いやなにまさに思考の散歩である。
歴史の教科書を見ていて思うわけでありますが、
日本史の中の○○時代というのは
多くが政権の存在した地名であって、
その時代の区切りというのは、
それなりの事件があって変わることになる。
それは何かと言えば、国内の政争であったり
海外からの何らかの圧力であったりする。
そして、もっとも長く続いたのがご存知であろう江戸時代。
その後、一世一元の制から明治・大正・昭和・平成・令和となる。
しかし思うのである。
きっと1000年後には、この現代もきっと一塊に扱われることであろうと。
さしずめ“東京時代”とでも呼ばれるのじゃないだろうかと。
そして、ここからが今日の思考の散歩である。
その1000年後は、はたしてまだ“東京時代”だったりするのだろうか?
# 江戸時代の250年以上続いた記録を塗り変えて。
それともその時、日本の中心は、
東京以外に移っている可能性が高いのじゃないのか?と。
そして、一番気になるのは、そこが東京以外のどこか?ということではない。
なぜ東京時代が終焉を迎えたかである。
きっと東京がどうにもできない状況になってしまったからだろう。
それは、戦争によるものなのか、地震や放射能によるものなのか
疫病によるものなのか、意外とクーデーターだったり?
やっぱり宇宙人が?
きっと何かとんでもないことが起こるんだろうな。
# ま、まさかコロナで?
そんな思考の散歩をしてしまうんだな。
変わらないことは、とても平和なことかもしれないけれど、
変わった方がいいこともある。
変わらざるを得ない時もきっとある。
私の生きているうちに何か起こらないよな?
恐いもの見たさもあったりするから
私の性格は、、、悪い。
P.S
しかし、、、現代を“東京時代”にでもまとめてあげないと、
1000年後の受験生は、天皇の世代毎に
時代の名前を覚えなきゃいけなくなる。
これは、ちょっと可哀そうだと思う。
ま、1000年後にそんな受験が残っているとも思えませんが。
# と思うんだがな。