2025年10月31日金曜日

超短編アンソロジー

ふとタイトルを見つけて

超短編って、どのくらいの文字量なの?

と読んでみたら、1行から長くても1ページ半ぐらいで。

バス停なんかで読むのにいいんじゃない?と思いつつも、、、短すぎてとても長編を読み終えた時の感想や満足なんて得られそうもない。

ジャンルもとにかく広い。
小説、詩、神話、歌詞、童話、エッセイ、日記、、、が95編。

アンソロジーと言っても、とにかく短いモノを集めましたっていう内容で、もう寄せ集めのゴチャゴチャ状態。

集められた作家には、芥川龍之介、夏目漱石、筒井康隆や村上春樹なんかも含まれていたためについ買ってしまったけれど、、、

ま、確かにふとペラって読むにはいいのでしょうが、、、んー。

まぁ誰が選んで集めたかによって、全体のイメージは大きく変わるのでしょうが、
ちょっと私の趣向には、合わなかったみたい。

あっという間に全部読めてしまいましたが、なんだか何も残りそうもない一冊でした。

おススメ度:低。



P.S

正直言うと、、、

そんな超短編なら自分でも書けるんじゃないか?

などと思ったりもして読み始めましたが

私が書くとすれば、日々書いているこのブログと大して変わらんだろうな、
という思いに達したわけで、、、

でも、こんな程度じゃ、やっぱ自分は作家にはなれそうにないことを実感してチャンチャン。





2025年10月29日水曜日

罪の声

脚本が野木亜紀子モノで選んだ一本。
原作は、サスペンス小説。

グリコ・森永事件の脅迫電話が子供の声だったことからヒントを得たフィクションであります。

映画の物語では、犯罪の声が使われた子どもは3人。

小さかった子どものひとりは、訳もわからずそのまま生活を続けていかれたものの
ちょっと大きかった姉弟の家族は、悲惨な人生を歩むことになる。

事件から、30年も経った今、なぜまたこの事件にかかわるのか。

だんだんわかってくることは、

犯罪には、学生運動も絡んでいたり、株操作目的なのか現金目的かどうかもモヤモヤだったり
わからないことだらけでの未解決事件だったけれど、

少なくとも、犯罪に使われた罪のない子供の声のその後遺症は
きっと私たちには想像が及ばない部分があるのだろう。

物語としては、名作だったとは思う。

けれど現実的には、想像も出来ないような事態が裏で子供たちに起こっていたとすれば、
それは、あまりにも哀しい。

せめて、現実はこの物語のようではなかったであろうことを願わずにいられない。


P.S

しかし、、、思う。

殺人未遂事件としての時効があった時代、
犯罪者側の時効はあっても、巻き込まれて人生が狂ってしまった人たちには時効など無意味だろう。

実際の「グリコ・森永事件」でも、
警察関係者が自殺に追い込まれたり、それに関係した死者も出ていれば
犯罪による直接的な死者は出ていなくとも、
ただの脅迫事件で終わるわけにはいかないことは間違いない。




