません。






2025年12月11日木曜日

倉敷美観地区

さて四国紀行、新幹線で岡山まで行き、普通列車で倉敷を目指します。

そして、目的は、倉敷美観地区へ。

# 四国じゃないじゃん。はい、その前に。

JRを倉敷で降りて、どーせ歩くなら車の少ない道がいいよね、と「えびす通り商店街」を歩きます。


すると、やがて白壁が見えてきて、角を右に折れて少し歩くと

「お~~~~っ!」と思わず声が出たぁ。

「こ、これが倉敷美観地区かぁ。」と
 

 
 
 
 
 
 




いや、まるで時代は、江戸?

# って言ったら私の偏見かもな。

白壁に、小さな舟が浮かぶ川面、そして、柳並木、、、

いやいやいや、時代劇に出てくる典型的な風景でしょ、ここどうみても。

そのシーン、チラチラとテレビで目にすることもありましたが、いざ本場に立ってみると、感動ひとしおであります。

# まるでタイムスリップしたような、、、。

ちょうど紅葉も真っ赤で。

いや、倉敷に行ったホントの目的は大原美術館だったのですが

その前にこんな場面に出会えるとは、、、うん、絶対におススメです。



P.S

金曜平日の為か、総理大臣のおかげか、人も少なめで良かったですわぁ。




2025年12月10日水曜日

四国紀行はじめます。

以前、九州をぐるっと回って帰ってきた時に、

「次は、四国だな」と思いつつも、もう2年も経ってしまった。

四国は、中学生の時の修学旅行で行ったはずなのですが、それが半世紀も前のことであれば、ほとんど記憶なく。

仕事で香川大学へ何度かと大塚美術館へ二度ほど行きましたが、それもう四国の端っこだけでしょ、ということで。

更には、四国には、一度は見てみたいものがいっぱいある。

サラッと羅列して見ても

・しまなみ海道
・道後温泉
・四万十川
・沈下橋
・海洋堂ホビー館
・詩とメルヘン絵本館
・モネの庭
・他、、、

今回は、それらを片っ端から観ようと試みます。

計画は、3泊4日。
今回は行きあたりばったりでなく、入念な計画を立てて。

# 最近は、行きあたりばったりだと高くつくんだよなぁ。

ということで、しばらくは、四国ネタが続きます。

四国の意外な一面が伝わればいいけどなぁ。



P.S

オフレコですが、、、

四国行きのもうひとつの大きな理由は、、、

「南海トラフ大地震の前の風景を、、、」

て言ったら不謹慎だっ、て叱られますかね。m(._.)m





2025年12月8日月曜日

たゆたえども沈まず

タイトルの「たゆたえども沈まず」は、フランス・パリ市の紋章に刻まれている言葉である。

ま、意味は、読んで字の如し。“決して負けないぞ”的な、かな。

作者は、原田マハ。

ゴッホの半生を題材にしたフィクションである。

時代は、1880年代のことであれば、ゴッホは、エコール・ド・パリ以前の人だったんですね。

# 読んでいると、ちょっと勘違いしてしまった。

物語は、日本人のパリ渡航の話から始まり、仕事の画商つながりから弟テオと知り合い、フィンセント・ゴッホとの物語へと繋がります。

が、どちらかと言えば、ネタとしては、弟のテオの方が多いかも。

ゴッホネタについては、弟テオとやりとりした手紙が多く残っているようなので、その二人の生活ぶりは、二人が離れている時の情報の方が多いとか。

なので、二人がパリで一緒に住んでいた時の方が不明な点が多く、フィクションで作り易かったというのがあるようで。

でもま、現実的にわからない部分は、よく調査してくれた小説家がフィクションでも作ってそれで埋めてくれればヨシッ派の私なので、

# いや、そうでなきゃ、大河ドラマや朝ドラなんて見てられないでしょ。

とても楽しく読めました。

まぁ長編物語なので細かい感想は書ききれませんが、やはり最後は涙なくしては読めませんでしたよ、ハイ。

あと、ちょっと嬉しかったのは、“タンギー爺さん”のイメージが持てたこと。

普段、ゴッホの“タンギー爺さん”を観ながら、ただのオヤジかぁ?と思っていたのが、何か小説からその雰囲気なり彼の優しさが感じられて、これからは、絵画の“タンギー爺さん”の観方が変わったかも、です。

# いや、ここも原田マハの創作なのでしょうが。

# “タンギー爺さん”の絵は、Wikiででも。

小説自体は、全体的に日本人の重吉とゴッホの弟テオの物語性が濃いですが、また、ゴッホに関する知識が幾らか増えたのと(私の勝手な)イメージが出来たような気がして、読んで良かったです。



