ある開発者がいる。
開発者なんて、技術や知識を持っているものの、
自分でテーマそのものを見つけられる能力があるかどうかは、
また別問題である。
開発者にとって、何が恐いことかって、自分でテーマを決めることである。
決めたテーマは、本当に意味があるのか?
単にそう思い込んでいるだけじゃないのか?
思い込みで長い年月をかけて開発して、出来た時に意味のないものだったりしたら
それこそ無駄な人生を送ったことになってしまうのじゃないか?
開発者は、時には、そんなことにも悩む。
決めたテーマは、本当に意味があるのか?
単にそう思い込んでいるだけじゃないのか?
思い込みで長い年月をかけて開発して、出来た時に意味のないものだったりしたら
それこそ無駄な人生を送ったことになってしまうのじゃないか?
開発者は、時には、そんなことにも悩む。
ところが人生のあるポイントで開発者は、依頼者に遭遇する。
彼は、うれしい。
開発するテーマは、ともかく、その依頼者の為に、、、と思えば、何も心配することはない。
何しろ、少なくとも、その依頼者が欲しがっているものなのだ。
さらに開発者にとって幸せだったことは、
そのテーマが彼自身にとって、とても好ましく、納得できるものだったからだ。
彼は、うれしい。
開発するテーマは、ともかく、その依頼者の為に、、、と思えば、何も心配することはない。
何しろ、少なくとも、その依頼者が欲しがっているものなのだ。
さらに開発者にとって幸せだったことは、
そのテーマが彼自身にとって、とても好ましく、納得できるものだったからだ。
出来るかどうかはわからない、けれど、やる意味は充分にある。
彼は、更に思いをめぐらす。
完成した時の自分のきっと満足しているであろうシーンを。
依頼者も開発者自身もきっととても幸せな状態であるシーンを。
完成した時の自分のきっと満足しているであろうシーンを。
依頼者も開発者自身もきっととても幸せな状態であるシーンを。
ところがいざ始めると、開発者は、その内容の難しさを知ることになる。
もちろん彼は自分の思いつくすべての可能性を論理的に実行し、
間違いはないはずだ。そう思っている。
もちろん彼は自分の思いつくすべての可能性を論理的に実行し、
間違いはないはずだ。そう思っている。
年月は流れる。
最終結果は、まだ得られていない。
もはや最終的な夢のイメージは失われ、
ただただ彼は信じてやるべきことを黙々とこなしている。
その作業は、きっと完成へとつながっているはず、と信じて。
最終結果は、まだ得られていない。
もはや最終的な夢のイメージは失われ、
ただただ彼は信じてやるべきことを黙々とこなしている。
その作業は、きっと完成へとつながっているはず、と信じて。
ところが人の一生の1割程度の年月が過ぎたころ、
依頼者は、彼に言ったのである。
「もう、いいです。」
依頼者は、彼に言ったのである。
「もう、いいです。」
そう言いながら別のものを手にしている依頼者の姿を彼は見た。
彼には自信があった。
依頼者の希望を充分に聞き、依頼者の本当に欲しいものを知っているつもりだった。
もちろん、今の現在の状態だって、今依頼者が手にしているものよりは、
ずっといいものだ、そんな自信だってある。
けれど、依頼者は、手にしたものを見せて、
これでいいんです。これがいいんです。と言う。
彼は、その依頼者の気持ちがわからない。
彼は、彼が想像出来うるさまざまな価値観で想像しても
その気持ちがわからなかった。
が、依頼者は、もう既に、これがいい。と言う。
その判断は、きっと彼の想像出来うる価値観の別次元なのであろう。
だが、彼が理解出来ようと出来まいと、依頼者がそう結果を出した以上、
彼に選択権はない。必要としていたのは、依頼者なのだ。
こんな結果になる前に、自分としての成果が
依頼者に渡せなかったことを彼は悔やんだ。
今、彼は、迷っている。
このまま、開発を進めるべきか?
なんとしても完成させて、依頼者の理想のものを手渡すべきか?
それとも依頼者が満足してしまったのだから、さっさと諦めて
もっとまったく別のテーマを見つけて始めるべきか?
今回のことを忘れさせてくれるような次の依頼者が現れるまで、
きっと彼は迷い続けるだろう。
しかし、開発者の彼にとって、こんなことは初めての出来事ではない。
彼のいくつかの開発品の中で、似たようなことは何回かあった。
けれど人生には期限があり、彼も歳を取った。あまり先もないのだ。
この年月の意味を必死に見つけようとしている彼の姿を見ているのは、
やはりとてもつらい。
P.S
あなたは、それでも彼の人生はまだまだ有意義だ。と、
きっと言うかもしれない。
きっとあなたの価値観で。
AM 01:28:41