2025年10月27日月曜日

公衆電話

夕方、バス停でバスを待ちながら、フトその横にあった電話ボックスに目が留まり
妙に懐かしさを感じてしまった。

しかし、最盛期からしたらどのくらい減ったんだろう?
相当減ってるはずだよね。

けど、災害などの非常時の為には、無くすわけにもいかないんだろう。

有事の為に、ひっそりと立ち続ける公衆電話に哀愁を感じざるを得ない、、、な。

遥か昔、半世紀も前、大学生だった頃、実家に電話をする為に
10円玉や100円玉硬貨を電話機の上に積み上げて電話をしたものだ。

携帯電話のなかった頃は、親から子供への通信手段は基本的には確保されておらず
親にとって、息子からの電話は、とても貴重だったはずで。

# 下宿の自室に固定電話を契約している学生も確かに居ましたが。

社会人になっても、仕事先の種子島から本土へ向けての電話なんかは
ピンク電話を使ったりしたのが懐かしい。

今の若者たちには、想像できないんだろうなぁ。
ピンク電話なんて知ってんのかなぁ。

世が急速に変わりつつあっても、こうやって残っているものも密かにあって
そんなものを懐かしむようになっちゃぁ、、、正真正銘のジジイだな。


P.S

そう言えば、どうにも思い出せないことがひとつ。

確かピンク電話でだったと思う。

通話が終わってから、折り返し通話料金が教えてもらえるサービスがあった。

# と思う。

種子島なんかのスナックでピンク電話を使って長距離電話をかけて、
通話が終わると、折り返しかかってきて通話料金が告げられ、

その金額をお店に置いてきた記憶がある。

あれは、どんなやり方だったのか、、、もうさっぱり思い出せません。
憶えてらっしゃる方、、、教えてくださいませ。

# 記憶違いかなぁ。





2025年10月25日土曜日

ジャングルジム


いやぁ何故かつい見とれてしまって。

公園のジャングルジムであります。

子ども達が何人もそこで遊んでいる。

フト思うワケです。

宇宙人がコレを見たらなんて思うか。

この子ども達は、何をしているのだろう?ときっと思う。

エサに群がっているわけでもなさそうだ。

お互いに戦っているわけでもない。

しかも動きは、昇ったり降りたり、もう殆どランダムだ。

宇宙人は、きっと不思議がる。

けれど、きっと人間だって、蟻をはじめ虫たちだって、そんな動きはあろう。

魚だって、動物だって、他から見たら意味不明なことだらけだったりしない?

いや、そういう一見無意味なものが、生き物には必要なんだよ。

理由なんかなくったって、楽しめるものがあっていいんじゃない?



P.S

と、ブログを書く意味を見失いそうな時に

背中を押してくれる一枚の写真だったりする。





2025年10月23日木曜日

65/シックスティ・ファイブ

レンタルショップで、たまにはSF宇宙モノを、と思って、

なんとなく時空を超えていそうなタイトルで手に取ってしまった一本。

2023年公開のアメリカ映画。
ジャンルは、SFスリラー、、、なの?

タイトルの“65”は6500万年前の出来事であるからして,だろーな。

# もうネタバレしても書いてしまう。

要は6500万年前、遥か宇宙の文明の進んだ生物が宇宙航行中、
隕石群に遭遇し宇宙船が破壊、故障し、最寄りの星に不時着してしまう。

その不時着先が、なんと“地球”。で恐竜時代なわけだ。

パイロットは、孤独で自死も選ぼうともするけれど
もうひとり生きている少女が見つかって、生き延びようと考えなおす。

ところが、恐竜絶滅の隕石が落ちてくるのが間近。
もうほとんど隕石と入れ替わりに、非常用ロケットで地球を脱出するのでありました。

ただ、ま、いろいろ流さないとね。

とにかく、その地球外生命体の生物が人間そっくりで、
しかも英語をしゃべっていたりするんだもん。

で、全編を貫くスリラー要素は、いわゆるジュラシックパーク的な。

# 恐竜好きには、面白いのかなぁ。
# いや恐竜好きには、もの足りないでしょ、たぶん。

子ども(って程でもないのだけれど)を連れての冒険モノは、
やっぱイラつく部分があって苦手です。

しかし、いろいろ力が込められていそうな映画なのに
イマイチB級映画っぽいのはなんでかなー。

時間が93分と短いので、サラっと観れますが
今さら感があっておススメ度は、残念ながら“低”です。



P.S

もっとちゃんとパッケージを見て読んで選ばないとな。

今回の反省点です。





2025年10月21日火曜日

人生はゲーム

Tumblrに流れてきたひと言

―――――

人生は正解を選ぶゲームではなく、

  選んだものを正解に変えていくゲーム


―――――

いや深いなぁ、と思うワケで。

最近は、仕事選びにしても、結婚相手選びにしても

正解を選ぼうとするから、ハードルが高くなる。

それよりも、ある程度のものを選んで、
それを正解に変えてゆくのも一理あると思うんだがな。



P.S

もちろん正解に変えられなかったとしても自己責任ですが。m(._.)m




2025年10月19日日曜日

一番お金のかかる趣味


先日、何かの記事で読んだ。

“一番お金のかかる趣味は、、、「貯金」”

なるほどな、と思った次第。
だって、キリないでしょ、きっと。

けれどもこうも思うんだな。

人類が狩猟から農耕に移行した時、食は安定したはずだ。
そもそも蓄えられるからね、

“蓄える”ということは、いつか来るであろう不足に備えるということでもあるわけだ。

ただ、その不足は、いつ、どんな規模でやってくるかわからない。
であれば、少しでも多めに蓄えたくなるのもわからぬものでもない。

ましてや現代、たまに〇〇不況がやってくる。
その度にひどい目に遭えば、その時に備えようとするのは個人でも企業でも同じだろう。

そして、問題はどのくらいため込んでおけば大丈夫かが今ひとつわからなかったりするのも悩みの種だ。
個人は貯金に走りモノを買い渋り、企業もため込み賃金も上がらず、経済は悪循環に陥る。

タチが悪いのは、きっと国もそうだろう。税を上げ、貯めこむのを良しとしてないか?

