私は、電気系エンジニアである。
仕事としての経歴は、30年以上となってしまった。
仕事としての経歴は、30年以上となってしまった。
この歳ともなると、目も見えず手も震え、
ハンダゴテ技術に衰えを感じたりもしながらも
# 回りの若者達に感謝。
現在の仕事は、たとえハードウェアの設計をしていても、
むしろ画面に向かうことばかりで救われていたり。
ただ、いろいろなモノを設計してきたけれど、
この歳になってその原点をふと思い出すことがある。
私の電気との本格的な出会いは、小学校の4~5年の頃だったと思う。
電子ブロックのようなキット玩具が出てきた頃だ。
電子ブロックのようなキット玩具が出てきた頃だ。
組み立て回路図、というよりも、ブロックの並べ替え図を見ながら、
さまざまな回路が出来上がる玩具だ。
さまざまな回路が出来上がる玩具だ。
アンプやラジオやインターホンや警報機の類、、、
それを手に入れた私は、相当それで遊んだ。
それを手に入れた私は、相当それで遊んだ。
そもそもその前からレゴのような組み立てモノ好きな私は、
この手のモノにツボが刺激されたのには、間違いがない。
なにしろ単に形状を作るレゴに対して、そのブロックは、ある意味動くのだ。
この手のモノにツボが刺激されたのには、間違いがない。
なにしろ単に形状を作るレゴに対して、そのブロックは、ある意味動くのだ。
ところがそれで遊び飽きると、次の段階に移った。
自分で本物を作ろうと思い立ったのだ。
自分で本物を作ろうと思い立ったのだ。
もちろん設計できる技術などまだない。
回路図集に載っている回路図から部品のリストを作って、
わけのわからぬ記号と数字とその個数をメモして、
父と二人して、○○無線に部品に買いに行ったのだった。
回路図集に載っている回路図から部品のリストを作って、
わけのわからぬ記号と数字とその個数をメモして、
父と二人して、○○無線に部品に買いに行ったのだった。
不思議にその時の記憶は、しっかり残っている。私のトラウマだ。
店内に入るとそこは部品だらけだ。
初めての部品屋さんは、その雰囲気に私は圧倒されてしまった。
リストを手に持ちながらも、何がなんだかわからなかった。
初めての部品屋さんは、その雰囲気に私は圧倒されてしまった。
リストを手に持ちながらも、何がなんだかわからなかった。
その時に父が言ったのだ。お店の人にそのメモを見せたらどうか、と。
私は勇気を出して、書きなれない記号のそのリストを店員さんに見せた。
私は勇気を出して、書きなれない記号のそのリストを店員さんに見せた。
ところがその店員さんはメモを見ながら、私に言ったのだ。
「このリストでは、部品を集められない。」
「このリストでは、部品を集められない。」
ショックだった。というか、その後どうしていいのかわからなかった。
そのリストは、私が調べ得るすべての情報のはずだったから。
そのリストは、私が調べ得るすべての情報のはずだったから。
部品を売っているその店員さんがそう言うのだろうから、
やはり部品は集められないのだろう。
私も父ももうそれ以上どうにも為すすべもなく、店を出た。
やはり部品は集められないのだろう。
私も父ももうそれ以上どうにも為すすべもなく、店を出た。
恥ずかしいような、悔しいような、、、
その思い、そのシーンは、一生忘れられない思い出となった。
その思い、そのシーンは、一生忘れられない思い出となった。
それから、半世紀近く経つけれど、
たまに電気街を歩いていると、そんな親子を見かける時がある。
タイムマシンにでも乗って、50年も前の自分を観ているような気になる。
なんだか放っておけない気持ちになる。
たまに電気街を歩いていると、そんな親子を見かける時がある。
タイムマシンにでも乗って、50年も前の自分を観ているような気になる。
なんだか放っておけない気持ちになる。
どの部品屋も、回路に詳しいとは限らない。そもそも部品を売るだけの商売だ。
相談されても責任を持って応えられないこともわかる。
相談されても責任を持って応えられないこともわかる。
けれど、あの親子は、ちゃんと自分の欲しかった部品を手に入れられたのだろうか?
手に入れられたのなら、それでよい。
手に入れられたのなら、それでよい。
もし、そうじゃなかったら、、、
あの時、シャシャリ出ても相談に乗ってあげるべきだったんじゃないか?
そう思うと、いつもちょっと心が痛む。
あの時、シャシャリ出ても相談に乗ってあげるべきだったんじゃないか?
そう思うと、いつもちょっと心が痛む。
でもって、このオヤジ、もうこの歳だ。
少しでも小学生達の手助けになれば、と思い活動を開始しようと思う。
少しでも小学生達の手助けになれば、と思い活動を開始しようと思う。
まぁ、このオヤジ、最新の開発ツールは、ついていくのがやっとだけれど、
電気というものは、こういうもので、こうやって動くものだ、という物理現象は、
何も50年経ってもちっとも変わっていない。
電気というものは、こういうもので、こうやって動くものだ、という物理現象は、
何も50年経ってもちっとも変わっていない。
とりあえずこのブログにもその旨を載せておきます。
困った時には、左下段の「以下は秘密事項」の欄からメールでもください。
是非、このオヤジの脳ミソから、電気的知識を少しでも持って行ってくれれば、
私もうれしい、です。
是非、このオヤジの脳ミソから、電気的知識を少しでも持って行ってくれれば、
私もうれしい、です。
P.S
そうそう、電気街での私の経験談には、続きがある。
そうそう、電気街での私の経験談には、続きがある。
部品を手に入れられなかった私は、相当ガックリしたのは間違いのない事実だ。
けれど、私はそこで諦めなかった。
けれど、私はそこで諦めなかった。
私が次に起こした行動は、電子ブロックをすべて壊したのだった。
当時は、高価な玩具だったけれど、もう遊び尽くしていたのかもしれない。
迷いはなかった。
当時は、高価な玩具だったけれど、もう遊び尽くしていたのかもしれない。
迷いはなかった。
そして、すべてのブロックから、中身の部品を取り出して
それで回路を作るようになった。
それで回路を作るようになった。
欲しい部品は、そのブロックから取り出した部品をお店に持って行って買った。
ちょっとわからない時もコレと同じものをください、と言えば、
とりあえずそれなりのモノを手に入れることが出来るようになった。
ちょっとわからない時もコレと同じものをください、と言えば、
とりあえずそれなりのモノを手に入れることが出来るようになった。
そうやって、私にとっては、まだ真っ暗な電気世界の中を
ゆっくりゆっくり一歩一歩進んで行ったのでありました。
ゆっくりゆっくり一歩一歩進んで行ったのでありました。
まだまだ毎日の時間がいっぱいあった頃のお話である。
PM 10:49:34