今日は、母とランチである。
母は、トンカツ好きだ。
メニューにトンカツがあると、常にそれがいいと言う。
「この前、食べたばっかりじゃん」
そんなセリフを私が吐いても、
「好きだからいいのよ。」
いつもそう答える。
いい加減ボケ始めてしまった母は、
そもそも最後に食べたトンカツのことなど
覚えてはいなさそうだし。
さて、しばらく経つと、大盛りのトンカツがやってきた。
二人して、思わず声が出た。
「これ、食べ切れそうにない!」
そこで、母は私に言う「二切ぐらい食べてよ。」
「あいよっ。」
母が、二切を箸でつまんで、私のハンバーグのお皿に乗せようとする。
その時に、母が面白いことに気付いた。
「このトンカツ、端っこしかない。」
既にカッティングされているどの切れ端を見ても
端っこの切れ端なのだ。
要は、お皿に乗っているトンカツの中に
両側に包丁が入った断面になっているモノがないのだ。その瞬間、
”残り物の山?”
そんな思いが母の頭の中に立ちこめた。
「なに言ってんだよ、一口カツをみんな半分にカットしてあるんじゃないの?
とりあえず口先だけで応えた私。
真実は知らない。けれど、母も納得した。
しかし、思うのだ。なぜ、そんなことに気がついたのだろう?
ボケ始めた頭の中でも、自分のお皿から譲る時には、
少しでも子供に美味しい部分を、なんていう気持ちが働いているのだろうか?
逆に言えば、いつも「食べ切れない」と私のお皿に移動する時には、
いつも美味しい部分を乗せていてくれたとしたのならば、
それに気が付いていない私の脳が、果たして健常と言えるかどうか大いなる疑問である。
母に向かってボケていると小バカにする前に、
まだまだ考えなければならぬこと、気が付かなければならぬこと
そして、親として持たなければならない感情を
今のうちに学んでおかなければならぬ、そう思った。
P.S
アルツハイマーの認定を受けてしまった母は、
週に2回、デイサービスに行く。
母は、いつも呆れている。
わざわざ送迎バスが、町内を大回りしてまでも
玄関の前につけてくれていることを。
「送り向かいでさえ大変なのに、そうまでしないと
お客さんが集まらないんだろうねぇ。」
そんな母のセリフに、こちらが頼んでお願いしている事実を
いつもゴックンと飲み込んで。