2021年7月20日火曜日

私もワクチンを打つつもりですが

最初に断言しておけば、私もワクチンを打つつもりですが。

さてここからは、勇気の思考の散歩であります。
世の中の状況を察するに、今まさに
極めて貴重な体験をしているのではないかと
あえて、いろいろ思考の散歩をしてみるわけで。

私が高年齢組に入っているせいもあろうかと思うのだけれど、
なんでワクチンを打たない者がいるのか、と愚痴るワクチン肯定組。
 
マスコミもそこに登場する専門家も
公衆衛生の向上を目指して打つべきと論ずるその中で
打ちたくない者に対して、非国民的な見方さえもしていないか?
 
極論を言えば、国民全員一致を求める世情は、
それは、まるで戦争に突入していった時のようではないのか?
ともすれば、こういう状況の時にヒットラーのような人間が生まれ易かったりしないのか?
 
そんなことを思ったり。
まぁ、その時代と違うのは、
きっぱり打たない人間がまだ存在できる雰囲気が残っている、ってことか。
 
しかし、こうも思う。
まだ生まれて間もないワクチンをそんなに鵜呑みにする肯定側の雰囲気は、
100%大丈夫と言われながら原発が生まれた時に似てないか?
そして何十年かした時に思わぬ事故に遭遇したりしないか?
 
いや、こんなことも思う。
ワクチンを打つか打たないかに二分するのは、
何かあった時にどちらかは生き残るかもしれないという
人間という種の保存に対しての本能的な行為ではないのか?

もし何かあった時には、
例えば、ワクチンを打った側が生き残る側になった時、
世の中は、老人だらけになってしまうな。
例えば、ワクチンを打った側が数年以内に滅ぶことになったら、
世の中は、医療関係者の少ない元気のいい若者ばかりになってしまうってか。
その中では、きっと私は住みにくそうだな。

元気のいい若者は、ワクチンに頼らずとも生き抜いていくだろう。
ワクチンを接種したものは、高年齢者の方から世の中から退場してゆくことを考えれば、やがて、やはりワクチンが不要の人類ばかりになり得るのか?
 
それともコロナと付き合いながら、50歳過ぎたらワクチンを打ちましょう的世界になるのか?

そんなこんなをいろいろ思うにつけ、
人類は、歴史から何を学んだか、今まさにそれを試されているような気がしないでもない。

 
P.S
私は、、、ですか?
 
私は、専門家ではないので、
いつもかかっている主治医に判断をお任せします。
血液サラサラの薬も飲んでいますしね。

私の通っている病院は結構大きいので、HP上では、
「当院に通っている当人とその家族(65歳以上)の希望者のみに摂取します。
 電話での予約も受け付けておりません。
 詳しくは、診療日に主治医とご相談ください。」
というスタンスですので、まぁ慌てずに次の診療日に調整します。

って次は、お盆の頃ですが。
 
 
AM 07:13:01