ただ、誰もがその状態から脱却するのは、難しいだろうなぁ。

でもそれは、未来を危惧するからであって、未来の少ない老人なんかが
終末医療の延命措置を諦めて、パぁ~っとお金を使いまくることが社会の為になるかもしれないなぁ。

であれば、これからはもっと遊ぶかぁ、、、

と、自分の背中を押してみる。



P.S

子ども達よ、、、スマンな。





2025年10月17日金曜日

アス

原題は、“Us”

2019年公開で、ジャンルは、ホラーであります。

# 最終的にはちょっとSF的かも。

なんでホラーなんか?と言われるでしょうが、ドンデン返しでも評判なわけで。

いやいやいやホント最後のドンデン返しは、すごかった、怖かった。

# ま、ネタバレを避けるとなんも書けないわぁなぁ。

残念ながら、やはりホラーなので、血なまぐさいシーンも多めですが、
ホラー映画としては甘めのような気もしないでもないです。

前半(ってか大部分)は、単なるホラーかと思いましたが、
最後のオチが、、、。

# やっぱ書けないわなぁ。

物語はイマイチ感がありましたが、最後のドンデン返しで私のこの映画の評価が変わりました。

深い読みをすれば、いろいろなコトが含まれていそうな気もしますが、
ドンデン返しだけで、私は満足です。


P.S

この手のドンデン返し映画をホラー抜きでお願いしたいです。




2025年10月15日水曜日

ポケット学芸員 Pocket Curator

スマホアプリのご紹介、その名も

「ポケット学芸員 Pocket Curator」

全国のたくさんの美術館・博物館の常設展示品(たぶん)の音声ガイドが聞けます。

美術館へ赴いてのその場で鑑賞中に展示品を見ながらの音声ガイドととしての役割がメインでしょうが、
対象の作品もサムネイル画像で表示されますので、家に居ながらも結構楽しめるかも。

# 残念ながら、全作品の画像は出てきませんが。

ま、そんなアプリもある、というご紹介でした。



P.S

私にとっては、いつのまにこんなモノがっ!って感じですが、

21世紀ですもんねぇ、いろいろなものが少しずつ進化しているのを実感します。







2025年10月13日月曜日

近代名古屋の日本画界


名古屋市美術館 常設企画展

「近代名古屋の日本画界」

# ホントはこれを無料で観ようと思って行ったんだけどな。(詫)

“近代”と言っても、画家たちはみんな鬼籍に入ってしまっている人ばかりではありますが。

けど、あ、いや、こういう絵が好きなんだよねぇ、このジジイ。

日本画の静けさを感じさせながらも凛とした絵画たち。

その一枚一枚が丁寧に描きこまれ、色彩鮮やかに。

日本画については全く無知なので、
その画壇の派閥や門下とか何も気にせず楽しんでしまっていてよいのかどうかもわかりませんが、

どの絵も自分の部屋に飾りたいものばかりでありました。

残念ながら、出展数は少な目でしたが、私としては、見ごたえありましたです、はい。



P.S

他のいつもの常設展示作品たちは、もう見慣れてしまっているのでパスしますが、

やっぱ現代美術は、、、正直よ~わからん作品が多いですわ。m(._.)m





2025年10月11日土曜日

8番出口

いやぁ観てきましたよ“8番出口”