P.S

私の机の上の未読の本の山には、これまた原田マハの“リボルバー”もあったりして。

あ~、ついでにこれいくかぁ、などと。





2025年12月6日土曜日

私の一歩


16歳の私が頑張ったから今の私がある。

逆もアリで今、58歳の私が頑張ったら16歳の私も報われるし、70歳の私にも感謝されると思うんです。

今の私が一歩前に出ると、過去の私も未来の私も一歩前に出る。

―――――

ネットで流れてきた一文、この考え方、とても素敵だ。

だから、今日はココにメモ。



P.S

今ダイエット中の方々へ、

今の瘦せたい体を作ってしまった過去は忘れて、
未来の自分に感謝されるように今を頑張りましょう。

ちょっとだけモチベ上がるような気がしません?

# って、低次元な話題に落とすなよ。→ すみません。










2025年12月4日木曜日

ペコロスの母に会いに行く

今度こそ、痴呆ネタ映画であります。

# 前回は、恥ずかしい間違いだったもんね。

「ペコロス」とは、「小さな玉ねぎ」という意味で中年男性の主人公のことである。
原作は、漫画で現在も新聞に連載中のようである。

母が痴呆症を患っており、映画では、最初同居して介護していたものの、やはり施設に入居。
それらの日々をユーモラスに描いている。

まぁ私も今年の7月に母を亡くすまでは、ある種似たような出来事の体験者ではある。

今もなお日々介護と闘っている人には申し訳ないけれど、今となっては、この映画の中のいくつかのシーンに懐かしさをも覚えた。

正直言って、痴呆の段階もいろいろあれば、その症状の重さにもいろいろある。

そういう意味では、この物語はかなりユーモラスに表現しているけれど、
介護する方もツラい時は本当にツラいこともあって、正直言って、この映画に介護表現の甘さを感じる人も多いと思う。

けれど、この中年男性ペコロスのように思い、考えれば、幾らか救われるような気もしないわけではない。

この映画を観て、
今、まさに介護真っ最中の人には、ゆったりとした気の持ち様を
いつか、これから介護に突入する人には、介護に対するその覚悟と思いやりの気持ちが
少しでも頭の中に残るといいな、と思った。



P.S

私は、まだ介護する側のことしか現実的に知らないので、こんな感想しか書けないけれど、

今ボケつつある時も、その本人の苦しさ、ツラさは、きっと想像に難い。

この映画から、その覚悟を感じなければいけないのだろうけれど、まだそこまでは行きつけなかった。







2025年12月2日火曜日

4分33秒

今日は、曲の紹介。

「4分33秒」とは曲名である。

作曲家は、ジョン・ケージ

ジャンルは、、、なんなの?

哲学的であり、宗教的でもある。

要は、曲と言っても4分33秒間、何もしないのであります。

ステージ上の演奏者も指揮者も何もしない。

その沈黙の4分33秒の間の静けさを何かノイズを鑑賞する曲(?)であります。

まぁ、詳しくは、Wikipediaででも。

ググれば、演奏の雰囲気の動画も見つけられますよ、

4分33秒を聞き通した時、あなたは何を感じることが出来るでしょうか?




P.S

時間のムダと感じたあなたは、、、

私と同類のきっと凡人です。(^_^!)






