2008年7月6日日曜日

ザ・マジックアワー

三谷幸喜の作品である。

そんなに惹かれたわけじゃなかったけれど、これだけ宣伝と評判を聞かされりゃ、

まぁ、映画ファンとしては、見逃すわけにはいかないでしょ。

けど、、、

確かにストーリーはおもしろい。

けど、、、

役者も名演技だ。

けど、、、

脚本も演出もよく出来てる。

けど、、、

ある意味、非常に完成度の高い映画である。

けど、、、

なんか物足りないんだな。

場内で大声で笑いながら見ている人もいたけれど、
私は、どうにもそこまで達せない。

なんていうか、アクがない、というか、クセがない、というか

なんか、笑わせるギャグがあっても
心を深く躍らせるシーンが得られなかったような。

まぁ、この映画にそんなことを望んじゃいけないんだろうけれど。





P.S

例えば、今日、お見合いで初めて会った人と映画でも、、、

っていうシチュエーションには、いいのではないでしょうか。

あたり障りなく。

これが、三谷幸喜映画の真骨頂のような気がするこのカタブツオヤジ。







2008年7月5日土曜日

無念の精子たちの為にも


# 昨日のコメントに寄せて。

宇宙の歴史、地球の歴史、人類の歴史、、、すべての歴史が、

誰かが故意的に何かをしたわけではなく、

ただ単に、世界は、自然の法則に従って流れているだけで、


現在は、たまたまその状態に適応できたものだけが生き残っているだけであって、

これから、どうなっていこうと、そこに適応できたものが残るだけであって、

たまたま生き残ったものが、しかも、考える能力を持った生き物だけが、

今の自分の存在を意味あるように解釈しようとしているだけだ、

と思ったりもするんだな。


たまたま、今、生きているものは、やはり、その運命を背負った訳だから、

正々堂々と生きればいいと思うし、その生き方が間違っていれば、

自然は、それを滅ぼして淘汰してくれるだろうから、

あまり深く考える必要はない、と思ったりもする。

まぁ、間違っているのもシャクなので、

一生懸命考えて生きてみたりするのだけれど。


まぁ、フト思うことがある。

自分が生れてきた時には、何億の精子と競い合って、

勝ち残った一匹が自分を形成した。

ならば、残りの精子たちは、さぞ悔しい思いをしたんだろうと、

思ったりもする。


その何億もの悔しい思いに、応えるべく生き方をしなければならぬ、

と思ったりもするのだ。

彼らを無駄死にさせたくないな、

そんなことを自分のモチベーションに接続したりする。


生物もこの世もどうしても存在しなければいけないものではないような気がするのは、

私も同じである。

危険思想であるが、今一瞬ですべてが無になってしまうボタンがあれば、

押してしまっても構わないような気がすることもある。


けれど、まぁ、長い長い歴史の中で、

たまたま自分は、今この瞬間を、この世で生きている機会に恵まれたのだから、

せめて、寿命が尽きるまで、精いっぱい生き抜いてみようと思うだけである。


たまたま手にした人生である。

大して長い寿命の生き物でもないのだから、死ぬまで生き抜いて見せるさ。

守ってくれたキラー精子や、悔しい思いに去っていった精子達のためにもさ。





P.S

ちなみに

>優しい人が異性にもてるのも納得だな。

これは、いただけない。

優しさの定義が曖昧であるけれど、

優しさがモテることにつながるのは、なんか甘ちゃんじゃないか?

とも私は思う。

例えば、優しさゆえに厳しくなることもある。

貴殿は、異性の厳しさの内面に

自分に対する優しさを見出せるだろうか?

問題は、お互いにどこまで理解しあっているか、、、であろう。

その理解の難易度の低さを相性と呼ぶのかもしれない。

そんなことも思ったりもする私の人生。






2008年7月4日金曜日

弱肉強食のベクトルの先


# 非難されるかな?

フト思うのである。

宇宙が出来て、地球が出来て、

そこから数十億年経つ。

やがて、生物が現われて、動物が現われて、

人類繁栄中の現在に至った。

大きなものが、重いものが、必ず勝つとはいえないけれど、

基本的な自然は、弱肉強食のはずだ。

けれど、やがて行き着いた人間は、心を持った。

相変わらず、他種の肉は食べているけれど、

弱きものの肩を持つことも考えるようになった。

それは、本来の自然界のベクトルを曲げることにはならないのか?