私は、出た時に早めに買ってやってみたので、既にゲームは楽しんでいる人間であります。

# 安かったからね。

しかし、こんな単調なゲームから、どんな映画が出来るの?というのが最大の関心事で。

それも、主演は二宮くんで。

けど、、、ちょっと途中眠かったです。やはりあまりにも単調で。

で、ゲームの単純さに対して、物語がちょっとドロドロ感があったのが個人的には残念。

無意味な設定やシーンが多かった気もするし。

ま、所詮元ネタがシンプルだから、何をやってもギャップ感は取り払えなさそうだよなぁ、などとも。

まぁある意味挑戦的だった映画ではありますがちょっと残念でした。

向こうから歩いてくるオヤジのキャスティングは、個人的にはバッチシだと思いました。


P.S

実を言うと、、、私はまだ7番出口までしか行ったことがなく、、、

だって、途中で飽きちゃうんだもん。

ゲーマーになり切れないジジイですみません。




2025年10月9日木曜日

藤田嗣治 絵画と写真

今、名古屋では、“アクティブシニアキャンペーン”なるものが開催されており、“敬老パス”を持っていると、市中で様々な特典が得られます。

そのひとつに“名古屋市美術館に期間中何度でも無料で入場できる”っていうのがあって

# ただし、特別展は、別途観覧料が必要。

ウォーキングがてら行ってみるか、と名古屋市美へ。

そしたら、そうだった、今、特別展「藤田嗣治 絵画と写真」を開催中だった。

何となく藤田嗣治については、満腹感を感じているけれど、ま、ここまで来たのなら見ていくか、と1800円投入。

今回は、タイトル通り、写真が目立ってた。
藤田の撮った写真や、藤田の作画風景や何気ない姿が写真でたくさん見られたのは珍しかったかもです。

中でも特に面白かったのは、藤田が世界各地を回って様々な民族を何枚も撮影してきて
後で絵画を描く時に、その何枚もの写真から、人物などを部分々々に抜き出して組み合わせて描いていたりして。

そのパーツが、写真のまんまだったりする、、、まるでフォトショ作業のような。
いや正確に描こうとすればそうなるよな、と納得もするわけですが。

# しかし、本人がこの世からいなくなってしまうと、
# 研究者たちは、そんなことも大々的にバラしてしまうんだな、とも。

あとそうそう、気になった展示が。
藤田の作画風景のステレオ写真が展示されていた。

当時に既にこんな撮影方法を思いついていたのかぁ、と感心したのですが、
展示している場所に何も説明がなかったのですが、
ステレオ撮影されている二枚一組の写真は、右目と左目で同時に別々の画を見ると立体的に見えるのですが、そんな見方を説明しておいてほしかったな。

# けど、写真の大きさと配置の距離からはちょっとツラいかも。

でも何セットかは、視線を交差させて、右目で左の画を、左目で右の画を見ると立体的に見えましたよ。

1~2セットは、うまく見えなかったけれど左右の展示が逆だったり?
そもそも展示する側が配置を意識してなかったりするかも、、、ってか。

# いや私の見方に根性がなかったのかも。

まぁ、いろいろと意外に楽しめました。
どの会場もとにかく空いていて、ゆっくりと楽しめて良かったです。



P.S

無料につられて、1800円の出費。

撒き餌に食いついて釣られたジジイです。





2025年10月8日水曜日

68th 誕生日


68th誕生日を越える。

100%とは言えないけれど、健康である。
基本的に仕事はしていないけれど、一日の経つことのはやいことはやいこと。

知らないうちにこのブログのPVが30,000を超えてた。
皆様に感謝です。

けど、相変わらず過去の移植は進んでいないのが無念である。
昔の方がアクセス数多かったもんなぁ。

名古屋市営バス路線を歩ききり、最近は近郊バス巡りをし始めたけれど、
夏の暑さに周囲から止められて以降、サボり気味である。

ウォーキングし始めて、胸の筋肉が落ちてきたから、また腹筋ローラー始めっかな。

しかし、基本的に終活モードであります。
身の回りのものを捨て、やり残したモノを片付け、、、
けど、これがなかなか進まない。困ったものである。

まぁ慌てることないさ、やり残しても別にいいさ、、、
そんな気分じゃ、進みませんわな。

いつまで健康でいられるかなー。

本歳もよろしくお願い申し上げます。


P.S

今は、男性の平均寿命が約81歳。

平均ということであれば、半分の男性が到達できない年齢ということであれば
人生において、1/2の確率に負け気味の私としては、その前に終わりが来るのだろうな感。

孫の成人式を見るのは難しそうだな。


たまに年齢の欄がどうして47+21なの?などと尋ねられますが
ブログを47歳の時から始めて、21年経過しているという意味です。
 
確かに自分でもよく続いているとは思いますが、
ま、内容が薄いからねー。

# すみません。(^_^!)
 
 
 
 

