2008年7月5日土曜日

無念の精子たちの為にも


# 昨日のコメントに寄せて。

宇宙の歴史、地球の歴史、人類の歴史、、、すべての歴史が、

誰かが故意的に何かをしたわけではなく、

ただ単に、世界は、自然の法則に従って流れているだけで、


現在は、たまたまその状態に適応できたものだけが生き残っているだけであって、

これから、どうなっていこうと、そこに適応できたものが残るだけであって、

たまたま生き残ったものが、しかも、考える能力を持った生き物だけが、

今の自分の存在を意味あるように解釈しようとしているだけだ、

と思ったりもするんだな。


たまたま、今、生きているものは、やはり、その運命を背負った訳だから、

正々堂々と生きればいいと思うし、その生き方が間違っていれば、

自然は、それを滅ぼして淘汰してくれるだろうから、

あまり深く考える必要はない、と思ったりもする。

まぁ、間違っているのもシャクなので、

一生懸命考えて生きてみたりするのだけれど。


まぁ、フト思うことがある。

自分が生れてきた時には、何億の精子と競い合って、

勝ち残った一匹が自分を形成した。

ならば、残りの精子たちは、さぞ悔しい思いをしたんだろうと、

思ったりもする。


その何億もの悔しい思いに、応えるべく生き方をしなければならぬ、

と思ったりもするのだ。

彼らを無駄死にさせたくないな、

そんなことを自分のモチベーションに接続したりする。


生物もこの世もどうしても存在しなければいけないものではないような気がするのは、

私も同じである。

危険思想であるが、今一瞬ですべてが無になってしまうボタンがあれば、

押してしまっても構わないような気がすることもある。


けれど、まぁ、長い長い歴史の中で、

たまたま自分は、今この瞬間を、この世で生きている機会に恵まれたのだから、

せめて、寿命が尽きるまで、精いっぱい生き抜いてみようと思うだけである。


たまたま手にした人生である。

大して長い寿命の生き物でもないのだから、死ぬまで生き抜いて見せるさ。

守ってくれたキラー精子や、悔しい思いに去っていった精子達のためにもさ。





P.S

ちなみに

>優しい人が異性にもてるのも納得だな。

これは、いただけない。

優しさの定義が曖昧であるけれど、

優しさがモテることにつながるのは、なんか甘ちゃんじゃないか?

とも私は思う。

例えば、優しさゆえに厳しくなることもある。

貴殿は、異性の厳しさの内面に

自分に対する優しさを見出せるだろうか?

問題は、お互いにどこまで理解しあっているか、、、であろう。

その理解の難易度の低さを相性と呼ぶのかもしれない。

そんなことも思ったりもする私の人生。