2025年11月30日日曜日

国宝 源氏物語絵巻

地元でもありますので行ってきました

「国宝 源氏物語絵巻」

徳川美術館開館90周年記念の特別展で

全巻一挙公開 ということに惹かれて。

# ただ、やっぱり素人はダメですね。
# 全巻と聞いて、ん?ま、まさか源氏物語54帖分?なんて思ってしまうわけですから。

全巻ということは、現存しているもの全部ということで、源氏物語54帖すべてについての絵巻が現存しているわけでなく。

# いやそもそも54帖全部あったりしたのか?

ただ、今回は、徳川美術館や五島美術館や他から現存しているモノをすべて集めてきたということでした。

それにしても平安時代末期に描かれたものを我が目で見られることへのある種の感動は確かにある。

けれど、やはり年月による風化はまぬがれない。
かすれて消えてしまっていて、この部分はどうなってんの?と思わされる部分も多々あるのは残念である。

けれど、きっと専門家たちから見れば、よくここまで修復したな、と思われるに違いないのだろうな。

しかし、フト思うのは、なぜこの場面を選んだの?という素朴な疑問。

個人的には、もっと印象的なシーンがあるでしょ、なんて。
まぁ、源氏物語に対する時代を超えての個々の想いの違いを感じた絵巻たちでありました。

かなり混んでいました。行かれる方は、その覚悟で。

急いで!12月7日までです。

# 短っ!



P.S

しかしなぁ、、、源氏物語って、日本的には平安時代に既にこんな小説が!てな重要なものであることは認めるけれど、

かなりドロドロの世界の物語なのに教科書にも載っていて。

例えば、上の写真の光源氏が我が子を抱いているシーンも、

可愛いけど自分の子じゃないもんなぁ、似てないよなぁ、なんて思いながら抱いている情景は見ていてツラいっすよ、私は。







2025年11月28日金曜日

HEAT

1995年、アメリカ映画。
ジャンルは、アクション映画(なの?)

主演は、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ。

いわゆる犯罪グループとそれを追い詰める警察の物語。

# けど、、、2時間51分って、長いよぉ。

ま主演が重厚な二人なので、面白いって言えばそうなんだけど、
二人の雰囲気が似通っているので、最初混乱が続いた。

そもそも、アル・パチーノってゴッドファーザー役だったでしょ。
私の頭の中で今さら警官のイメージに置換するのが難しかった。

なので、二人とも悪役に見えてしまって、区別が出来ない瞬間が多かったな。

で、ただ犯罪グループのリーダーも警察側のリーダーも
どちらもある種人間臭さに絡まれつつ話は進む。

# だから長くなるんだよね。

まぁ、その人間臭さが面白かった、と思わなきゃこの映画は味わえません。

それにしてもロスの市街地での派手な銃撃戦は、見どころのひとつでありましょうが、
やっぱ主役たちは、これで生き残れちゃうんだぁ、というのは、私の素朴な疑問。

# ま、主役だからね。

で、その後も逃走と仲間内の復讐をしながら、(恋愛モドキもしながら)、
結果、警察側も多数の死者を出しながらも、悪役は一掃。
メデタシメデタシ。

# になったのか?

面白かったけれど、なにか後味スッキリしないストーリーでありました。




P.S

それにしても、今となっては30年も前の映画だけれど、楽しめるには楽しめるのですが
やっぱ30年前の映画っぽく感じるのはなぜなんでしょう。

やっぱりなにか現代的スマートさに欠ける感が残った気がするのはなぜ?

やっぱ古いオヤジ達の物語だからなのかな。

# マイ・インターンのロバート・デ・ニーロおじいちゃんが私は好きです。





2025年11月26日水曜日

盛田昭夫塾

盛田昭夫、、、そうあの世界のソニーを作り上げた人です。

「盛田昭夫塾」は、ソニー創業者となった盛田昭夫とその妻良子の人となりを紹介する記念館です。(HPより抜粋。)

そこには、膨大な資料が展示されており、歴史の資料から様々な賞、客人を招いた際の食器や客人たちが残した色紙、社内外での講演内容から、もうありとあらゆるものが展示されています。

ソニーに関係した人にとってはとても懐かしいものがいっぱいあるのではないでしょうか。

それにしてもあらためてスゴさを感じてしまう。

盛田家15代当主ということであれば、盛田家の歴史はかなり古い。
1665年、清酒醸造を開始し、約300年の酒屋の歴史を持つ家に生まれた。
そして、本家の酒造業は弟和昭氏に託し、ひたすらソニー設立に向けて邁進した。

しかし、言い換えれば、盛田昭夫氏は一代にして、歴史のある本家の酒屋ブランドをはるかに凌ぐ世界のソニーブランドを作り上げたわけで。

その一生たるや、想像できないほどの活動量が圧縮されているのは間違いない。
そして、そのきっと一部が、この盛田昭夫塾で垣間見ることが出来るでありましょう。

入館は、予約制です。
アクセスについては、ググってくださいませ。

ちょっと遠いところでありますが、一度は行ってみる価値を私は感じました。



P.S

実を言うと、弟の和昭氏と私の父は同級生であり、我が家も盛田家の近くだったせいもあって、父はよく盛田家に遊びに行っていたようです。

「まだ戦前なのにレコードがあってな」「模型の電気機関車が走ってた」など私もよく聞かされました。

更には、ソニー(昔は東京通信工業株式会社)創業時の苦労話も父から耳にしたこともあります。

ソニーの歴史の長さは、まだまだ本家盛田酒造には及びませんが、日本発のソニーが300年後にどうなっているのか、、、

大きな期待を持たざるを得ませんね。