2025年10月5日日曜日

エレニの旅


哀しい。
哀し過ぎるでしょ。

2004年、フランス・ギリシャ・イタリア製作。

時代は、ロシア革命の頃。

オデッサ(今のウクライナね)を追われた人々がギリシャに戻ってきて築いた村でのこと

まだ少女のエレニが、双子を生み終えて村に帰ってくるシーンから始まる。

# ざっくりあらすじを書いてしまう。

生まれた双子は、そのまま養子に出され、
自分を育ててくれた養父からは結婚を迫られ恋人と逃避行。

養父に追われ、逃げながら旅芸人となり
途中罪をかぶせられ長い間投獄の身にもなる。

双子の息子たちと再会しながらも二人とも戦争で亡くし
寄り添い続けた恋人も戦地沖縄で亡くなる。

# ザックリ過ぎるな。

ある意味、様々なコトが悲劇でしかない。
ごくたまに訪れる幸せなシーンは、実に儚い。

ただ、その時代のことも地政学的なことも知識がほとんどない私は、
深く意味が分かってないんだろうな。

監督が表しかったこと、残したかったことがよくわからずにいる。

どのシーンも綺麗で抒情もあるけれど、とても間が長い。

# 映画は、170分。

ギリシャ悲劇の物語、、、心して鑑賞されたし。

ただし、おススメ度は低。


P.S

実に三部作の一作目で、二作目は「エレニの帰郷」へと続く。

ただ、三作目は製作中に監督が事故に遭い未完のままだそうで、、、

二作目の鑑賞は、やめときます。m<._.>m






2025年10月3日金曜日

WANTED!! 宗教画


私が通っていた幼稚園は「聖母幼稚園」という。

# 60年以上も前のことである。

教会が併設する幼稚園で、まいわゆるキリスト系である。

そんな幼稚園では、まず朝、教会でお祈りから始まり
その後、何らかの説教・講話を聴くことになる。

その中で、私に強烈に影響を与えてくれたものがひとつある。
今から思えば、60年程前。たぶん4,5歳の頃に聞いた説教である。

壁にかかった一枚の画を見ながらこう説明された。

「誰にもひとりづつ天使がついています。

 そして、いいこともわるいこともあなたのすることを見ています。」

私の強烈なトラウマとなった。

ひっそりといいことをして誰も褒めてくれなくても天使は見ていてくれる。

こっそりわるいことをしようとしても天使は見ている。

当時まだトイレに和式しかなかった頃、今も見られているか?と後ろを振り返った記憶もある。

# 当時は、純真でした。
# 今は、、、(略)

悔しいかな、オトナになってもこの言葉は頭から離れたことはなかった。

で、いつの頃からかあの宗教画をもう一回見てみたいと思うようになった。

教会に行っても、もう既になく、知る人もいなかった。
大きさも大きく見えたけれど、所詮幼児から見た画であれば、そんなに大きくなかったかもしれない。

その画の情景を言葉にすれば、以下のようになる。

「森の中で後ろで天使に見守られながら、岩に腰かけて横笛を吹いている少年」

イタリアに行った時も、フランスに行った時も、美術館に行けばこの画を探し続けた。

きっと有名な画ではなかろう。
未だ見つかっていない。

そして、この歳になり、もう諦めかけている時、

世の技術が追い付いてきて、ふと思いついてAIに描かせてみたのが以下の画であります。 
 
 
これはあくまでも構図の参考にしかなりませんが、
どなたかこういった構図の画をご存じでしたらご一報いただけると嬉しい。

天使は、もうちょっとキューピッド的な可愛い天使だったと思います。



P.S

もういいっか、このAIの画で、、、と思いかけている最近の私。

見ていると、元の記憶の画が上書きされてゆくような気もしますが

頭の中の記憶を気軽に出力してくれるAIくんにもある意味感謝です。







2025年10月1日水曜日

やって後悔、やらずに後悔


よく人間向上案件の中に

「“やらずに後悔”するよりも“やって後悔”した方がいい。」

てな文脈をよく見かけることがあるけれど、

本当にそうか?と思ったりもするシニア世代の私。

むろんやって失敗しても最終的にはなんとか(最悪時間が)解決してくれるようなことであれば無問題。

でもやったことによって取り返しがつかないことになって
それが人生を棒に振ってしまった内容であれば、

“やって後悔”で済まされるのか?そんな思い。

もっとも“やらずに後悔”の方がそれを味わう期間が“やって後悔”よりも長かろうことは確かだけれど、

常に“やった方がいい”とは思えないんだな。

まぁ所詮、この道筋は、相反するパラレルワールドであれば、
両方を経験できるわけでもない。

ならば、最終的には、まずは今の状態を肯定して、

“あの時はやってよかったな。”または“あの時はやらなくてよかったな”

と思うことが大切なんだと思うんだがな。

”xxxxxで後悔”よりも“xxxxxでよかった”

人生の末路に至っては、そんな思考が大切だと思います。



P.S

私自身も、“選んだ末に失敗”“選ばなかったからこそのやすらぎ”をいっぱい持っていれば

そんな思考で人生を締めくくりたいと思います。