ふと、そんなことを思ったりもする。

いやいや、人間が発生して、そんな方向に進むことも、また自然なベクトルだ。

そう思えば、別に考え込むことではないのだけれど、

少なくとも、地球が出来てからの、かなり長く続いた方向性とは、

ちょっと違ったベクトルのような気もして。

それが、いいとか、悪いとか、ということではなくて、

何かベクトルの曲がり角を感じたりするのであります。





P.S

今、人類のこの世界は、弱肉強食か?と問われると、

弱肉強食ではない!と断言できない私であったりもする。





2008年7月3日木曜日

エコに関する最大の矛盾課題


確かに、、、と思うことがある。

エコに関する某大学の教授の論理である。

例えば、エコの為に電気の使用量を減らして、電気代を節約するとする。

ならば、その浮いたお金をどうするか?

浮いたお金をガソリン代にまわして、ドライブしたら、話にならないし、

それで、モノを買ったら、モノを作ったり、モノの物流の消費ガソリンのエネルギーで

その節約した分を使ってしまう。

結局、エコ目的で、何かを節約して、お金を浮かせても

そのお金を何かに使う以上、またそこでエネルギーを消費してしまう結果になるのだ。

その論理。

さらに、話にオチがあるのは、

じゃぁお金を使わなきゃいいのなら、節約して浮いた分を貯金しよう!

そう思って、銀行に預けたりすると、、、

銀行は、そのお金を企業に貸し出して、

またまた、企業が生産のために、さらに大規模なエネルギーを消費することに

一役買ってしまうことになる、、、と。

そんなこと言われてしまうと、凡人は、どうして良いのか全くわかりませんが。

節約して、貯めたお金を捨てる気にもなれない人間は、

やっぱり滅びの道を進むのみ?




P.S

すみません。

結局、私は、何をどうしてよいのかわからないので、

当面、今日一日過ごしたように、明日も過ごさせていただきます。




2008年7月2日水曜日

どうしたの?ねずみ君


会社の近くを歩いていると、

全身ビショ濡れで、息絶え絶えのねずみ君がいました。

私が近づいても、もう逃げる体力もない、気力もない

そんな感じで。

苦しそうで、辛そうで、、、

助けてあげたいような気もするけど、私もその術もなく。

そして、帰り道には、もういなかった。

ごめんね、写真だけ撮って、通り過ぎてしまって。

せめて、君がこの世に存在した証をここに残しておきます。




P.S

生き物の最期は、ある意味、みんな同じであろう。

苦しさが一瞬の最期もあれば、辛い状態が何年も続く最期もある。

今は、自分にどんな最期が訪れるのかは、わからないのだけれど、

でも、必ず1回は、何とかしても通り過ぎなければならない生き物の宿命。

いつ訪れるかわからない、自分のそんな最期を

私は、そのねずみ君に見ていたような気もする。







2008年7月1日火曜日

インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国

あ~ぁ、とうとう禁じ手を使っちまったなぁ。

→ スピルバーグ殿

さて、今時1000円で観られる映画をオマケ欲しさに1300円の前売券を買ってまで期待していたインディージョーンズ第4作。

観てきました。

まぁ、音楽も懐かしいですが、やはり気になるのは、ハリソンフォードのお歳でしょうか。

ただ走っている姿さえも、なんかツラそうに思えてしまったのは、こちらの問題でしょうか?

ま、とーぜんネタバレにつながる内容は書けませんが、、、

やっぱ、、、ハリソンフォードの5作目は、もうなさそうですね。

そう確信できました。

お奨めかって?

最終作として、観ておくべきではないでしょうか?




P.S

先日、このシリーズをはしごで見ていた方の感想が思い出されました。

やっぱり、確かに10数年前のアドベンチャーですよね。

ドキドキハラハラは確かに楽しいのですが、
近年のこちら側の求めている過激さが高くなり過ぎて、
イマイチ満足度が得られないような気もしました。

人間の感動や驚きも、時代と共に、きっと変わっていくんだなぁ、

そんなことを実感した気がします。